3
「くそっ! 一体何がどうなってるんだ!?」
「――そういえば、クヴィスタは?」
クルスに助けられたとき、クヴィスタはゲルハルトに連れて行かれたはず。
天音はゲルハルトの家の中へ入った。
その床には仰向けでぐったりしたクヴィスタの姿があった。
「クヴィスタ! 大丈夫! 私がわかる!?」
クヴィスタの体は小さい子供のように軽く、まるで生気を感じられない。
「……あんたは、ご主人様が見張っとけって言った……ゲホッ」
「クルスさん! この子を魔法医のところへ連れて行ってくれませんか?」
「し、しかし……治癒魔法がなければ、どのみち手の打ちようが……」
家の扉の前でクルスさんは立ち尽くしていた。
「ゲホッゲホッ。し、死にたくねぇ。あたしは……奉公が終わったら……とーちゃんとかーちゃんと妹たちに会うんだ……」
「ク、クヴィスタ……」
まだゲルハルトに騙されてることに気がついていないのか。
「ゲホッゴホッ……カハッ」
「死んじゃダメよ! ……家族に、会うんでしょ!」
「ああ、そうだな……そうなったら、いいな……」
そう言って、クヴィスタの全身から力が抜ける。まるで魂が抜け出してしまったかのように。
「うっ……こ、これは……?」
クルスさんはその場で片膝をついて倒れそうになった。ハンカチのマスクを外して溢れる鼻水を拭う。
「まさか、僕も……」
ちゃんとしたマスクじゃなかったから意味がなかったのか。
それを見ていた天音も妙な倦怠感に襲われる。天音にも風邪がうつったのか。
だとしたら、薬も病院もないこの世界でそう簡単に治せるはずがない。
ここで死ぬのか。
絶望と悲しみに襲われ――天音の意識はそこで途切れた。
冷たい風が全身を撫でる。
しかし、寒いとは感じなかった。
ただ何となく、人の世界の温もりのようなものは一切感じることができなかった。
声も聞こえない。ただ風の音だけが虚しく響く。
こここそが本当の死後の世界なのか。
天音は指先から全身へ力を込める。
するとさっきまでの倦怠感もなく、生きている実感が湧き出してくる。
何となく、あのファンタジー世界へ行ったときと同じような感覚。
目を開くと、そこは見たこともない場所だった。
どこまでも続く荒れ果てた大地。草も木も一本もない。
遠くに、ビル街のような物が見える。
風が砂埃を巻き上げ、まるで世界そのものが灰色のようだった。
辺りに人の気配はない。
……というか、生き物の気配さえないように思えた。
一体、ここはどこなのか。
あのリンデート王国でも天音がよく知る地球でもない。
ただ、遠くに見えるビル街のような物は、少なくとも城よりは天音の世界に近いような気がした。
「……とにかく、行ってみるしかないか」
自分に言い聞かせるようにそうつぶやいてビル街を目指して歩き出した。
一歩進むごとに力強さが蘇る。
どうやら、天音にはあの風邪はうつっていなかったらしい。
自分がまだ健康であることに少しだけホッとする。
歩くごとにビル街のような場所に近づいてはいるが、それと同時にこの世界の異様なまでの静けさに嫌でも気付かされる。
時折吹く風も、ほとんど音を立てない。
なぜなら乾いて荒れ果てた大地が広がっているだけなので、草や木がこすれる音は立てられるわけもない。
そして、草や木がないってことはそれを餌にする虫もいない。
虫もいない世界に動物などより存在するはずもない。
それでも、明らかな人工物があると言うことは、何もいないわけではないと思う。
あるいは、そう思っていたいのか。
段々と建物の状況が見えてきた。
それは確かに天音が住んでいた元の世界――地球にあったビルによく似ていた。
ただ、どの建物も壊れていた。
近くまで来るとビル街が大きな都市の一つだとわかった。
道路が整備されているところにゲートのような物があったが、それも半分から折れてしまって本来の用途を成していない。
天音はその街に足を踏み入れた。
さっきまでの荒れ果てた大地とは違って真っ直ぐと道路が整備されている。
少し進むと道路が碁盤の目のように張り巡らされていることがわかる。
しかし、所々穴が開いていたり、ひびが入っていたり、何年もほったらかしにされたみたい。
天音は歩いていた感触から気になったので道路を触ってみた。
その道路は天音がよく知る舗装された道路とは材質がまるで違った。
ただ、感触で違いはわかってもそれが何であるかまではわからない。
「誰かいませんかー!!」
取り敢えず叫んでみるが、人の声は返ってこない。
パリンとガラスの割れる音がしたのでそっちを見ると、そこには円筒形のタワーのような建物があった。
元は外壁が全てガラスだったのだろう。そのほとんどが割れてしまって、近づくのも危ない。
他のビルもどれも似たような有り様。
半分から崩れ落ちているビル。
真っ二つに割れてしまっているビル。
三日月のように円形に抉られているビル。
骨組みだけになってしまったビル。
地面に埋まってピサの斜塔のように斜めになっているビル。
まともに残っているビルは一つもなかった。
だが、それでもわかったことがある。
どのビルも規模やそのデザイン、材質も全てが天音が元いた地球の物より技術的に優れた物だと言うこと。
もしこのビルが全て壊れていなければ、この街はきっと天音の想像する未来世界のようだっただろう。
「……まさか、今度は時間を超えて移動した?」
あまりに短絡的な考え。
まずは何か手がかりを探さなければならない。
崩壊しているとは言え、これだけの規模の街だ。ここがどこか、何かしらの手がかりはあるに違いない。
とはいえ、困ったことにどのビルも壊れかけていて、中に入って調べる気にはならなかった。
道路からビルを一つ一つ眺めてみる。
「――あ! 誰か!?」
人影らしきものを見かけて近づくと、それはただのマネキンだった。
服は着ていない。
奪われたのか、それともこの街が崩壊したときに巻き込まれてなくなったのか。
ああでも、それならマネキンそのものが壊れているはずだ。
そのビルの正面に行くと『368ショッピングビル』と書かれていた。
「……ここも日本語で書かれてる」
それが元の世界の証拠になるのかというと、そうではないことはすでに知っていた。
あのファンタジー世界。リンデート王国でも言葉は日本語だった。
今回ほどマジマジと字を見ていたわけではないが、文字も同じだったと思う。
いや、本当は違う言葉なのかも知れない。でも天音には日本語に聞こえるし日本語に見える。
異世界へ移動する力に何らかの作用があって天音にわかりやすいように翻訳されているのだろうか。
あまりにご都合的過ぎることを除けば、実際に日本語として認識できる以上そうなんだろうと納得してしまうしかなかった。
だって、天音の英語の成績はやっぱり平均点で、地球の言葉でさえ満足に理解していないのに、異世界の言語が地球のものとまったく異なっていたら理解できるはずがない。
「……それにしても、どうして誰もいないのよ。これじゃまるで、人間が滅んだ後の世界じゃない」
自分で言ったことにゾッとした。もし本当にそうだったら、どうしたら良いのだろう。
クルスさんが言っていたように異世界を移動する魔法を見つけて助けに来てくれるだろうか。
……あまりに他人任せで身勝手な考えだった。
そもそも、クルスさんも疫病に罹っていなかっただろうか。
助けに行かなければならないのは、あの疫病を治す薬を知っている天音の方じゃないか。
でも、それも元の世界に戻らなければならないし、さらにそこで薬を用意してまたリンデート王国の世界へ行かなければならない。
そもそも、天音はどうして異世界へ来てしまったのか。
クルスさんの世界にそんな魔法はないといっていた。
いや、もし仮に魔法が存在したとしてもそれが天音に使えるはずはない。
だって、天音の世界の誰が魔法を使えるというのか。
……ダメだ。
立ち止まっていると余計なことばかり考えてしまう。
幸いこの街は広い。
まだ百分の一だって見て回っていないだろう。
まずは地図が書けるくらいしらみつぶしにこの街を探索しよう。
いろいろ考えるのは、手を尽くしてからでいい。
となると端から見て回った方が効率的か。
この街の道は碁盤の目のようになっていたから、次の角を左に曲がって進んでいけば一旦外に出られる。
街の外周から徐々に中へ向かって調べていこう。
そう思ってビルの間を抜けようとしたら、遠くから何か物音が聞こえてきた。
風や振動でビルが崩れる音とは違う。
規則的な音は、まるで何かが歩いているかのよう。
近づくにつれて、コツコツとはっきりとした足音だとわかる。
天音は誰かが存在するといううれしさのあまり、警戒するのも忘れてビル街を駆け抜けた。
丁度道路が終わったところ、ここにもゲートがあったが、やはりその面影だけが残っているだけでゲートのバーそのものがなくなっていた。
その先に何者かが佇んでいた。
「――あ!?」
近づいてみて、天音は思わず声を発した。
「――へ?」
天音の声に驚いたのか、それは振り返ってそう言い、手に持っていた何かを落とした。
「ロ、ロボット……?」
そこに佇んでいたのは、人間ではなかった。
いや、遠目には人間の形に見える。
そのロボットは人の形はしていた。ただ、肉や肌で覆われてはいないので機械そのもので銀色の体。瞳にはカメラのレンズがはめ込まれている。口や耳もなく、その部分にはスピーカーと何かセンサーのようなものが取りつけられていた。
瞳のレンズがキュルキュルと細かく動きながら音を立てる。
「……そう言うあなたは、何者ですか?」
「何者って言うか、やっぱり言葉がわかるのね」
相手が人間じゃなくても言葉が通じるというのは心強い。
その言葉遣いがあまりに丁寧だったので、天音はつい砕けた言い方になってしまった。
意識していたわけじゃないけど、天音の世界のロボットは人間のために存在する。
だから、このロボットもそうなんだろうと勝手に思っていた。
あの崩壊した街を観た後で、唯一動いている物であるロボットが人間の味方だという保証などないのに。
「はい、問題ありません。私が理解している限り、あなたの言葉は第三区画ジルパが使っていた言葉と同じですので」
「……日本語じゃないんだ?」
「ニホンゴ? その言葉の意味は登録されておりません。何か意味のある言葉なら記録しておきます」
「いえ、その必要はないわ。それよりも、これは何? あなたはここで何をしているの?」
さっきロボットが落としたものを拾う。
それはいくつものゴマのように小さな黒い粒。
何かの種のようだった。
「私は、この世界に……この惑星ムートに命を蘇らせたいのです――」
ロボットに表情なんてあるはずはない。
それなのに、空を仰いだロボットの瞳はどこか悲しげだった。
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