会いに行くよ

口羽龍

前夜

 ここは名古屋拘置所。死刑判決を受けた人々が収容されている。人々はわずかな青空しか見えない牢屋で、いつ来るかわからない死刑執行の時におびえている。


 ここから1人の男が出てきた。男の服はボロボロで、元気がなかった。目がうつろで、ひげはぼうぼうだった。


 男の名は山田光之、昨日まで拘置所にいた男だ。光之は死刑を宣告された後、冤罪であることがわかり、出所することになった。


 光之は福井県の農村で生まれた。生まれてすぐ両親が離婚した。母はわずかな収入ながら光之を支えた。


 小学生や中学生の頃は友達が多くできて、とても充実した毎日を送ってきた。たくさん友達ができた。児童会の会長になった。


 高校生になると、いじめを受けた。光之は先生に相談したものの、いじめは解決しなかった。光之はその時初めて、不遇な日々を送った。


 大学でも充実な生活だった。名古屋の大学の法学部に進学して、色んなことを学んだ。多くの友達に恵まれた。卒業後の就職も決まり、これから社会人としての生活が始まると思っていた。


 だがその矢先、光之は殺人容疑で逮捕された。殺人なんてしたことがない光之は無罪を主張した。だが、警察は聞き耳を持たなかった。まるでいじめられているようにも見えた。


 裁判では最高裁でも死刑判決を受けた。光之はそれでも無罪を主張したが、聞き入れてもらえなかった。


 それ以来、光之は拘置所の牢屋で暮らしていた。わずかな運動の時しか牢屋の外に出られない。毎日そんな日々だった。光之はいつ来るかわからない死刑執行におびえる日々を送っていた。


 そんなある日、光之は檻を出るように言われた。無罪だということが明らかになったからだ。光之は喜んだ。神様がまだ死ぬべきではないと言っているようだと言って、喜びを表した。


 だが、不安なこともあった。周りの親族はみんな死んでしまい、20年近く全く就職していない。最終学歴が大学中退だ。光之は生まれ故郷で農業を営み、残りの人生をのんびりと過ごすことになった。


 光之は歩いて市役所に向かっていた。この近くに地下鉄名城線の市役所駅があるからだ。目的地の福井の農村までは地下鉄で名古屋駅まで行って、そこから特急しらさぎで福井駅まで行く。そこから九頭竜線に乗り換えて終点の1つ手前の越前下山駅で降りる。そこからは友人の車でその集落で行く。


 光之は辺りを見渡した。名古屋市は変わり果てていた。大学生だった頃にたびたび名古屋市内を散策していた時は高層ビルはなかったのに、名古屋駅周辺に何本かの高層ビルが建っている。


 光之は市役所駅に着いた。市役所駅は名前の通り、市役所の最寄り駅だが、その隣の県庁だけでなく、名古屋城の最寄り駅でもある。官庁にも近く、ここで乗り降りする人は多い。


 光之は名古屋までの切符を買った。光之は切符を見て、切符を持つなんて、旅をするなんて何年ぶりだろうと思った。ただ牢屋で昼も夜もない、突然訪れる死の恐怖に耐えてきた。すがすがしい半面、これからの人生に不満を感じていた。


 光之はホームにやってきた。名古屋駅まで左回りに乗って栄で東山線に乗り換えて、名古屋駅まで行く。ホームは今日も賑わっていた。この時間帯は名古屋城への観光客が多い。観光客と思われる人が多かった。


「黄色い点字ブロックの内側でお待ちください。1番ホームに、名古屋港行きが来ます」


 アナウンスが流れた。アナウンスもまるっきり変わっていた。やってきた電車も変わっていた。黄色に紫の帯が入った電車だったのが、ステンレスに紫の帯が入った電車に代わっていた。


 光之は電車に入った。中はそこそこ込んでいた。ビジネスマンもちらほらいたが、この時間帯はもっぱら観光客が多い。


 電車は栄駅に着いた。ここで東山線に乗り換える。東山線は名古屋で初めての地下鉄で、最も混雑する地下鉄だ。東山線はラッシュを過ぎても賑わっていた。


「名古屋方面、高畑行きがまいります。ホーム柵から離れてお待ちください」


 東山線にはホーム柵が付いていた。ホーム柵は、ホームへの転落を防止するためのもので、光之が逮捕される前はなかった。


 光之は様変わりした栄駅に驚いていた。大学生の頃、東山線では黄色一色の電車、通称『黄電』とアルミ製の電車、そしてステンレス製の電車が走っていた。だが、今はステンレス製の電車が走っていた。その中には、光之が逮捕される前にはなかった電車もいた。


 光之は高畑行きの電車に乗った。光之が乗ったのは逮捕前にはなかった電車だった。ドアの上には液晶があって、行先、停車駅、今どの辺りかを表示していた。服役中に、世界はこんなに発展したのか。光之は驚いていた。


 5分足らずで電車は名古屋駅に着いた。名古屋駅までの停車駅は同じだった。ここから福井駅までは特急しらさぎで向かう。


 光之は名古屋駅の東海道線ホームに向かった。光之は名古屋駅を見上げた。名古屋駅は様変わりしていた。地上約250mの駅ビルが建っていた。こんな大きな建物が建っているとは。光之は信じられなかった。


 光之はみどりの窓口で福井駅までの特急券と越前下山駅までの切符を買った。今度のしらさぎは4番線から出る。光之は4番線に向かった。


 光之はホームにやってきた。ホームにはすでに特急が停まっていた。20年近くで電車も変わっていた。白い流線形の電車だ。


 光之は電車に乗った。電車は清潔で、デッキのドアは自動だ。光之が取ったのは自由席だ。


 光之は座席に座った。ひじ掛けの付いた椅子なんて、何年ぶりだろう。牢屋に椅子なんてなかったし、面会の時の椅子はひじ掛けがなかった。


 光之はあまりの心地よさにそのまま寝入ってしまった。




 光之が目を覚ますと、長いトンネルの中だった。北陸トンネルだ。北陸トンネルは敦賀駅と南今庄駅の間にある10km余りの長いトンネルで、完成当時は日本最長だった。それまでは、絶景もある急勾配の区間を、4ヶ所のスイッチバックで越えていたという。


 福井県に入ったことを知った光之は故郷のことを思い出した。小学校や中学校の頃の友達はどこにいるんだろう。また会いたいな。会って色んなこと話したいな。


 無罪判決が出た時、小中学校の頃の同級生が手紙を送ってきた。彼らは光之は無罪だと訴えてきた。無罪と知った時にはとても喜び、祝賀パーティがそれぞれで行われるぐらいだ。


 光之はその手紙を読んでいた。その中身は、元気にしているか、早く会いたいなという内容がほとんどだ。


 光之は彼らのことを思い浮かべた。中学校を卒業して、名古屋に移り住んでから、全く会っていなかった。久々に会いたいな。そして、今までの人生を語り合って、一緒に飲みたいな。


 しらさぎは武生駅、鯖江駅と続けて停まっていき、次は福井駅だ。光之は慌てた。福井駅で九頭竜線に乗って、越前下山駅で降りる予定だ。


 しらさぎは福井駅に着いた。福井駅は高架になっていた。中学校を卒業して福井を出た頃は地上駅だった。光之は福井駅の変わりように驚いていた。


 九頭竜線は敦賀側の切り欠きホームから出る。ホームにはすでに九頭竜線の電車が停まっていた。1両編成だ。


 九頭竜線は愛称で、正しくは越美北線という。戦後になって開業した、比較的新しい区間だ。光之が降りる越前下山駅まで開業したのは昭和47年で、光之はこの頃に生まれた。


 名前の通り、今は長良川鉄道の越美南線とつないで越美線となる予定だった。だが、九頭竜湖と北濃の間が開業せずに、工事は凍結した。


 光之は九頭竜線に乗った。乗客はまばらだ。九頭竜線は乗客が少なく、越美南線ともども廃線の危機になった。だが、九頭竜線は豪雪地帯であるがゆえに代替が難しく、残っている。越美南線は第3セクターの長良川鉄道が引き継いでいる。


 光之が中吊り広告を見ると、美しい鉄道風景が飾ってある。『青春18きっぷ』だ。5枚つづりで、12050円。1枚につき在来線の普通、快速が1日乗り放題の切符だ。


 光之は考えた。この切符を使って手紙をくれた小中学校の同級生に会いに行こうか。今どうしてるだろう。再会して、これまでの日々を話したい。


 福井駅を出発して約1時間半、列車は越前下山駅に着いた。越前下山駅はトンネルの間にある駅で、高い築堤にある。この時期に作られた駅にはよくある。


「みっちゃーん!」


 光之がホームに降り立った。すると、築堤の下から、声が聞こえた。宗太だ。宗太は小中学校の同級生で、今でも同じところに住んでいる。彼もまた光之に手紙を送っていた。また、出所後にここで農業をすることを勧めたのも彼だ。


「おー!」


 光之は元気に答えた。光之は約30年ぶりに宗太に再会できて嬉しかった。光之は思わず笑顔になった。


「待ってたんよ。辛かっただろ?」

「うん」


 光之はホームへの坂道を下りて、宗太の元にやってきた。その横には宗太の軽トラックが停まっている。


 2人は軽トラックに乗り込み、集落に向かっていた。


「俺、信じとったんやで。みっちゃんはやってないって。だって、証拠がないんだもん。証拠がないのに、証言だけで死刑にされるなんて、おかしいだろ?」

「うん。おかしい。やってないのに死刑宣告されたのが信じられない」


 光之は急に表情を変えた。九頭竜線の中吊りで見た『青春18きっぷ』のことを話そうとした。


「で、宗太くん、俺、ちょっと旅に出ようと思うんだ」

「えっ、何で急に?」

「出所する直前に、小中学校の同級生から手紙があったんだ。それで、JRの『青春18きっぷ』を使って、その人達に会いたいなと思って」

「へぇー。いいじゃん。会ってきなよ。きっと心配してると思うよ」


 軽トラックは茅葺き屋根の家に着いた。ここが光之のこれからの我が家だ。


「さぁ、着いたぞ」

「送ってくれてありがとう」


 光之は軽トラックを出て、軽くお辞儀をした。


「明日の朝、何時に出たいか考えといてね」

「ああ」


 軽トラックは宗太の自宅に向かった。光之は用意された鍵を取り出し、家に向かった。


 光之は鍵を開けて、家に入った。家は何年も使われていなかった。だが、出所する光之のためにここに残った幼馴染が集まって、リフォームをした。


 座敷でくつろぎながら、光之は5日間の道のりを計画していた。光之は、畳の上に立つなんて、久々だ。牢屋には畳なんてなかった。


 まずは大阪の大正にいる仁(ひとし)くんに会って、それから神戸に行って淳(じゅん)くんに会って、姫路の幸太郎(こうたろう)くんに会って、岡山の聡(さとし)くんと飲み合って、一緒に泊まろう。




 その頃、広島ではある女が1人で暮らしていた。女の名は遥(はるか)。先日、夫を失ったばかりだ。1人の娘がいたが、大学進学を機に1人暮らしを始めた。


 遥は夫の写真を見ていた。遥は夫を失った辛さでいっぱいだった。記憶喪失の自分にやさしく接してくれた。もっと一緒にいてくれると思っていたのに。


 ふと、遥は思った。記憶喪失する前の自分は、いったい誰だったんだろう。ぜひとも知りたい。明日からしばらく旅に出よう。遥は自分が本当は誰だったかを知る最後のチャンスだと思った。

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