こちら!蟻の王国です!

秋葉夕雲

第一章

1 仲間を増やす冴えたやり方

 ぼんやりとした頭で今なにがどうなっているかを考える。


 大学からバイト先に向かうバスへ乗っていたのは覚えている。乗客はオレを含めて四人しかいなかったはずだ。この路線採算取れてるのかな、とかさっきの通行人やたら青白い顔をしていたな、とか自分よりでかい犬を散歩させている子供がいたなんて考えていたことまでは覚えている。


 そこから先は全く思い出せない。多分交通事故に巻き込まれたんだろう。そうでもないと体がろくに動かせないことの説明がつかない。動くには動くけどまるで別の生物にでもなってしまったかのように鈍い。しかも目も光を感じる程度にしか働いていない。


 全身不随に加えて失明したのか?今絶賛入院中?なんてこった。比喩表現抜きでお先真っ暗じゃねえか。


 ははは。乾いた笑いしか出てこないな。実際には声すら出ないけど。一応食事は喉を通るらしいけどこの食事がめっっっちゃくちゃ不味い。


 以前入院した時に食べた病院食のほうが遥かにましだ。ここまで不味いなんて食文化に対する冒涜だ。やたら渋かったり硬くてゴリゴリした食感の薬?を食べさせられている。その時に話しかけられてもいるけれど、なにを言っているのかはわからない。


 はあ。なんなんだろうなこれ。自画自賛するつもりはないけど色々と努力してきたつもりだ。それでも現実は容赦なく困難を突きつけてくる。もういいや。しばらくここで眠っておこう。そんな弱気に背中を押され眠ろうとした時、なにかが聞こえてきた。


(子守唄?)


 聞こえてきたのは日本人なら誰もが知っている子守唄だ。


(いやなんでだよ)


 子守唄っていうのは子供を眠らせるために歌うものだろう?病人にはもっと早くおきろっていう類の励ましの言葉が必要なんじゃないか。そう思うと怒りや反骨心が湧いてきた。


 よし決めた。とりあえず起きよう。そしてこの歌を歌った奴を問い詰めよう。それくらいは許されるはずだ。


(んぎぎぎぎぎ!)


 思ったほど怪我がひどくなかったのか、体は動いてくれた。体に被されていた毛布を撥ね退ける。目も開けられそうだ。よし。あと少し。わずかに光が見えてきた。そして、






 目を開けて最初に視界に入ったのはどアップの蟻の顔だった。




 3秒ほどフリーズした後。


「ギャアァァァァァ――――」


 人生で初めて絶叫していた。突き出したのはこちらも人生初となる右ストレート。ひるんだ隙に逃走開始!何だ思ったより動くじゃんオレの体。なんて思うより先に手を動かせ!


 薄暗い廊下を全力で走る。が、当然のように蟻も追ってくる。というか数増えてるぞ!?きもい怖いこっちくんな!虫嫌いなんだよ、オレは!


「待て、女王」「止まれ女王」「危ない女王」


「やかましい!待てといわれて待つ馬鹿がいるか!」


 ん、今変なこと言ってなかったか? 女王って…? そこでようやく気がついた。オレの走り方おかしくね? 


 腕を見る。どう見ても人じゃありません。ていうか多分蟻ですオレの体。いやいやわけわからん。思い切って尋ねてみる。


「えっとあの、もしかして女王ってオレのこと?」


「うん」「そう」「お前」


 蟻たちからは全く敵意を感じない。それどころかものすごく心配している気がする。なのでオレも落ち着いてきた。まずこいつらがオレに危害を加える可能性があるか確認しなければ。


「えーお前らオレを攻撃するか?」


「「「しない」」」


 全員がハモった。


「んじゃお前らオレの命令聞くのか?」


「「「聞く」」」


「なんでも?」


「「「なんでも」」」


 そっかー。何でもいうこと聞いてくれるのかー。こいつらの言葉が正しいならひとまずオレの安全は保障されるはずだ。ふー、よかったよかった。


「なわけあるかーい!」


 オレが叫んだせいか蟻たちも驚いているようだ。だがそんなことに構っている余裕はない。


「オレ男だよ? 人間だぞ?なんで蟻の女王なんかになってんの??」


 可能性1 悪の秘密組織に攫われてしまい改造手術を受けた。


 可能性2 事故によって傷ついたオレの体から魂が抜け出て蟻に憑依してしまった。


 可能性3 オレは死んでしまい、何らかの事情によって蟻に転生してしまった。




 ざっとこんなもんか。2ならともかく1か3なら組織のボスとか神様みたいな奴が説明してくれるはず。


「さあばっちこい。説明カモン」


 ……………………しかし何も起こらなかった! いや何がどうなってるんだよ。


「誰か説明してくれよ」


 その声に応えるものはなく蟻たちも首を傾げるだけだった。




 うだうだ言ってもしょうがない。それにさっきから蟻たちの視線が痛い。どれもこれも変わり映えしない顔だからひどく無機質な印象を受ける。はっきりいって怖いが、幸い会話はできるみたいだし、まずはコミュニケーションして少しでも情報を取得しよう。


「んで、オレは何をすればいいんだ?」


 どうもこいつらはかなりオレを重要視している。なら何かして欲しいことがあるんじゃないか?RPGの定番だと魔王を倒して来い!なんて言われるところだ。


「卵産む」


 ……はい?


「卵産む」


 あーそりゃそうだ。女王蟻の仕事なんて子孫を残すこと以外ないよなー。何でそんな簡単なことに気づかなかったんだろうなー。じゃなくて!


「オレ男だぞ!?」


「女王だ」


 取り付く島もない。なんてこった。これTSって奴か。声もちょっと高くなってる気がするし。いやいやいや蟻のTSとか誰得だよ!そんなこと言ってる場合じゃない。こいつらはオレに従うと言ったけどそれはあくまでオレが女王蟻だからだ。もしここで卵を産めなければ女王に相応しくないとして処分される可能性すらある。気がする。


 けど当然の疑問なんだが――?


「オスと交尾しろってことか?」 


「違う」


 違うのか。よかったいやまじで。流石に虫と交尾しろ、なんて言われたら自害していたかもしれない。つまり無性生殖で卵を産むんだな。


「けど卵ってどうやって産むんだ?」


「?」「?」「?」


 いやそんな並んで首を傾げられてもな。そんなのわかるわけないよな!?何度も言うけどオレ男だよ!? 子供どころか彼女すらいねえよ! そもそもオレにだって男としてのプライドがあるから子供なんて産みたくないって! でもこのままだと殺されるかもしれないし……。


 様々な葛藤を抱えつつも、お腹に力を入れたり、体勢を変えたり、呼吸を整えたり、とにかく色々試してみたけど卵は出てこなかった。


 もはや残された手段は一つ。手と頭を地面にこすりつける。そう土下座だ。人間じゃないから蟻土下座になってるけど生き延びるためにはプライドはひとまず質屋に預けておく。後で取り戻せることを信じて。


「すいません無理です。ちょっと待ってください」


 だがそんな苦し紛れの言い訳が蟻に通じるはずもなく―――。


「わかった」「うん」「了解」


 あれ?通じた?どうやら本当にオレの言うことには逆らわないらしい。はー良かった。そう安心したのが良かったのか悪かったのか。


 ぽんっと。オレのお尻から何かがでた。


「……………………………………卵だよな」


 蟻たちは素早く卵を咥えるとオレが元いた部屋へと卵を運んでいった。


「ははは……」


 乾ききった笑い声が零れる。どうやらきちんと女王としての勤めを果たしたようだ。オレの身の安全も保障されたらしい。その代償として男としての、人間としてのプライドは砕け散ってしまったが。


「いきなり蟻になったうえに女になってた? さらに卵まで産んで数十日後には一児の母?」 


 ふふ、はっははははは。


 だ め だ ナ ン カ 壊 レ 《《》》タ 。


「こんな人生嫌だ――――!」


 そういやもう人生終わってたんだっけ。これからは虫生か。壊れた頭ではそんなことを考えるのが精一杯だった。







 荘厳な造りをした暖かな暖炉。見るものが見れば目を剥きかねない調度品の数々。ここは天界。ありとあらゆる命が死後たどり着く場所。本来であれば前世の記憶をすべて忘れ新たなる命へと生まれ変わるはずだが、理不尽な死を迎えた生物は記憶と人格を保持したまま異なる世界で新たな命を与えられる。すなわち異世界への転生である。


 そう説明したのは神を名乗る老人だった。


「なら騎馬民族でいいですか? できれば族長の息子とかでお願いします」


 いくつかの質疑応答を行った後、軽薄そうな20代前後の男が自らを神と名乗った老人に答えを返す。その老人は穏やかに微笑みながらこう言った。


「あなたの望みは聞き届けた。できる限りのことをしよう」


 軽薄そうな男は一礼をしてから扉を開けた。すると扉から光が溢れ、男を包んだ。転生への準備に入ったのだ。




 男を見送った老人は別の扉を開けた。


 ――――そこにあったのは乱雑に積まれた本、つけっぱなしのパソコン、開けられたいくつもの菓子袋。一言で言うと散らかっていた。


 老人は椅子にどかっと腰を落ち着け机の引出しから煙草を取り出し、火を点けた。とても品が良いとは言えないだろう。そして引出しから滑り落ちた名刺にはこう書かれていた。




 天界 異世界管理局 地球支部 支部長 百舌




 天界において管理局の支部長という身分はそう高くはない。数多ある世界の内の一つを管理するだけの仕事である。ここでいう異世界とは天界以外の世界であるため、せいぜい地方の役人のまとめ役といったところだろう。


 だが百舌が自身を神と名乗ったのは嘘ではない。天界に住まうものはみな全て神の一部であり端末の一つであり、細胞のようなものだ。端末一つ一つは全能でも全知でもなくむしろ生物的な感情を有しているが故に一部の端末が不祥事を行うことも珍しくはない。




「お疲れ様です、百舌支部長」


 4人の転生者を裁定し終えた百舌にそう話しかけたのは妙齢の女性だった。


「あーお疲れ燕ちゃん。いまので最後?」


「はい。本日の転生者はすべて裁定しました」


 ふー、と吐いた吐息から白い煙があがり、愚痴ぐちともとれる言葉の数々をも吐き出した。


「ったく4人とも馬鹿ばっかりだなおい」


「おっしゃるとおりです」


「連中生まれ変わったらなんでも上手くいくと思ってやがる。俺達が能力付与すんのも無料じゃねーんだぞ」


「その通りです」


 上司である百舌に対し絶対の忠節と適切な助言を行う支部長補佐の燕。二人はまさに理想的な上司と部下の関係と言えよう。


「バスの運ちゃんは頭良くなりたいなんて言ってくるし、高校中退のババアは子供産むっつってうるせーし。挙句のはてには『お父さんとお母さんを仲良くして下さい』だぜ? てめーら死んだんだから分をわきまえろよ。あ、燕ちゃんはもう終わっていいよ」


「ではお先に失礼します」


 きびきびと一礼した後、燕の姿が消える。一人となった部屋で地上のありとあらゆる情報を映し出すパソコンをチェックする。さして興味はないようだが暇つぶしにさきほど転生した人間について調べるつもりらしい。


「さてさっきの転生者達の事件は何なのかなっと」


 転生とは理不尽な死を迎えた者たちに行われる天界からの‟賠償”である。ここでいう理不尽な死とは極普通の死ではなく、天界が原因となった死を指しているが――――先ほど彼が裁定した人間たちには知らされていない。


 転生のルールはいくつかあるが表向き重要なものは三つ。


 転生前に近い種族であること。


 死によって本来得るはずだった幸福に見合うだけの能力を与える。


 転生先の世界の均衡を乱さない。


 これらのルールに沿うように支部長が転生者を裁定する。ただし強力な能力には天界の資源を使う必要があり、それゆえ誰も彼も強力な能力を授けるわけにはいかない。もちろん公明正大かつ深謀遠慮たる管理局支部長がこれらのルールを破るはずはなく、ましてや資源を着服するなどありえないことである。


「ふーん、結構でかい事件だな」


 転生者達が巻き込まれた事件はバスの転倒事故として扱われおり、ニュースの一面を飾っていた。そこには大きな文字でこう書かれていた。


バス転倒5人死亡


「んん?」


 記事によると乗客乗員全員あわせて5人が死亡したらしい。先ほど裁定を行ったのは4人。つまり、


「一人……足りない?」






 天界のミスにより蟻に転生してしまった青年。魔物、人、神、そして大自然。ありとあらゆるものを敵に回してしまった彼は、それでも異世界で生きていく。

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