遥か彼方の妹萌え

里仲光

第1話 プロローグ

妹。


 世間一般または、戸籍上でもいいのだが、「妹」とよばれる人たちは、若いうちさらに言えば彼女たちが10代の時期に、過大すぎる評価を受け、無駄に優遇されている。


“妹萌え”“妹キャラ”“妹系アイドル”なんて言葉が示すように、過大評価や根拠のない優遇を嫌う俺たちオタクの間でも、ただ妹であるというだけで付加価値を付けられるのだから、日本における妹についての過大評価は、今日の夜のニュースで取り上げられても不思議じゃないし、それどころか国会で話し合いの場が設けられてもいいレベルで深刻化しているはずだ。


 しかしながら、国会はおろかSNSや掲示板でも話題にならない辺り、「妹」の進撃は確実に進行しているはずだ。


地球温暖化や世界平和なんていくら議論してもどうにもならないようなことを議論するよりも、彼女たちを優遇し過ぎていることに対して議論した方がいいに決まっている。



 ツイートしても、せいぜい50いいねくらいしか行かなそうなどうでもいいことを考えながら、俺は、枕もとでうざったく騒ぎ立てる目覚まし時計を止め、窓を開ける。


 まだ“暖かい春の風”などとは程遠い肌寒い風が肌に刺さる。おかげでばっちり目が覚める。


 昔の中国の詩人が言うように、“春の眠り”というのはとても気持ちのいいものだが、寝ている間は意識がないから、目覚まし時計がなってからしばらくベッドの上でダラダラしながら世界平和とか宇宙人はいるかどうかとか、実は目覚まし時計が鳴って起きるという夢を見ていて、俺はまだ眠っているのかもしれないとかそんなどうでもいいことを考えている時間が最高に気持ちがいいという意味なのだろう。


 中二のころの俺なら、

「我が意識を覚醒させた光速の風の使い手風の神ゼピュロスよ!いざ尋常に勝負!」

などと騒ぎ立てたのかもしれない。


 いや、さすがにそこまではひどくなかったか。


 せいぜい俺の場合は、口には出さずに、頭の中で少し妄想して、思わず片方の口角が上がってしまうくらいの軽さで済んでいたはずだ。


 しかしながら、ギリシャ神話に出てくる風の神の集団アネモイの主要な四柱の神の中から、春と初夏のそよ風を運ぶゼピュロスを季節を考慮して持ち出すことが出来るあたりが、俺もかつてあの時期特有の病に罹っていたことを示している。


 もちろんそれは過去の話で、今の俺はある日突然手からビームが出るようになったり、車に引かれて病院の救急外来ではなく、中世ヨーロッパ風の異世界に行ってしまうなどということは、信じていない。


 そういうものは、鑑賞対象のコンテンツとして楽しむ分には良いのだが、自分が当人になって楽しいかどうかはまた別の話だ。


「ハクション!!」このくしゃみは、窓を開けたまま外に首を出していたせいだろうか、もしそうなら、もう換気も終わったことだし、閉めた方がいいか。


 窓を閉め、パジャマを脱ぎ、ヒートテックにそでを通す。

沖縄では新学期開始と同時に夏服という学校もあるそうだから、関東も寒いんだなということを自覚する。


 寝る前に見た天気予報では、日中は十五度前後だと言っていたから、今はまだ一桁かもしれない。一桁というだけで一段と寒く感じるから、九度と十一度の差が二度しかないとはとても思えない。


 「まあ、さすがにコートはいらないよな。晴れてるし」

とそうつぶやいて、ズボンに左足を突っ込んだ。ちなみに、どの足からズボンをはくのかというのは、男女で割合が結構違うらしい。確か、男性が左からが多くて、女性が逆だったはずだ。知らんけど。


 「朝ご飯出来たって。」

「おう」と返事をしながら振り向く。


 まだズボンをちゃんとはいていない。言い換えるなら、パンツ丸出しの俺。

妹の璃奈が部屋のドアを開けて、立っていた。


 ここで小さな悲鳴を上げながら慌ててドアを閉めたり、顔を真っ赤にしてうつむきながらもじもじと謝ったりするような妹だったなら、俺は妹という存在を妹はそれだけで尊いという文化を、受け入れることが出来たかもしれないし、どっぷりはまっていたかもしれない。少なくとも今のように、全く理解できない状況には陥っていなかったはずだ。


 しかし、璃奈はそんなオタクが考えた理想の妹とは程遠い。

何も言わずにドアを閉め、すたすたと階段を降りて行ってしまった。ツンデレ妹というのが好きな人もいるそうだが、そんな存在はワシントン条約で保護されてもおかしくないレベルの絶滅危惧種だろう。


 家族なんてものは、決してデレたり好きになったりするような関係ではないはずだ。これが、璃奈が当たり前で、アニメやゲームの妹ヒロインは虚像だ。

間違いない。


 あれはきっと妹がいない人が考えたんだ。制服に着替え、カバンを持って階段を降りる。



 普段は、俺が起きるよりも早く家を出ている父親が一緒に平日の朝の食卓にいるというだけでも変だ。しかし今日は母親がスーツを着ている。小学生くらいまでは、母がたまに着るスーツを見てかっこいいと思ったのだが、久しぶりに見てみると、顔とスーツのくたびれ具合が、お局OLのようだ。

 「勇人。今日は、璃奈の入学式なんだし、あなたも今日から新学期なんだから、早くしなさい。」

「新学期だから、今日はいつもより30分遅く登校なんだよ。」

「そういう屁理屈はいらないから、早く食べなさい。」

「へーい」

屁理屈じゃなく、事実だ。


 今日は入学式が終わって始業式。一年生と入学式を手伝う生徒会や放送部以外は、入学式が始まるころに登校し、初めてのホームルームをしたり、連絡先交換をしたり、春休みのことを話し合ったりして、入学式が終わってから、体育館に行って始業式をするのだ。


 したがって、新入生以外は普段よりも三十分以上も遅い時間に登校しても遅刻にはならないし、逆に早く行き過ぎると新入生やその親の中を通り抜けて登校しなければならなくなるから、かなり気まずい。


 事実を屁理屈だと決めつける母親を見て、俺は前言撤回することに決めた。

お局OLではない。たまに家にやってくる宗教勧誘のおばさんによく似ている。俺の話を聞かないで、そのくせ自分の意見は絶対に正しいと思い込んでいる。そっくりだ。


 玉子焼きとベーコン、そしてみそ汁とパンという意味不明な組み合わせの朝食を食べ終え、食器をシンクにもっていこうとしたとき、ピンポーンとインターホンが鳴った。


どうせ相手はわかっている。

友達の長田だ。

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