130 敗者と勝者
光が消えた。もうあの巣には誰一人として残っていない。
コップを掴む。水を飲もうとして傾けてからそのコップに初めから水が注がれていないことに気付いた。
何かを考える間もなくコップを壁に叩きつけ、その勢いのまま机を拳で殴りつけた。
机には
いつの間にか近づいていた千尋から話しかけられる。他人がいるせいなのか、少しだけ頭が冷えた。
「紫水……風子と小春は……どうなった?」
「……二人とも死んだ」
オレにとって他の連中はSLGのモブキャラのようなものだ。個性はなく、必要なら切り捨てるべき存在にすぎない。しかし、だ。数百、数千時間かけて育てたキャラのデータが消えて喜ぶ人がいるか? 愛着くらいは湧くんだな。
「誠也は?」
「こっちに向かってる」
「これから、どうする」
「……まず、あの銀髪から距離をとる。あいつに勝つ方法が思い浮かばない」
「そうか。奴に……勝てると思うか?」
正直に言えば銀髪を倒せたかどうかは別にして今回の戦いで勝ち筋は無数にあったと思う。でも結果はこれだ。
「無理だ。でもあいつがこれから先、立ちはだかる可能性もあるからな。奴を倒す方法を探す」
「そうか……なあ、妾らは何故負けたと思う?」
「決まってるだろ。オレたちが弱かったからだ」
奴らが勝ったのは奴らが正しかったからか? 愛があったからか? 信仰が篤かったからか? 正義であったからか? 他人を思いやっていたからか?
ノーだ。断じてノーだ!
勝ち負けは自分たちの実力によって決まる。実力は努力と才能によって決まる。最後の勝敗は運に左右される。
それだけだ。
「なら、強くなるしかないのだな」
「そうだな。死にたくないなら自分や、他人を強くするしかない。でも強さってのは色々――」
「わかっておる。しかし、自らの弱さを嘆かずにはおれんよ」
「……そうかもな」
多くを失って生き延びた。それでもまだ終わってはいない。だからまた、新しく始める。失って、なくなって、それでもまた新たに得ようとする。きっと、それこそが人間らしさ。
もう人間ではないかもしれないけれど。
テゴ村の惨状に思わずファティは目を覆ってしまう。
わずかに残った村人は何も食べておらず、糞尿はまき散らされ、田畑に実りは皆無だった。
「ひどい……こんな……蟻のせいでこんなことになったんですか!?」
いや、ティマチとかいうどっかの馬鹿がいなければこんなにひどくはならなかったよ。アグルは心の中だけで、呟いておく。
「その通りです。奴らは田畑を焼き、食料を根こそぎ奪いました。いかなる魔物でもあれほどの邪悪ではなかったでしょう」
そう言っておかなければ後々面倒ごとに巻き込まれかねない。全てを蟻の責任にしなければ誰かが責任を取らなければならなくなる。
「急いで他の村から食べ物を貰ってきましょう! タス……御子様にも連絡しないと!」
「は。直ちに」
(ふん。そこであっさりよそからもらえると思っている時点でいかに自分が恵まれているかに気付いていないな)
食料を得るためには大金か、よほどの信頼が無ければならない。最初から恵まれている人間にはそれがわからない。
(だがティマチがきちんと数を減らしたおかげで金はそれほど出さなくてもいいだろう。奴自身は無能だったが存外仕事熱心ではあったな)
「アグルさん。まずはトゥーハ村から最低限の食料を運んできます」
サリが馬に乗る。トゥーハ村に行くつもりだろう。サリが何故ファティを伴って現れたのか。それがわからぬアグルではなかったが、あえて見逃した。これはこれで役に立つ。
無能者にも価値がある。アグルはそれを学んだ。それこそが彼にとって最も大きな収穫だったのかもしれない。だが不意に疑問が頭をかすめた。
(あの蟻、一体何だったのだ? 武器を作り、戦術を練り、蜘蛛や地面を這う鳥さえも従える……いや、無駄なことを考えるのはやめよう。もう奴はどこにもいないのだから。それよりもこれからだ。これからこそが本番だ)
結果として邪悪なる蟻は銀の聖女によって全て救われた。少なくともこの時点ではそう報告されていた。事実として醜悪極まる大蟻は討伐されたのだから。蟻のごとき小虫など、アグルも、クワイ上層部も策謀に奔走していたために誰も気にしていなかった。
それが間違いだったと気づくには、まだしばしの時間を必要としていた。
「くそ! くそ! あのクソガキ! 何故この俺の言うことを聞かん!? たかが転生者の分際で、くそ!」
異世界転生管理局地球支部支部長百舌鳥は椅子を、書類を、机を殴り、蹴り、散らかしながらわめいていた。
「あのガキが俺の指図を聞いてりゃ、今頃例の転生者も含めて蟻はとっくに全滅してたってのによ! なーにがお姉ちゃんみたい! だ! 下らねえ家族ごっこに浸ってんじゃねえ! しかも何苦戦してやがる! この! 俺が! 能力をくれてやったんだぞ!? 蟻の一、二匹殺せて当然だろうが!」
荒い息を吐き、家具を壊し、ようやく彼の怒りは収まりつつあった。あの少女だけではない。騎士団にも怒りは向けられていた。
「あの田舎者どもがもっと有能ならたかが蟻如きに苦戦したはずはねえんだ! そうならあの女も俺の指図に従ったはずだ! この俺の好意を無駄にしやがって!」
そもそも彼は騎士団には何ひとつとして干渉していないのだからただの八つ当たりでしかない。そう指摘したとしても感情のまま荒れ狂っていれば助言は無意味だっただろう。
「くそ、今度は別の蟻をあの女がいる村を襲わせるか? いくら何でも監査局にバレる可能性が……いや、どうせ全部翡翠が罪を被ってくれるしな。IDを書き換えさえすれば、」
しかし百舌鳥の言葉は遮られた。
「おやおや。今のは支部長たる者の御言葉とは思えませんねえ」
「だ、誰だ!?」
部屋の隅々を見回すが人影はない。声もどこから発せられているのか全くわからない。
「誰とは、さっきもあなたが御自分で言っていたではありませんか。
「ば、馬鹿な!? お前は閉じ込められているはず! 自力で脱出できるはずがない!」
「まあ、少しばかり協力してくれた方がいるもので。それよりも先ほどはずいぶん楽しそうなお話をしていましたね。IDがどうとか」
「ち、違う、それは」
「ああ、お話は結構です。今、局員がそちらに向かっておりますので、また日を改めましょうか」
それきり声は聞こえなくなり、代わりに複数人の足音が聞こえる。それらは百舌鳥の部屋の前で立ち止まり、大声でここを開けろと怒鳴りつける。
「ふ、ふざけるな! ふざけるな! 認めんぞ! この俺が、俺は、こんなことを認めんぞおおおおお!」
百舌鳥は叫び、逃げ道を探そうとする。しかし意味はない。この部屋の出入り口は一つしかないのだから。どうあがいても逃げることはできない。しかし、それさえも認めずに叫び続けていた。
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