第17話 姉みたいな元上司
「久しぶりね、トゥエイト」
校門を抜けた俺に、クリスは微笑を浮かべて言った。
「クリスのせいで、俺は怪しい奴呼ばわりだ」
「どういうこと?」
返事を期待しての発言ではない。
ただの下らない愚痴なので、俺はクリスの疑問には答えなかった。
「それで、何しに来た」
「あら、何か用事がないと来ちゃ駄目なの?」
「別に、そういうわけではないが……」
今までは殆ど、仕事目的で顔を合わせていたため、そう言われると少し困る。
俺は彼女と、用のない会話をすることに慣れていない。困惑する俺に、クリスは小さく溜息を零した。
「単なる様子見よ。貴方がちゃんと学園生活を楽しめているのか、確認しに来たの」
「……心配性だな」
「責任を感じているのよ。貴方にこの学園を紹介したのは私なんだから。……でも、心配は無用だったみたいね。見たわよ? さっき、随分と可愛い女の子と一緒に歩いてたじゃない。もしかしてもうガールフレンドを作ったの?」
口元に手を添え、からかうようにクリスは笑った。
昔からクリスはこの手の話題で俺を困らせようとする。その悪趣味は変わっていない。
「相変わらず、年増臭い勘ぐりが好きだな」
「ととと年増!? こ、これでも二十代なんですけど!!」
「どうだか」
クリスの正しい年齢は知らないが、機関では二十代前半だと噂されていた。しかし俺たち機関の人間にとって、個人情報なんてものは簡単に偽造できる。クリスが年齢を偽っていないとも限らない。
「学園生活は問題ない。予定通り普通科に所属し、ゆとりある平和な日常を歩んでいる」
「そう……良かったわね。ちゃんと友人はできた?」
「ああ。丁度この前も、その友人と一緒にナンパしてきた」
「ナンパっ!? 貴方、何しに学園に行ってるの!?」
「クリス。こう見えて俺、意外とナンパの才能があるらしいぞ」
「待って、待って! 理解が追いつかない! 貴方そんなキャラだっけ!?」
元々キャラというものを意識して生きたことがないので、昔の自分のキャラなんて俺には分からないが……自分が変わってきていることは実感している。先程、エリシアに指摘された襟元の乱れも変化の一つだ。
「まあ、環境が変われば人も変わるものだ。俺としては、その変化を楽しんでいる」
「うー……なんか、複雑。……あの、できればもう、ナンパはしないでちょうだい……? でないと私、貴方に学園を勧めたことを後悔しそうだから」
本当はミゼの一件があるので、もうナンパはしないつもりだが、言質を取られても面倒なので一先ず「善処する」と返した。
「問題があるとすれば、俺個人というより、英雄科の普通科に対する差別意識だな」
「あー……やっぱり、そうなるわよね」
クリスはこの差別について、入学前から予想していた。
彼女は額に手をやって、溜息を吐く。
「一部学生たちの間で、『勇魔大戦に協力した見返りとして、貴族の子息令嬢に英雄科のチケットが配られている』という噂が広まっているが、これは事実か?」
「……事実よ。私も最近知ったんだけれどね。……ただでさえ選民意識に染まった子供が、更に栄えあるビルダーズ学園の英雄科に属したわけだから、そりゃあ増長はするだろうし、差別が生まれるのも必然ね。例え入学試験が形だけだったとしても、本人たちは興味ない……いや、知らされてすらいない可能性もあるわ」
「……世の中、まだまだ平和ではないな」
「そうね。それは日々、痛感しているわ」
疲れた様子で語るクリス。
そう言えば、彼女は今、何をしているのだろうか。
「クリスの方は、無事なのか?」
訊くと、クリスは心配されたことが嬉しかったのか、破顔して答えた。
「今のところ無事よ。案の定、似たような仕事を任されているわ。……流石に、私が今、何処に属しているかは言えないけれどね」
それは彼女が"裏"の組織に属していると暗に告げているようなものだった。
しかし俺は、その組織に心当たりがある。
「どうせ、
「……まあね」
クリスが視線を逸らし、小さな声で肯定した。
かつて俺たちが所属していた真兵特務機関には、親組織がある。
――王政国防情報局。
端的に述べれば、王国を
当たり前だが、魔王なんていなくても、人々の世は常に争いで満ちている。
王政国防情報局は、そうした争いに対処する情報機関だ。
活動内容は主に諜報工作だが、必要とあらば他国の重鎮でも容赦なく暗殺する。また、自国の
元々、真兵特務機関はこの子組織として設立された。
理由は言うまでもない。王政国防情報局には、汚れ仕事を引き受ける"裏"の組織としてのノウハウがあったからだ。そのノウハウを引き継いだ機関は、それまで局がやってきたように、勇者にとっての邪魔者を排除し、拷問し、捕縛してみせた。
俺は丁度、機関が発足した直後に拾われたため、そのまま機関に属することになったが、機関の構成員の大半は局からの出向だったと記憶している。
「魔王の次は、人間が相手か。流石に気が滅入りそうだな」
「ええ、本当に……嫌になる仕事ばかりよ。人を疑ってばかりの毎日」
暗い発言したことで、気分も暗くなってきたのか、クリスはすぐに顔を上げて別の話題を口にする。
「そう言えば、トゥエイトは何度か局の仕事を引き受けたことがあったわね。貴方、こっちでも結構有名よ?」
「有名? 確かに人手不足とかで仕事を引き受けたことはあるが……数はこなしてないぞ」
「一回一回の働きがとんでもなかったんでしょう。貴方が愛用していた『狙撃杖』も、今は局の管理下にあるわ」
「そうか。……あの杖は、誰が引き継いだんだ?」
「まだ誰にも継承されてないわ。というか正直、貴方以外に使いこなせる人がいないのよ。……元々、貴方専用の武器として作ったものだしね」
そう告げるクリスに、俺は、今まで気になっていたことを訊くことにした。
「クリス……正直に答えてくれ。機関の解体が決定された後、俺は本来、局に所属する予定だったんじゃないか?」
その問いに、クリスは暫く間を空けてから、複雑な表情で答えた。
「ええ、その通りよ。でも私がそれを拒否した。理由は以前、伝えた通りよ」
「……俺がまだ、俺自身の人生を歩んだことがないから、か」
クリスが首を縦に振る。
予想はしていた。俺は本来なら――今も"裏"の世界で生きている人間だったのだ。
多分、俺は、死ぬまで"裏"に縛り付けられているような人間だったのだろう。しかしその狭い道を、強引に広げてくれたのがクリスだ。その道の先に何が待っているのかは分からない。だが――確信する。どんな結末が待っていようと、俺は学園に通って良かった。
「ありがとう。……クリスには、本当に感謝している」
「どういたしまして」
「歳が近ければプロポーズしていたかもしれない」
「結構近いんですけど!! 貴方、私を何歳だと思ってるの!?」
クリスが憤る。
その時、クリスは不意に我に返ったような表情となり、ポケットから短冊状の紙を取り出した。『通信紙』だ。クリスはすぐにそこに魔力を通し、誰かと通話する。
やがて通話を終えたクリスは、真剣な顔で俺を見た。
「ごめんなさい、休憩中に抜け出してきたから。そろそろ仕事に戻らないといけないわ」
「今は何の仕事をしているんだ? 答えられないなら、答えなくてもいいが……」
「うーん……まあ、貴方になら言っても問題ないわね。近々、テルガンデ公爵家の次男であるロベルト=テルガンデ様が、正燐騎士団を引き連れて王都にやって来るのよ。私たちはロベルト様の護衛につくわ。まあ護衛と言っても、今回は汚れ仕事じゃないし、"表"に擬態するけれどね」
「護衛って……そのための騎士団じゃないのか?」
「ロベルト様は心配性なのよ。まあ終戦直後で不安定な世の中だから、気持ちは分からなくもないけれど。……護衛も道中だけだしね。ロベルト様が王都についたら、私たちはお役目御免となるわ」
クリスが面倒臭そうに言う。
「しかし何故、正燐騎士団が王都に?」
「それは内緒にしておくわ。……近々、大きなイベントが催されると思うから、楽しみにしておいてちょうだい。ビルダーズ学園も深く関わる筈よ」
そう言って、クリスは踵を返した。
ビルダーズ学園が深く関わる、大きなイベントとは……?
色々と予想しながら、俺は食堂に向かった。
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