128 世界に嫌われている
「アグルさん! 大丈夫ですか!?」
「おお、聖女様。まことにふがいない。貴女に助けられました」
隣にいるサリには目もくれず、ファティにだけ話しかける。
「そんなことはいいんです。それよりも村に帰りましょう」
「それはできません。もはや我々はあの灰色の蟻を倒すしかないのです」
「そんな、どう見てもみんなそんなことができる状態じゃありませんよ!?」
周りにいる人々には無傷の者は一人もいなく、皆生気を失っていた。とても戦える状況ではない。
「恥ずべきことですが……ティマチ様がお亡くなりになりました」
「!? そんな!?」
クワイでは聖職者が祈りを捧げることで楽園に旅立つとされる。逆に聖職者がいなければ決して楽園には旅立てず、この世界を彷徨い、最後には辺獄に落ちるとされる。
そしてセイノス教徒は皆、辺獄に落ちることを死ぬことよりも遥かに恐れている。それゆえに聖職者を自分の命よりも大切に扱う。だから聖職者を守れないことは最大の恥とされる。
その恥を雪ぐには聖職者を殺した魔物の悪石を砕くのが最も良いとされる。つまり、ここにいる蟻を討伐しなければならないのだ。
「お分かりください。戦うしかないのです」
「ティマチさんが……あの優しい人が……」
ふつふつと彼女の心に炎が噴き出す。
「許せない……それに、みんなをこんなになるまで……」
辺りに転がる死体は百では数えきれない。
(神様が力をくれたなら……使うのはきっと、あの蟻みたいな魔物を倒すためだと思う。こんなことをする人が良い魔物なんかなはずはない)
あのトカゲみたいに本当は戦いたくない魔物もいる。でも、そうじゃない魔物もいる。
(私も覚悟を決めないと)
「わかりました。蟻と戦います」
「おお! 流石は聖女様です!」
ファティを称える声が続く。誰一人として戦いに臆する者はいなかった。
戦おうとしない者もいなかった。誰一人として、ファティを称えぬ者はいなかった。少なくとも表面上は。
再び進軍を開始する騎士団。時折、隠れていた蟻から奇襲を受けたが、銀の聖女に守られた彼女らは何事も無いかのように進んでいた。だがアグルは違和感に気付いた。
(これは……酒の匂い? この水路に酒が流れているのか? 何のために?)
アグルは銀髪の性能を疑っていない。しかし同時に蟻が強敵であることも理解しているがゆえにこの場で唯一浮足立たずに警戒を緩めていなかった。
「準備は!?」
「あと少し」
「早くしろ! もう時間がない!」
あと少しで地中の巣の入り口に到着される。その時銀髪が何をするのかはわからない。突入するならやりようはあるけど、あいつの魔法で巣を丸ごと破壊される可能性もある。それに畑にいる間じゃないと作戦は使えない。時間を稼ぐか、有効な位置に誘導しないと……
「紫水。指揮を任せてもいい?」
「構わないけど、何するつもりだ?」
「私が外に出て農作業の休憩用に作った小さい巣穴に誘導する」
「――――わかった」
その結果は考えるまでもない。それでも小春は行くと言うだろう。
「聖女様! あちらをご覧ください!」
そこには普通の蟻よりも巨大な蟻、恐らくは蟻の首領がいた。
騎士団とは逆の方向に、走っていた。
(まさか、逃げようとしてる? まだ戦っている蟻もいるのに?)
怒りのままに剣を振るおうと構えると、ふっと女王蟻は地中に姿を消した。
「っ! 逃がさない――――」
追ってそのまま地中に入ろうとする。
「お待ちください聖女様! 蟻の巣は悪の巣窟です! 貴女様を行かせるわけにはまいりません!」
「なら、どうしたら……」
「あなた様のいと貴き<光剣>で蟻もろとも地下を砕いてください」
「でも、そんなことをすれば、蟻に囚われているタミルさんが危ないんじゃないですか」
アグルは誰にも気づかれずにひっそりと舌打ちする。
(そう言えばそんな話だったな)
巡察使タミルは蟻にさらわれ行方不明になっていた。いまさら気にしていなかったがここで無理にでも攻撃を仕掛けさせるとタミルの命を軽んじたとそしられかねない。
「申し訳ありません。私の短慮でした。では地面を抉り、奴らの悪逆を晒しましょう」
「はい!」
地面を剣によって切り裂くとそこから盾を無理矢理こじ入れ、蝶番が壊れた扉を開くかのように強引に地面をかき分けた。
灰色の巨大な蟻と護衛と思しき蟻数体がそこにいた。
「これで――――!」
剣を振り下ろす。必要以上に地下を破壊しないように絶妙にコントロールされたそれは周囲の蟻と、蟻の首領の顔面と、首に掛けられた――彼女はそれが何か分からなかったが――オカリナを真っ二つにした。
「痛ってえええええ!!!!」
小春が切られた瞬間に感じた痛みは今までに、経験したことがない痛みだった。感覚共有した相手からの痛みをスルーすることにはもう慣れたはずだ。でも、これは違う。今までとは違って、心臓を氷で抉るような冷たさがある。
小春は死んだ。感覚としてそれは理解できた。
でも――――でも、まだ負けてない!
「火を点けろ!」
火線が奔る。見渡す限りの畑に一斉に火がともった。
以前水車を用いた水路を作ったけど、その時に思いついた作戦があった。
水路に水ではなく、酒や油などの引火性の液体を流し、そこに火を放てばどうなるか。
水路でつながった畑は一気に燃え広がる。逃げ場なんかない。多少砂をかけようが、水をかけようが、どうにもなるわけがない。水路が万全ならもっと手早く済んだけど向こうは水車を壊してから進んできたために準備に手間取った。
この巣のほとんどの畑と引き換えに敵を倒す。それがこの策。銀髪の、というかヒトモドキの魔法は運動エネルギーを操る魔法であって熱は防げないはずだ。仮に防げたとしても煙で呼吸困難に陥るはず。炎の熱と煙による呼吸困難。その両方で敵を殺す策。ほぼありとあらゆる生物に対して、ラーテルに対してさえ有効な炎をこれでもかというほどぶつけるほとんど自爆に近い作戦。
使いたくはなかった策。
しかし、敵はそれさえも上回る。
火を消すには酸素の供給を止める。つまり何かを被せればいい。砂でも、水でも……魔法でも。
銀色の波が畑を覆う炎の上に静かに広がっていく。荒ぶる獣を鎮めるように、叫ぶ子供をなだめるように、力の差を示す。
目に見える炎すべてに<盾>が張られていた。
その規模もさることながらさらに恐ろしいのは精度。葉の一つ一つを、枝の一本一本を覆うように<盾>が展開されていた。針の穴を通すなんてもんじゃない。髪の毛全てに糸を括りつけるよりも難しいだろう。それをこともなげに――――
「まだだ! 風子! 突撃しろ!」
「全員! 前に! 進め!」
隠れていたドードーが一斉に突撃する。今までで最も力強く、地を蹴る。足取りはバラバラだ。息も乱れて、まるで一体感がない。しかし、その心中は一つの言葉で満たされている。
――――前に進め――――
ただそれだけがドードーの、風子の、たった一つのとりえにして最強の武器。
進撃する。ドードーが敵の体か魔法に触れれば<オートカウンター>が発動する。防御不可能の攻撃、いや反撃! ラーテルほどの巨体なら無意味だけど相手は少なくとも見た目は普通のヒトモドキ! 数十匹の魔法が同時に襲えば一撃で即死させられるはず! 予想通り<盾>によって遮られるけど計画通りだ!
「かかった! <オートカウンター>で……はあ!?」
銀髪への黄褐色の光は銀色の光に皮一枚で阻まれていた。<オートカウンター>を<盾>で防ぐ。そんなことができるとは知らなかったけど、実際に数十人のドードーの魔法を防ぎきっている。
しかも優先順位は明らかにドードーの方が上のはずだ。銀髪の魔法の優先順位が普通より高いのか、それとも優先順位が問題にならないほど強力なのか!?
しかも畑一面に盾を張り続けながらそこまで防げるのか!?
なら――――
「弓、投石機!」
隠していた兵と兵器で攻撃を加える。
しかし、それすらも銀色の光に防がれる。
もう、打つ手がない。反撃される――――が、いつまでたっても反撃が来ない。
限界が近いのか? いや、それならさっさと火を消した<盾>を解除すれば余裕ができるはず。解除しないのは……まさかバックドラフトを警戒している?
今現在畑の火は消えている。しかし、水や砂をかけたわけじゃないから温度は下がっていない。ここで<盾>を解除すれば急激に酸素が供給され、バックドラフトによって一気に引火して爆発する可能性はある。
ドードーを先に殺さないのは……<オートカウンター>の知識が乏しいせいか? 攻撃したら余計に強力になると思っている?
あやふやな推測だけど、今はそれに賭けるしかない。<オートカウンター>は体力をかなり消耗する。さっきも蟻ジャドラムを使っていたからそう長くは持たない。
それまでに銀髪を殺す策を考える。そうでないと、この場にいる味方全てが死ぬ。
何とか、しなければ。
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