第24話 お見舞い

「勇人。もう行くから、ちゃんと安静にしていてね」

母親がドアの向こうからそう言って、仕事に行った。



 もうすぐ九時。


 俺はまだベッドの上にいる。


 俺は見事に風邪を引いた。

 汗で濡れたシャツとズボンで2時間以上も外にいたのだから、当然の報いだ。

 と、普段ならそう思っていたのかもしれないが、こんなことが自分推したことの報いになるとは、到底思えない。


 俺はまだ、璃奈に謝ることすら出来ていない。

 深夜の公園でああだこうだと情けない自分に文句を言っただけだ。

 まだ何もしてない。


 体温計をわきに挟む。

 38.5


 猛暑である。


 「とりあえず、寝よう」

俺は十数時間ぶりに、頭から布団をかぶった。


 

 俺の目を覚ましたのは、スマホだった。鶏の鳴き声を設定しているアラームではなく、ぽよよーんという着信音の方だ。


 「もしもし」

「やっと出た。北山くん大丈夫?」

志田だ。


「夜中に薄着で外居たら、風邪ひいた」

「何やってんの?」

「いや、だから」

「とにかく、放課後家行くから!安静にしてねお大事に―」

ずいぶん早口でまくりたてて、志田は電話を切った。


 「何をそんなに急いでるんだ」

志田が来るであろう五時前にアラームをセットして、俺はまた眠りに落ちた。



 「コケコッコー」

アラームが鳴る。


 時刻は五時前。

 ただ、鶏が鳴く方の時間とは半日くらいのズレがある。


 実は鶏が鳴くのは朝ではなくて、早朝と真夜中の中間らしいが、俺の近所に鶏は住んでいないから、よくわからない。


 朝に鶏の鳴き声で目覚めるのは、なんだか健康的だからという理由で、俺はこんな音にしているのだ。


 それにしても、エアコンというのは素晴らしいものだ。俺は頭から布団をかぶっていたのに、今度は汗の一滴も掻いていなかった。

作戦部長さんが、人類の至宝だというのも肯ける。


 数時間寝ただけで、夜の気持ちが何処かに流れて行ってしまう。

 今の俺はもう、昨夜の俺では無いのかもしれないとまで思えてくる。

 そんなどうでもいいことをベッドの上で考えていると、志田がやってきた。


 志田一人だ。

 志田によれば、長田は用事があって来れないそうだ。

 「まだ、熱あるの?」

「そういや、起きてから測ってないな」

ベッドの上、枕の辺りに両手を滑らせ、体温計を探す。


「なんで、夜中に薄着で外出たりしたの?」

脇に、体温計を挟む俺をまじまじと見ながら、志田が問う。

「ピピピッ」

「あ、もう微熱だ。」

37.5

明日は、学校に行けそうだ。


「今日ちょっと元気ないね」

志田が、プシュッとコーラを開ける。


「まぁ、風邪だからな」

「そうじゃないよ。」

目が合う。


 長い睫毛に縁どられた目。少し色素が薄い虹彩。

 三年間、学年のミス・ミスターコンで学年代表だった端正な顔が、俺を見つめる。


「教えて。昨日の夜、何があったの?」

「長田に、き」

「長田くんは、「心当たりはある。だけど、それは直接聞いてくれ」って言ってた」

「じゃあ、り」

「璃奈ちゃんは、今日は仕事があるから連絡できないって」

「教えてよ。」

「えっと、整理できてるかわからないけど、」

「気にしないよ」



 俺は、少しずつ話した。


 璃奈と言い争ったこと。


 長田がスキャンダルが璃奈だと教えてくれたこと。


 俺が最低な人間だということ。


 璃奈がリストカットをしていたこと。


 璃奈の相手が俺よりも良い奴だということ。


 公園に行ったこと。


 璃奈のことを何もわかっていなかったこと。


 俺がダメなファンで、ダメな兄だということ。


 

 「以上だ。」

言いたいことを全部吐き出すまで、志田は何も言わずに、ずっと俺の話を聞いた。

 俺が言葉が出なくて話すのが止まっても、涙と鼻水で自分でも何言ってるのかわからなくなっても、志田は話を聞いてくれた。


 「そっか、大変だったね」

志田の目頭が少し赤くなっている。

 「俺って、最低だよな。」

 気持ち悪い。独り言ならまだしも、友達の女の子の前でそんなことを言っている自分がたまらなく嫌だ。


「そんなこと言わないでよ」

 なんでお前が、悲しそうな顔するんだよ。


 「北山くんが、自分のこと嫌いになる気持ちはわかるよ。でも、そういう長田くんを見ていて悲しい気持になる人がいるのも、忘れないで。」

「お前、何言って」

「何でもない」

俯きながら、志田が俺の言葉を遮る。


 前髪が垂れ、ベッドにもたれて床に座っている志田をベッドの上から見下ろしている俺からは、表情は見えない。


 見えるのは、きつく結ばれている色も厚さも薄い唇。スッと通った鼻筋に、小さな鼻頭。

窓からさす夕日の陰になり、より白く目に映る陶磁の頬。



 「そういや、お前いつ」

「もう、帰るね。」

立ち眩みなのか、長時間座っていたからか、志田はゆっくりと立ち上がった。


「そうか、じゃあ玄関まで」

志田の右手が、ベッドから出ようとする俺の肩を押さえる。


「病人は寝てて」

「もう、微熱だから。」

「私にうつっちゃたら、どうすんの?」

垂れてきた前髪を左手で耳にかけながら、志田がいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「中間テストの勉強が捗りそう」

「でも、最後の記述模試受けれなくなったらどうするの!」

「お前、私立志望だからその模試関係ないだろ」

その記述模試を受けるのは、国公立と難関私立の志望者だけだ。


「いっぱい模試受けてたら、ずっとC判定でも、なんか余裕出てくるんだよねー」

「受験料でメンタルヘルスするわけか」

 不安になって、勉強も手につかなくなって、それで成績が落ちて、さらに不安になるという負のスパイラルから逃れるためなら、安い金額かもしれない。


「そうだよ。だから、今日は送らなくていい」

「そうか。じゃあな。わざわざ来てくれて、ありがとう」

「だって、北山くん友達だもん」

 志田は、笑顔を残して帰っていった。その笑顔は、今まで見た志田の笑顔の中で一番眩しかった。



 たぶんそれはきっと、窓からの夕日が重なったから。

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