第4話 colorfulとの別れ

 渋谷。


 一昔前には、若者の街と呼ばれ、いわゆるパリピ以外の若者を見つけるのは難しかったそうだが、今は割とそうでもない。


 俺とは、アマゾンの未開の地に住む先住民よりも遠い存在の、アパレルブランド店ばかりが詰まった人があふれかえっていそうなビルの周りには、オフィスが立ち並び、若者の街とは言っても、一昔前に渋谷にいた若者たちとは全く違った人種が多いように感じる。


 とはいっても、そのころの渋谷のことは映像でしか知らない。俺の記憶があるのはガングロギャルだとか、ルーズソックスとかの時代ではなく、ケータイをデコっていたり謎にダメージジーンズが流行ったころくらいからだ。


 しかし、オタクのホームタウンである秋葉原(俺が最も利用する駅と言ってしまうとほんの少しだけ過言だ)に比べると、やや近づき難いような印象を受ける。

志田は、学校の友達(志田は隠れオタクだから、もちろんその友達はオタクではない)とよく来ると言っていたし、長田はイケメンだから、サンフランシスコとかじゃなければ、どこでも普通に暮らしていけそうだ。カストロ地区に行ったら、少し言い寄られたりするかもしれない。


 そんなこんなで、渋谷という街への苦手意識と、志田と長田と自分を比べての劣等感を覚えながらしばらく歩いて、俺たちは今日の会場になっているライブハウスの前に到着した。


 「よし」

と小さな声で言ってから、志田はパーカーを脱いで、肩にかけていたトートバックに入れた。


 俺は、前を歩いていたサラリーマンを呼び止める。自分のケータイをポケットから取り出そうとして、肩越しに振り返って尋ねる。「俺のエイトなんだけど、テンだったりする?」

「私イレブンだよ。先月買った。」

と志田が渡してくれたスマホを呼び止めたサラリーマンに渡す。


 花壇に咲いている丸い花(確か、アリウムとかいう元素みたいな名前だったはずだ)を踏まないように跨ぎ、二人の間に入る。


 そして、三人で看板の前で肩を組んで写真を撮った。

 写真の中の志田は、普段学校で見るよりも何倍も楽しそうな笑顔だった。


 一般の人にとって、ライブというのは好きな音楽なんかを聞きに行くものであり、まるで映画館で映画を見るようなスタンスで、ステージ上のパフォーマンスを享受するものだと思う。


 (“思う”というあいまいな表現を使ったのは、俺自身が小学生くらいからオタクだったため、オタクじゃない状態でライブに行ったことがないからだ。)


 しかし、オタクにとってのライブというのは、そんなものではない。

ライブに行くことを“参戦する”という表現を使うことからわかるように、オタクにとってのライブは、参加するものなのだ。


 だからこそ全力で声援を上げ、コールをし、ペンライトを振る。


 もちろん、そんなことをするのは、自分自身が楽しいからというのも理由の一つだが、一番は自分が好きなアイドルだったり声優だったりが頑張っているからライブを見ている俺たちはこんなに楽しいんだぞということを見せたいからなのかなと思う。


 今日のcolorfulのライブはそんなオタクたちの自己満足ともとれるような情熱が、空回りというか悪目立ちしたようなライブだった。俺だけがそう感じたのではなく、俺の隣にいた長田と志田も同じだっただろうし、いつも通り最前列でメンバーの名前が刺繍された特攻服を着ている人たちもきっと同じだっただろう。


 その様は、もう短くなって使いにくくなってしまった鉛筆を愛着があるからというただそれだけの理由で、使い続けていた十年くらい前の俺の気持ちとよく似ていた。


 まず一曲目。ステージにスポットライトが当たるのと同時に曲が始める。

 『colorful全員集合!』というタイトルで、メンバー全員がそれぞれのソロパートで自己紹介をするという毎回恒例の一曲目だ。


 ソロパートのダンスでみっちゃんがフリを間違えた。ライブ終盤ならば、疲労だろうし、フリやフォーメーションが難しい曲なら仕方ないの一言で済むはずだ。


 しかし、みっちゃんは俺でも完コピできている簡単なダンスを間違えた。

 しかも、次のメンバーの北山リナのソロパートに入る直前で間違えてしまった。そのせいで次のメンバーのソロパートへの入りが悪くなった。


 一曲目が終わった後、メンバー全員がステージ上で一列になり、挨拶をする。ここでみっちゃんは、一曲目のダンスで失敗してしまったことを、ファンと、次にソロパートだった北山リナに謝った。


 ファンはもちろん、リナも笑顔で許したのだが、そこからライブの空気は少しずつ悪くなってしまった。


 二曲目は、去年の冬にリリースした冬の曲にありがちなしっとりとしたラブソング。梅雨の終わりごろという時期を考えると、しっとりしすぎの気もするが、人気曲なのも相まって、イントロから客席がかなり盛り上がった。


 この曲では、一番良い歌詞で曲のクライマックスでもあるCメロのラストで、キーンと甲高い音が鳴った。ハウリングだ。


 三曲目も四曲目も、そんな具合で小さなミスがあった。もちろん、メンバーだけが悪いというわけではなかったし、オタクというのはそのくらいでパフォーマンスが悪いなどと言ったりはしない。アイドルもスタッフも同じ人間だから、調子の悪い時だってあるのを誰もが知っている。


 しかし、俺や長田や志田と同じようにcolorfulのライブの常連客には、メンバーの表情や動き、会場の空気などから、告知されている重大発表が良い知らせではないかもしれないということは薄々わかってきていた。


 七曲目が終わった後、十五分の途中休憩があった。大人数のグループではユニット曲やソロ曲でステージ上に全メンバーが居続けるということが少ないため、途中休憩がない場合もあるが、colorfulの場合は、七曲目が終わった後に途中休憩というのは毎回恒例のことだ。


 俺たちは、ステージ裏でアイドルたちがやっているように汗を拭いたり、トイレに行ったり、水を飲んだりした。


 俺が販売機まで飲み物を買いに行って戻ってくると、長田がうつむいてスマホを触っていた。


 「休憩中でも、ライブ会場で携帯触るのはルール違反だぞ」

「わかってるよ」

と言いながら、長田はスマホを足元のトートバックに入れる。

「ただ、重大発表について何か情報ないのかと思ってな」

「卒業とか……かな」

トイレから戻ってきた志田が心配そうに言う。


 やはりだ。


 長田も志田も気づいていた。というか、感じていたのだ。卒業ではないにしても、メンバーは重大発表の中身を知っていて、それで今日は本調子じゃないということだ。


 アイドルの重大発表は、メジャーデビューとかツアー開催とかメンバーにも知らされていないサプライズ的なことも多いが、卒業だとかは事前にメンバー間で共有してパフォーマンスを終えた後にステージで発表というのも少なくない。


 でも、色々疑ってライブを楽しめなくなったら、ライブに来た意味がない。

 「とりあえず、発表の時までライブ楽しもうぜ」

「大変長らくお待たせいたしました」というアナウンスと共に暗くなった会場の中、俺は長田と志田にそして俺自身に向かってつぶやいた。


 

 プログラムで予定されていたすべての曲のパフォーマンスが終了した。


 ライブ前半と同じように、後半でも小さなミスがいくつかあり、会場の空気も変わらないままだった。


 普段なら、このタイミングでメンバーがはけて、一度ステージを照らすライトが真っ暗になり、ファンのアンコールに合わせてプログラムにない曲のパフォーマンスをするという流れになるはずだ。


 しかし、今日は違う。


 最後の曲が終わると、メンバが一列に並んだ。


 会場が暗くなる。


 足元でサイリウムの光が二匹のホタルのように揺れる。


 メンバー全員が一列になり、頭を下げたタイミングで、運営の人が出てきた。


 うっすら禿げた頭。下腹が張ったcolorfulのTシャツ。


 「ライブ前に告知していた通り、今日は重大発表があります。」

 会場が息をのむ中、ステージ上の少女たちは、妙に笑顔だ。

 「本日を持ちまして、colorfulは解散することになりました。今日まで応援してくださり、本当にありがとうございました。」

少女たちも同時に頭を下げる。


 俺はそのステージ上の出来事を、テレビのコマーシャルと同じくぼんやりと、第三者よりも遠い立場から見ていた。


 

 長田と仲良くなって間もない頃。


 街の図書館で高校入試のための勉強をしていた。俺も長田もそんなに勉強しなければならないほどではなかったので、受験勉強とは言っても、学校の宿題をやったり、参考書をやったりとそんな風なものだった。家から一番近い公立の普通校を受ける分には、誰だってそんなもんだろう。


 そんな時、長田が、妙にまっすぐ並んだ何だか嘘っぽい街路樹を見ながら、鼻歌を歌った。


 それは俺が先週CDを買ったばかりの曲だった。


 俺たちの会話は、この瞬間に勉強とは明後日の方向に行ってしまい、十時くらいに図書館に来たのに結局昼になる前には図書館を後にし、西武新宿線山手線と乗り継いで、行きつけのアイドルグッズショップまで向かっていた。


 そこで俺が長田に勧めたのがcolorfulだった。


 当時は、大体のメンバーが中学生だったこともあり、よほどコアなアイドルオタク以外は知らないようなグループだったが、曲もメンバーのルックスもそれなりに光るものがあるというのはSNS上でも噂になっていたたし、何よりも一番身内にものすごく詳しい人がいたものだから俺は詳しく知っていた。


「今なら古参ぶれるぞ」

という布教の常套句と共に長田にCDを渡した。


 

 それからもう三年。


 アイドルグループとしては、誰一人辞めず、休業もせずにこの長い活動期間、俺はずっと彼女たちの活動を追っていた。


 だからこそだろうか、長田が

「嘘だろ」

とうなだれている横で、

「解散……?」

と志田が涙をこらえている横で、

俺は好きだったグループの解散というオタクにとっては、北の国のミサイルよりもはるかに重要で重い事実を何の抵抗もなく、受け入れることが出来たのかもしれない。


 いや、俺は受け入れたというよりも、事実に対して、一切の反論や拒絶と言ったものがなかったのだ。

 


 運営の人の話はまだ続いた。


 「解散と同時に、この事務所で新しくアイドルグループを作ることになりました。グループ名やメンバーなどは未定ですが、プロデューサーは、秋田満さんです。」

誰でも知っているような超有名プロデューサーの名前に会場全体がほんの少しだけ熱を取り戻す。


 「なお、解散と新グループ結成に伴い、新しいグループに移籍するかどうかをメンバー全員に聞いてみた結果、古川美波と北山リナの二名が、新しいグループに合流することになりました。ぜひ今後とも、応援よろしくお願いします。本日は、お忙しい中本当にありがとうございました。」


 やはり、事前に聞いていたのだろう。


 誰も涙をこぼすことなく、彼女たちと運営のおじさんは、ステージ上からいなくなった。

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