第140話 秘密の礼拝堂で

 ◇ ◇ ◇


 闇の司祭は出ることも出来ず、秘密の礼拝堂の中でじっと様子を窺っていた。

 リンたち剣闘士奴隷の突入を受けて、闇の司祭は書斎の祭壇から、慌てて荷物を地下に移したが、最後にこの小さな秘密の礼拝堂で闇の御子に祈りを上げる内に、逃げ出す機会を失ってしまった。


 だが、全てを闇の御子のお心に任せている闇の司祭は、この混乱こそが自分が輝くところだと信じているのだった。


「ふぉふぉ、面白い事になって来たのう。ますます混乱は増し、魂を刈り取る機会が増えるわい」


 外から屋敷の形状を見れば分かるが、書斎には作り付けの祭壇があって、横から見ると出窓の様に少し膨らんで見えた。そして隣の居間には窓側に納戸があって、窓が無かった。そのため居間が書斎より狭く感じるのは当たり前で、外壁側の更に奥に秘密の小さな礼拝堂があることに気が付く人は居ないだろう。


 だが、実は居間の外壁と納戸の間に小さな秘密の礼拝堂があった。入口は書斎の書棚を横にずらすと出て来る仕組みになっていて、居間の納戸側には無い。人生の終盤で人嫌いになった元辺境伯が、独り籠って神と対話をするために造った特別な部屋だった。


 闇の司祭はザップが屋敷の中を案内して、この小さな秘密の礼拝堂の入口を見せた時の、得意気な表情を思い出し、含み笑いが出るのを禁じ得なかった。人は秘密を共有する時、何かしら親しみを感じるものだ。何も知らないザップが闇の司祭に見せたあの親しげな笑顔を壊せるなら、今直ぐにでも自分の正体を明かして、驚かせてやりたいと思うのだった。


「ふぉふぉ、実直そうに見えて頭が固く、常識しか信じないザップの顔が、驚きと恥ずかしさで崩れるのが見えるようだわい」


 闇の司祭はエンドラシル帝国第8公国に居た頃から、色々な人の魂を刈り取って来た。闇の信徒であるゴブリンの魂も沢山刈り取って来た。闇の御子も随分お喜びの事だろう。闇の司祭は誇らしげに笑っていた。


「ふぉふぉ、因縁のこの屋敷で総仕上げと行こうかのう」


 七柱の聖女はこの世界で一番神の因子を色濃く引き継いでいる。それは言い換えれば、神の依り代(神意を受ける器)として一番優れていると言うことだ。でもそれは七神である必要は無い。彼女の魂は闇の御子の因子をたっぷりと受け入れるだろう。


 七柱の聖女を捕らえて、その魂を闇の御子に捧げる事が出来れば、人外のご褒美が待っているだろう。彼もまた闇の御子の因子を受け入れ、魔人へと転生することを夢見て来た。


 自分は魔人となって闇の御子に仕え、自分を受けいれてくれなかったこの世界を滅ぼすのだ。そして、闇の神の因子に基づく新たな世界を築く。闇の司祭は黒いガラスの義眼を見開き、誰もまだ見たことの無い世界を夢見るのだった。


「ふぉふぉ、自分の手を汚すことを知らん闇の主教なんて、お飾りにすぎんわえ」


 ◇ ◇ ◇


 ガイだった者は部下からの報告で、食堂の向こう側の仕切り扉が占拠されたことを知らされたが、不安は感じ無かった。最初からこのまま隠れて生き残るつもりは無かったからだ。ゴブリンの王として転生した時から、一瞬一瞬の瞬間を精一杯生きるだけだと考えていた。


「俺は闇の司祭とは違う。彼奴のように策を弄しても失敗するだけだ。その場の状況を見て決断する。一度は死んだ身だ。死ぬのなら目いっぱいの力でぶつかって倒れるだけだ」


 ガイだった者の頭の中に、懐かしい感情と共に何人かの人間の顔が浮かんだ。よく覚えていないが前世(人間時代)の知り合いなのだろう。名前も思い出せないその顔(リタやガッツ、シン)を一瞬思い浮かべ、ガイだった者は少し感傷的になった。だが同時に、闇の御子のとぼけた声も聞こえた気がして、含み笑いをして考えた。俺は普通に死ぬことが出来るのだろうか。


 ゴブリンの王であるガイだった者の身体がまた変化して来た。胸が厚くなり上背がしっかりとしてきた。身体を支える腰も四肢も太く丈夫になった。ガイだった者は若く成長の途上なのだ。


「うぉー、おー!」


 ガイだった者が両手を振り上げ雄叫びを上げると、周りに座っていた親衛隊が立ち上がった。盾と剣を持ち上体を揺らす。彼らはガイだった者の感情の揺れを感じ、身体を使って共感していた。それは狼の群れが持つような野生の一体感だった。


「うほー、ほー!」

「うほー、ほー!」


 動きと、叫び声が周りに伝播して行く。ざん、ざん、ざん、と床を踏み鳴らす音が加わった。

 そしてどこにでも道化者が居る。無闇にくるくる踊り回る者が出て来て、食堂は一気に沸き立った。群れの感情が戦いに向かって行く。


「うほー、ほー!」

 ざん、ざん、ざん。

「うほー、ほー!」

 ざん、ざん、ざん。


 ガイだった者が立ち上がり、通路に出る。

 仕切り扉の前に控えていたゴブリンたちが立ち上がって、彼を迎えた。


「うほー、ほー!」

 ざん、ざん、ざん。

「うほー、ほー!」

 ざん、ざん、ざん。


 さあ、再び扉を開けて、混沌を蒔き散らそう。

 この世界の者たちは思い知る事になる。闇の信徒の破壊力とそれによってもたらされる惨状によって。


 ◇ ◇ ◇ 

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