第二章 時空間転生!?
1
クルス=M=アレキサンドラ。リンデート王国所属の魔道士。十八歳。
背は百七十くらいでスラリとしていて華奢に見えるが、ゲルハルトと戦った姿から運動神経は高く魔道士とは思えないほど。
さらさらの黒髪に切れ長の瞳。一緒に歩いていると街の人が注目してしまうほどに整った顔立ち。
天音はクルスさんに連れられて役所というところへ向かっていた。
そこは城にほど近い場所で、門番と同じような制服を着た人たちが出入りしていた。
外壁はレンガ造りで中は板張りの床。
入って正面には受付カウンターがあるところは天音の世界の役所と変わらないんだなと思った。
クルスさんがその受付カウンターに座っていた人に一言二言何かを話すと、天音を伴って左奥の階段を上がって二階へ向かった。
廊下の突き当たり、一番奥の部屋へ二人で入った。
「失礼します」
「し、失礼します」
一応クルスさんと同じように挨拶をするが、返事はない。部屋の主は机に重ねられた大量の書類に判を押しながら格闘していた。
「例の人身売買を行っていた者についてご報告したいことがあるのですが」
「一報は聞いてる。珍しく取り逃がしたらしいじゃないか」
「申し訳ありません。狭い店内での戦闘になってしまって……」
「それで、その子は?」
役人は書類を見る傍らチラリとだけ目配せをした。
「どうもゲルハルトに売り飛ばされそうになっていたようですが、どこで誘拐されたのかまったく記憶がないみたいで……」
「行方不明人のリストの中にも該当者はいなかったのか」
「はい。といいますか……名前が、ちょっと」
「名前? 君、何という名前なんだね」
やっとそこで書類を机に置いて役人は天音を見据えた。
「あ、はい。照日天音と言います」
「テルヒ=アマネ……? また妙な名前だな。まるで名前と苗字が逆のようにも聞こえるし。誘拐されたことは何も覚えていないのか?」
「その事なんですけど、記憶は失ってはいないんです。ただ、本当のことを言って理解してもらえるかどうか」
ここでならこの世界へ来た経緯を話しても大丈夫だと思った。
「私、別の世界からこの異世界へ来てしまったんです。それで、右も左もわからないところにあの人が来て……」
クルスさんも役人も表情が強張ったまま固まっていた。
「別の異世界? 君は、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
役人は天音に対して怪しいものを見るような目を向けた。
クルスさんは少し考え事をしてから聞いてきた。
「それは、世界を飛び越える魔法か何かを使ったということかい?」
「……魔法では、ないと思います」
「……そうだろうね。僕もそんな魔法は聞いたことがない」
天音もクルスさんも役人も皆一様に難しい顔になってしまった。
しかし、何かを思い出したように役人が書類の山から一枚の紙切れを出した。
「と、取り敢えずこの件は報告書を作っておくが、実は今回の件とは別に厄介な問題が舞い込んできてな」
「厄介な問題?」
「それについて詳しくは国王直々に君に仕事を頼みたいとおっしゃってるんだ」
「人身売買の件と平行で、ですか?」
「いや、どうやらそれよりも喫緊の仕事らしい。できればこのまま城へ向かってくれないか?」
「……異世界から来たって言うテルヒさんと何か関係があることなのかな」
「いやぁ、よくはわからないから。一応連れて行った方が良いんじゃないか?」
「そうですね。申し訳ないけど、テルヒさんにはもう少し僕に付き合ってもらうよ」
「はい」
むしろ喜んで付いていきたい。クルスさんの側にいれば安心だし、何より城に入れて国王に会える。
なんだかやっとおもしろそうになってきた。
役所から城の門は目と鼻の先だ。
馬車に乗る必要はないから、そのまま二人で歩いて門へ向かった。
門番はクルスさんの姿を見ると、馬車を通すときに確認していた通行書など求めることなく恭しく一礼するだけだった。
城の一階は大広間になっていて、まるで演劇の舞台のような階段が目の前に広がっていた。
廊下の右端や左端にも扉があるので部屋があるみたいだが、クルスさんは真っ直ぐ階段を上ってしまったので勝手に探検するわけにもいかない。
天音も後に続く。
二階は玉座があって天井が高い。五階建てビルくらいはあるだろうか。吹き抜けになっていた。ここが謁見の間という場所だろうか。
玉座にはもちろんこの国の王が座って腕組みをしていた。
ワンピースのような服にマントを羽織り、金の冠を被っている。
シンプルな装いだけど、どれも生地からして高級そうだということは天音にもわかるほどだった。
長い茶髪の髪に口ひげを蓄え、精悍な顔つきはそれだけで威圧感を与える。
年は三十代後半くらいだろうか。
座っていても背が高く体格がよいことが窺える。
「ベルントラム国王陛下。お呼びだていただきありがとうございます」
「クルスよ、堅苦しい挨拶は止めてくれ」
「はい。それで、喫緊の仕事とは」
「ふむ。それよりも、そなたいつ嫁を作った」
「――は!?」
天音とクルスさんの声が重なった。
「いえ、この子は僕の嫁ではありません。仕事で助けて、成り行きでここにお連れしただけです。それについても、ちょっとお話ししておきたいと思っていたのですが……」
「例のあれか、我が国で人身売買を行っている輩がいるとかいう」
「申し訳ありませんが、実は犯人を逃がしてしまいまして。もう一人被害者がいたのですがその子も犯人に連れて行かれてしまったので。この子――テルヒさんに協力してもらおうと思っているのです」
クルスさんが天音の手を引いて王様の前に立たせたので、会釈をした。
「……ずいぶん、珍しい格好をしているな。どこの出身なんだ?」
「それについてですけど……いや、僕の口から言うよりテルヒさんから話してもらえるかな?」
「はあ……えと、私は異世界――地球という日本からこの世界に来てしまった。照日天音と言います」
王様相手に嘘をついても意味がないので、天音は正直に自己紹介をした。
「…………クルス、そなたはこの子が何を言っているのか、理解できているのか?」
王様は訝しげな表情をクルスさんに向けてそう言った。
「嘘を言っているわけではないと思いますが、僕の知識の中に異世界から移動するような魔法はなかったと思います。つまり――テルヒさんはまだ僕たちの知らない魔法を使った可能性があるのかと予測はしていますが……」
「新魔法の発見か。それでそなたが直々に面倒を見ることにしたのだな?」
「……恐れ入ります。事件の手がかりである以上に、好奇心が抑えられませんでした」
「まあよい。それに関しては進捗があったら直接私に報告しなさい」
「はい」
「それじゃ、本題に入ろう」
そう言って王様は一枚の紙を出した。
「クルスよ、そなたには人身売買の件で街外れの調査をしてもらっていたが、何か気がついたことはなかったか?」
「……いつも以上に人の気配がありませんでした」
「ふむ、さすがだな。よく見ておる。実はまだ公に発表してはいないのだが、街外れを中心に妙な病が流行っているのだ」
「妙な病? といいますと」
「高熱と激しい咳、それに鼻づまり。魔法医による治癒魔法では治らず、すでに死者も数十人近くになろうとしている」
「治癒魔法が効かない病。それは、確かに……」
「すでに他の魔道士にも今の仕事を中断させて疫病対策に当たらせているのだが、原因も対策も立てられていないのが現状だ。このままでは数日のうちに城下町全体に広がりかねん」
「わかりました。僕もその疫病について調べてみましょう」
「頼んだぞ。これは魔法研究所の特別活動許可書だ。これを持って行けば研究所に所属していないそなたでも研究施設がある程度自由に使える」
「ありがとうございます」
クルスさんは王様から紙を受け取ると流れるように一礼をして振り返った。
天音も慌てて王様に礼をしてクルスさんの後に続く。
城の中を見て回りたい気持ちを抑えて、クルスさんと一緒に城を出た。
「テルヒさん。申し訳ないけど、あなたについてはちょっと後回しにしなければならないかも知れない」
「あ、いえ。それは気にしないでください」
「この仕事が片づいたら、人身売買の犯人を追うと共に、必ずあなたが使った異世界を移動するという魔法を見つける」
クルスさんは外見だけでなく中身もとてもいい人だった。
天音の話を真面目に受け取ってくれて、帰るための方法も探してくれるという。
その厚意をただ受け取るだけで良いのだろうか。
天音にはそうは思えなかった。
「あの……もしよかったら、クルスさんの手伝いをさせてもらえませんか?」
「え? しかし……次の仕事は聞いての通り疫病の原因と対策の調査だから、魔法が使えないテルヒさんには危険が伴うよ。僕の家で待っていた方が……」
迷惑に思われるかと思ったが、クルスさんの表情はむしろ天音を心配していた。
確かに、この世界についてはまだよくわからないことの方が多い。
足手まといになる可能性の方が大きいが、何かをせずにはいられなかった。
それに、実のところ疫病の症状を聞いていて、気になることもあった。
もしかしたら、役に立てるかも知れない。
「構いません。危険かも知れないし、クルスさんにとって迷惑になるかも知れませんが、私を助けてくれようとしているクルスさんのために何かしたいんです」
「……そこまで言われたら、僕から断るのも野暮だろうね。だけど、もしテルヒさんまで同じ症状が現れてしまったら、魔法医のところで休んでもらうからね」
「はい」
クルスさんは城の近くに停まっていた馬車の御者に声をかけ、乗せてもらう。
いくらなのかはわからないが、銀色のコインを何枚か渡していた。
城へ続く大通りを外に向かって走る。
二本目の交差点を左に曲がり、進んでいくと左側に大きな白い建物が見えてきた。
何となく、色合いや雰囲気から病院なのかなと思ったら、ここが王様の言っていた魔法研究所らしい。
馬車から降りて門のところに立っていた黒いローブを着た魔道士に、クルスさんは王様から受け取った例の許可書を見せた。
黒いローブの魔道士はそのままクルスさんと天音を研究所の中へ案内する。
魔法の研究所という言葉のイメージから、何か怪しげなことが行われているのかと思ったら、どちらかというと天音の世界の病院にイメージが近かった。
建物の中は窓が多く、日の光がたくさん入って明るく爽やかな雰囲気。
左右に伸びる廊下には等間隔に部屋が分かれていて、それぞれの部屋で新たな魔法の研究が行われているらしい。
クルスさんと天音が連れてこられたのは中央階段を上った三階のフロア。右側の廊下の奥の部屋だった。
「こちらに当研究所の治癒魔法を担当している魔道士のフロア長がいらっしゃいますが……」
ここまで黙って案内してくれた、黒いローブの魔道士はそこで口をつぐんだ。
「何か、あったのですか?」
「……当研究所でも知っているのは各フロア長と治癒魔法担当の方だけなのですが、実はフロア長もその病に罹ってしまっていて」
「そんな!? ここの治癒魔法のフロア長は魔法医の第一人者じゃないですか。それほどの方でも治せないのですか?」
「はい。私たちも手を尽くしてはいるのですが……。できればこのことはご内密に」
そう言って黒いローブの魔道士は廊下を戻って行ってしまった。
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