アムチャット

第2話 露命の教え

 豪雨明けのアムチャットの空は清々しい秋晴れだった。キーオーは爽やかな秋風に包まれながら、畑の畝に鍬を振り下ろしていた。野菜の収穫が一通り終わり、また新しい作物を育てるために土を耕さなければならない。あたりを見回すと、狭い谷のような土地に器用に開墾された畑がいくつもある。それぞれ畑ではキーオーと同じように村民たちが鍬を持って畑仕事に精を出していた。


 一見すると長閑のどかなこの村にも、つい最近まで痛ましい戦争があった。キーオーは生まれてから16年にわたって、その悲劇のすべてを目の当たりにしてきた。




 50年ほど前、大国間の大戦を避けるため世界中の国家を統合する運動がおこった。その中心にいたのは世界最大の大国「ラザール帝国」とそれに次ぐ領土を持つ「フラシリス」「デラル」の3か国である。やがて何度も話し合いが行われた末に3か国とその周辺国は統合し、世界の約8割の領土を誇る超巨大国家「連邦」が誕生した。


 連邦の最終目的は世界中の国家の統一であった。その思想の背景には、「今日において世界中の言語が同一なのは、かつて世界が一つの巨大国家であった証である」とするラザール帝国の考古学者たちの仮説がある。


 しかし一つの憲法、一つの議会を掲げる連邦に、文化も法律も異なる極北・極南の小国国家は反対し統合を拒んだ。その結果、連邦と反連邦国家の間で武力衝突が発生し、以後50年にわたって小規模な衝突を起こしながら、現在も膠着状態が続いている。


 キーオーの育った「アムチャット」という非常に小さく貧しい国は、連邦を形成する最も大きな国家、ラザール帝国の隣国であった。そんな小国を強大な連邦が統合するのは容易なことに思えたが、それは50年経っても出来ていない。


 それはアムチャットのもう一つの隣国が最大の反連邦国家である「ジーク」であり、ジークの最後の砦として、反連邦勢力がゲリラ戦法を武器に連邦軍に長い間抵抗してきたからである。ジークとラザールに挟まれたアムチャットは戦場となり、キーオーが生まれるずっと昔から、この地には沢山の血が流れ続けてきた。




 この人たちはどうして、戦うことも逃げることもしないのだろう。キーオーは村が破壊しつくされても何もしない大人たちを見て、子供ながらにそう思った。特に父と母は丹精込めて育てた野菜畑が焼け野原になっても、「家まで焼かれなくてよかった」「ほんとねえ」と冗談気味に笑い合っていた。




「なんでだよ。父さんたちが大切に育てた野菜たちをこんなにされたんだよ。悔しくないの?」




 すると母はしゃがみこんで、キーオーに目をあわせて言った。




「何もしなければ、連邦やジークだって私たちの命まではとっていかない。武器をとって彼らに歯向かえば、私やあなたなんて簡単に殺されてしまうかもしれないのよ」


「そうだ。キーオー、生きてこそ全てなんだ」




 父も母にそう賛同し、続けた。




「私たち人間の命は露のように儚い。ジークの兵士たちは戦いで命を落とすことを素晴らしいことだと言っているが、それは間違っている。人間はちっぽけなものだ。驚くほど簡単に死んでしまうし、簡単に忘れられる。だからこそ命を大切にして、自分の人生を精一杯生きることが大切なんだ」




 人間は露命の弱者。アムチャットに古くから伝わる教えである。人生は短く、しかもいつ終わるか分からないものだから、自分や家族のためにできるだけ多くの時間を使うべきだ、とキーオーは昔から教えられてきた。いつ死ぬか分からない冒険よりも、身の安全が確保された場所で穏やかに暮らす。彼はその教えをこう解釈した。


 だからアムチャットの人々はどんな理不尽な状況になろうとも、「露命の弱者」の教えに従い細々と暮らしてきた。




 そんなアムチャットにおいて、キーオーの叔父であるオードラス・ジグスは異端児扱いされてきた。叔父さんはジャーナリストとして世界中を飛び回り、新聞や旅行記を通して貧しい人々の実情を伝えていた。


 雨季になると帰省する叔父さんを、両親も含め村の者たちは変わり者扱いしたが、キーオーは叔父さんが話してくれる旅の土産話が大好きだった。家族が寝静まったころ、こっそり叔父さんの部屋に行き、ベッドに腰掛けていろいろな話を聞かせてもらった。


 蜂の巣のような家に何千万人もの人々が暮らす連邦の王都「ラッツァルキア」。家よりも大きな船が頭上を飛び交う港町「ゼ・ロマロ」。見渡す限り遮るものが何もない「シルーテル高原」。社会から離れ自然と共に暮らす人々「ムバイル族」。


 どれも小さな農村で暮らしてきたキーオーにとって、刺激的で面白いものばかりかった。自分もいつか冒険に出てみたい。キーオーはいつの日か、誰にも言えないそんな思いを胸の奥に秘めるようになっていた。


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