187 樹と熱の人災
二番目の巣はこれまた単純なやり方で攻略する。もっともわかりやすい破壊兵器、炎だ。
普段火を使う場合森火事や山火事を気にしなければならないので大規模な火災は起こしにくい。しかし本日は雨天なり。巣の中の火災が燃え広がる危険はない。そして雨なのでほとんどの地上への出入り口は閉じられている。さらに通気口もきっちりふさぐ。空気さえも逃げ場はない。
直接火で殺すよりも巣の中の酸素を燃やし尽くし、煙で窒息させる。
この作戦を採用したのはこの巣が大量の木材を貯蔵していたからだ。食料としての利用が大半みたいだったけどきちんと乾かして保存しやすい状態にしている木も多かった。それもまた燃えやすい条件の一つ。そして理解しがたいことだけど樹海蟻は火を知らない。だから火事が起こっても対処ができない。
しかし火がなくても文明を作れてしまえるというのも、だからこそ恐ろしいとさえ形容できるな。
「千尋。首尾は?」
「仔細無し。すべては順調だのう」
千尋には見張りと蜘蛛糸による出入り口の封鎖を担当してもらっている。雨なので蓑合羽を着てもらっている。
意外に使いやすいよねこれ。
「わかってると思うけど油断するなよ」
「おぬしではあるまいし油断などせぬよ」
……遠慮なくなってきたよなこいつ。小さい頃はもっと尊敬の念で見つめられていたような気がするけど……まあいいか。別に尊敬してほしくて王様やってるわけじゃないし。
「むしろここよりも最後の場所はどうなった?」
「順調だよ。あそこが一番時間をかけたからある意味一番楽かもね」
あの巣はできるだけ無傷で手に入れたい事情があった。オレの予想では、あの巣が一番最初に作られた巣だからだ。
恐らくこの巣にいる蟻は苦しみ、痛みを感じていただろう。この巣を襲ったもの、それは――――風邪である。
もちろん偶然でもなければアポロンが病を流行らせたわけでもない。これは人為的に引き起こした。オレが、意図的に風邪を流行らせた。
そう難しいことじゃない。少し前に流行った風邪に罹患した蟻の血液をいくつか採取して保存しておいた。そしてそれを健常でまだ風邪をひいていなかった蟻に投与した。するとどうなるか? その蟻は風邪をひくことになる。
献血の際に健康状態を聞かれることからわかるように病気になっている人から輸血されるとその病気がうつることがある。医学的には絶対に避けるべきことだけど……あえて引き起こした。
この世界の蟻は真社会性を持つ生物で、それゆえに同種間で遺伝的な差異に乏しい。もちろん環境が違って数千年もたてば異なる種になることもあるかもしれないけど、樹海蟻とオレたちはそれほど遺伝的に差がなかったようだ。つまり、病気に対する抵抗性も近く、同じ病気に感染する可能性が非常に高い。
風邪に感染させたオレたちの部下を大量に送り込めばどうなるか。……パンデミックが起こるのは必然だろう。遺伝の多様性が重要視されるのは病気の感染拡大に対抗するためでもある。
ちなみにこれも攻城戦においてよく用いられる手法の一つ。投石機で死体や腐った食べ物を投げ込み敵の士気をくじき、病を伝染させる。
流石に人に感染させてからスパイを送り込んだ奴がいたのかどうかまでは知らないけど。B級スパイ映画ならこういう展開がありそうだ。
もはやこの巣の住人は虫の息だ。しかし何故こんな状態になるまで誰も助けなかったのか。
蟻は女王を失うことを何よりも恐れる。その原則に従えば他の何を差し置いても女王蟻を助けに来るはずである。ま、そんなに難しいことじゃない。アリツカマーゲイの仕業だ。あいつらが偽の情報を流すことでここに誰も来ないようにした。ろくに援護がなくなった巣に悠々と歩を進める。
これがアリツカマーゲイを勧誘した理由の一つ。なるべく風邪が流行した巣に蟻を突入させたくなかったため。
奴らは今頃その欲望を思う存分発散させていることだろう。
多分アリツカマーゲイたちに任せておけば全て上手くいく。が、どうしてもなるべく早く確かめないといけないことがある。何としても、早急に。
だから以前風邪をひいたけど治った個体を巣の中に突入させることにした。一度治った個体なら多分まだ風邪の抗体がある……と、思う。多分。
暗い蟻の巣を進む。しかし空気が重く、沈んでいる。辺りにはそこかしこに死体が転がっており、汚れが目立つ。人のいなくなった家はどんどん崩れていくらしいけどそれは蟻の巣も変わらないらしい。
「よう。景気よさそうだな。琴音」
忙しそうなアリツカマーゲイに声をかける。ちなみに琴音はアリツカマーゲイの内の一人の名前。ひとまずこいつをリーダーとして扱うことにした。どうやらアリツカマーゲイにも歌を歌う文化があって、それが琴のように聞こえるからそういう名前にした。
突入させた蟻には見分けさせるためのドッグタグを持たせてある。もしも無視して攻撃したらアリツカマーゲイを殺すことも考えていたけどその様子はない。こいつらは良くも悪くも欲望に忠実だ。
「んん? まあにゃ。なかなか楽しいにゃ。こいつら面白いにゃ。私が蟻のふりをして声をかけたら仲間を助けるように懇願するにゃ。それがとっても面白いにゃ」
弱者をいたぶる趣味か。地球なら絶対に褒められない趣味だろうね。
「紫水、よろしいのですか?」
「何がだ寧々?」
「琴音がいつか紫水を殺そうとしないとは限らないのでは?」
「……ならどうする?」
「今のうちに殺した方が良いかと」
過激だねえ。しかし、だ。
「寧々。琴音たちが何か罪を犯したか?」
「いいえ」
「ならダメだ。どれほど邪悪だろうが罪を犯していない者を罰してはならない。犯罪者は容赦する必要がない。しかし悪人はいてもいい。もしもアリツカマーゲイを排除するというのなら……」
「何らかのルールを破ったことにしなければならないということですか?」
「そういうこと。それにオレはそこまで心配してないよ。あいつら嘘はつくけど隠し事は苦手みたいだ」
なるほど。アリツカマーゲイの悪意は留まることを知らない。だからこそ読みやすいともいえる。本当に悪い奴ってのは自分の悪意を隠すことに長けているもんだ。その意味においてアリツカマーゲイは小物だと断定できる。少なくともオレに悪意を向けないうちは飼いならすか。
ただまあ念のためにオレに歯向かわせないような法律もいるかもしれないな。
淀んだ蟻の巣を進む。奥へ奥へと進んでいく。
例えばピラミッド。例えば始皇陵。
地球では歴史的な遺物は墓から見つかることが多い。それだけ墓というものを大事にしてきた。そして蟻にはなぜか墓を作る習慣がある。スパイによるとこの巣にもそれがあるらしかった。
この巣が最初にできたと判断する根拠はこの巣の作られ方だ。この巣にはやや強引に拡張されたような形跡がある。他の二つの巣にはそんな様子はない。それらはどうやらきちんとした計画に沿って建設されたらしい。
つまりこういうこと。まずこの巣が何らかの要因で途轍もない力を手に入れた。具体的に言うと農業力だ。こいつらは順調に勢力を拡大し、新たな巣を作った。
ではその力を与えたのは誰なのか? どこに行ったのか? もう滅んでしまったのか?
もしもその力を与えた奴が何らかの理由で滅亡に瀕していたなら、何かを残そうとするんじゃないか? 例え滅んだとしてもせめて自分たちがここにいたという証が欲しいんじゃないのか?
もし何かを残すなら墓以上の隠し場所なんかそうそう思いつかない。
あるいはもともと自分たちが何かを残す場所を得るために蟻に知識を授けたんじゃないか? 仮説でしかないけれど、ここで何かが見つかればその仮説は実証される。
そのために失礼ではあるけれど墓を暴かせてもらう。
一段と暗い墓所に足を踏み入れる。巣がこんな状況だけどそれでも時間が止まったように静かで清潔でさえある。
探すこと数分。
「見つけました」
待望の知らせが届いた。
墓のように見せかけられたそれは墓ではなく過去から未来へと何かを遺したタイムカプセルだった。
古く、しかしかろうじて本の体裁を成しているごわごわな紙と薄い墨でつづられた本を手に取る。そこにはこう書かれていた。
“誰か私たちを見つけてくれ”
オレたちにもわかる文字で、つまりクワイの文字で。
そんなことをする誰かの心当たりは一つしかない。
エルフだ。
樹海蟻たちはエルフから様々なものを受け取っていた。その仮説は正しかった。
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