第2話 暗部解体
魔王の心臓を握り潰した後。
帰投の命を受けた俺は、七日かけて機関の本部へと戻った。
テラリア王国。
それが、俺の属する国である。
王都マイクーラの中央に屹立している王城に近づくと、二人の衛士が門を塞ぐように槍を構えた。しかし、どちらも俺の顔を確認すると、すぐに槍を下ろす。
無言で門を潜ろうとする俺に、衛士の一人が声をかけた。
「三階、近衛騎士団の臨時会議室にて、クリス様がお待ちしております」
衛士の言葉に、俺は潜めた声で「了解」と返した。
面倒極まりないが、俺の所属する組織はその拠点をコロコロと変える。勇魔大戦が最終局面に突入した後は、殆ど王城を拠点にしていたが、その城の中でも活動場所を転々と変更していた。
城内三階にある臨時会議室の戸を開く。
その部屋では、薄紅色の長髪を垂らした若い女性が、一人で椅子に座っていた。
「お疲れ様」
彼女は俺の方を見て、柔和な笑みを浮かべて言った。
「久しぶりだな、クリス」
「そうね。ここ最近、通信でしかやり取りしていなかったし。私も一ヶ月振りに本部から抜け出せたわ」
若干、疲れた様子でクリスが言う。
彼女は俺の上司だ。こうして顔を合わせて話すのは久しぶりだが、かれこれ十年近い付き合いがあるため今更、気疲れはしない。
俺はいつもと比べ、少しだけ緊張を弛緩させ、クリスの対面にある椅子へ腰を下ろした。
「魔王の件はどうなった」
「全て順調に進んでいるわ。後少しすれば、世界中の人々に『勇者が魔王を倒した』という情報が公開される。……本当に倒したのは貴方なのにね」
「誰が直接、手を下したかは関係ない。この場合、魔王を殺したのは俺ではなく機関だろう。俺はこの十年間、ただ与えられた指示に従っていただけだ」
「……相変わらず、歳のわりに達観しているわね。まあ、機関がそういう風に教育したんでしょうけど」
クリスが溜息混じりに言う。
「十年に及ぶ大仕事も漸く終わったわね。……まったく、当初は勇者をサポートするだけの組織だった筈なのに、いつの間にか殆ど最前線で動いていたような気がするわ」
「それについては同感だ」
最後に至っては、紛うことなき最前線だ。
右の掌を軽く開く。魔王の心臓を握り潰した時の感覚を、ぼんやりと思い出していると、クリスが真剣な面持ちでこちらを見ていることに気づいた。
「貴方、今年で十五歳よね」
「ああ」
肯定すると、クリスはゆっくりと口を開いた。
「これは、貴方の経歴が記された書類よ」
そう言ってクリスが封筒の中から大量の書類を取り出し、テーブルに広げる。
「随分と多いな」
「それだけ貴方は数々の功績を残してきたのよ。もっとも、その全てが世間に公表されない裏の仕事なわけだけど」
書類の束をひとつ手に取り、クリスは続ける。
「知っての通り、私たちが所属する組織――
まるで俺の経歴を確かめるかのように、クリスは書類を捲りながら言う。
――真兵特務機関。
俺たちが所属するこの組織について説明するには、勇魔大戦について知っておく必要があるだろう。
ある日。魔王は唐突に出現した。
産まれ落ちた魔王はすぐに人類を滅ぼすべく行動を開始した。獰猛な化物――"魔物"を数多く生み出し、更には魔物の巣となる巨大な地下空間――"迷宮"を創造。時が経つと、魔物が人の姿に進化して理性を獲得することもあり、それらは"魔人"と呼称され、頭が働く分魔物よりも警戒された。
魔王とその軍勢は精強だ。その侵攻を防ぐことは難しい。
だが、そんな魔王を討ち滅ぼす者として、勇者という存在が現われた。
勇者は人類の中から唐突に現われる。魔王と同様、いつ出現するのか分からない存在だが――どうやら勇者と魔王は、それぞれ同時期に誕生するらしい。つまり魔王が誕生すれば、勇者も近い内に誕生するし、その逆もまた然りだ。
勇者と魔王。両者の戦争は勇魔大戦と呼ばれ、十年前までに三度繰り返された。
今のところ、その全ては勇者――即ち人類側の勝利となっている。
「魔王とは、意思を持つ災害である。そして勇者とは、意思を持つ希望である。この文言が浸透したのは、今から三世紀前……第一次勇魔大戦が勃発した頃ね。そして十年前、ここテラリア王国に四代目勇者が誕生した。これが、機関が生まれる切っ掛けとなった」
クリスは語る。
「勇者を輩出した国は、あらゆる面で他国にリードできる。勇者が魔王を倒せば、その母国は英雄を生み出した貴い国とみなされるし、戦争が終わった後も、勝手にどんどんと金が転がり込んでくるわ。いわゆる"勇者効果"というやつね」
勇者がいるというだけで。或いはいたという事実があるだけで、そこには金が集まり出す。大戦が終わった後、勇者が母国で店を経営したり、或いは騎士となって剣の指南役を買って出たりすると、その経済効果は一層強くなる。
「でも逆に言えば――勇者が魔王を倒せないなんて事態に陥れば、その責任は勇者を輩出した国が負うことになる。テラリア王国の重鎮たちは、自国で誕生した勇者が魔王を倒せないという最悪の可能性を懸念した。その結果、私たち機関が発足した」
クリスの言う通りだ。
真兵特務機関は、勇者の不祥事を懸念した末に生まれた組織だ。
「過去三度の大戦で、他所の国がどういう風に勇者を支援したのかは分からないけれど、テラリア王国は勇者を"表"と"裏"、二つの方向から支援することにした。真兵特務機関はこの"裏"に該当するわ。"表"は、世界各国の軍や騎士団が該当する。
"表"の軍や騎士団は大戦中、常に勇者の傍で、勇者と共に戦ったわ。一方、私たち"裏"の活動は――合法・非合法を問わない。工作、暗殺、捕縛、拷問……あらゆる汚れ仕事を請け負った。その性質上、機関は軍と違って、存在が明るみに出ない秘匿された組織となった。文字通り"裏"の組織ってわけね」
クリスの説明に俺は頷いた。
「ところが、四年前のある日を境に、機関は勇者の支援のみならず、勇者の
「……そこで俺に話を振るのか」
クリスは俺の方が詳しいと言ったが、そんなことはない。
大戦中、クリスは殆ど本部でデスクワークに励んでいた。現場仕事しかなかった俺と比べれば、彼女の方が確実に大戦に関する情報を見聞きしている。たとえ直接手を下したのが俺だとしても、そこに至るまでの過程は彼女の方が詳しいだろう。
どうやらクリスは、情報を求めているのではなく、俺の認識を知りたいらしい。
下手に感情を込めないよう、俺は淡々と語った。
「四年前。戦争の勢いが増した頃、人類側にとって想定外の事態が起きた。
恐らく勇者は、数え切れないほどその魔人と戦ったのだろう。
挑み、敗れ、挑み、敗れ――世界中の騎士と共に挑んでも、やはり敗れてしまった。
だから――。
「――仕方ないから、機関の人間が、その魔人を殺した」
真兵特務機関は、国内の孤児院から優秀な人材を招き、兵士として使い物になるまで徹底的なスパルタ教育を行う。孤児院の子供がその熾烈な訓練に耐えることは困難の極みであり、訓練中に命を落とした者も山ほどいた。
そんな環境下で育った機関の兵士は、いつの間にか勇者よりも強い実力を得ていたらしい。
いや……これを実力と言うのは、些か不適切である。機関で育てられた者は正々堂々と戦わない。たとえ相手が魔人だろうが魔王だろうが、目的のために最も効率的な戦闘を行う。恐らく魔人たちは、機関の残忍な戦い方を予期していなかったのだろう。だから勇者が倒せなかった魔人を、機関の兵士は易々と殺すことができたのだ。
「迂遠な言い回しね。素直に、貴方がその魔人を殺したと言えばいいじゃない」
「俺のせいで仕事が増えたと思われるのは心外だからな。そもそも、あれを指示したのはクリスだろ」
「あら、私の責任にするというの?」
「『責任は全て私が取るから、さっさとあの魔人を倒してきなさい』……そう言ったのは誰だった?」
「あー……しまった、そんなこと言っちゃった気がするわね」
クリスが額に手をやる。どうやら本当に忘れていたようだ。
あの時は流石に俺たちも焦っていた。諦めることなく魔人に挑み続け、毎回瀕死になって救出される勇者を見て、「こいつマジで死ぬんじゃないか?」と危惧したものだ。人類は遂に、魔王に敗北してしまうのかと思った。あの時は機関も多忙だったため、記憶が曖昧になるのは仕方ない。
「話を戻すが……とにかく、その事件が切っ掛けとなって、機関は前線に立ち、多くの魔人と戦うことになった。但し、機関が公にできない組織であることに変わりはない。俺たちはあくまで秘密裏に、勇者にとっての強敵を排除していった。……具体的には、その功績を全て勇者のものにすることで、機関は存在を隠し続けた」
「そうね。貴方の認識は全て正しいわ」
クリスは肯定する。
だがその面には、不機嫌そうな表情が張り付いていた。
「不満そうだな」
「そりゃあそうでしょうよ。最終的に魔王を倒したのは機関の兵士――つまり貴方なんだし、私たち、どう考えても"表"の騎士団や勇者たちより戦争に寄与してるわよ。だというのに、私たちの存在は明るみに出ないんだから。……ねえ、知ってる? 私たち、表向きは軍の雑用として認識されているのよ? この前だって、城の食堂で十日ぶりに休憩していたら、戦場に出たことすらない騎士見習いの餓鬼んちょに『雑用が休憩なんかするな』って叱られちゃったわよ。こんな惨い仕打ちある?」
「それは同情するが……あまり言い過ぎると、上に危険因子と判断されるぞ」
「いいのよ! この場には私と貴方しかいないんだから! 外でこんなことを言ったら、明日には
無論、事故死とは名ばかりの暗殺である。
それは機関が最も得意とすることだ。組織の一員だからこそ分かる。個人がこの組織を敵に回すのは、あまり賢明ではない。
「事情も理解しているわ。……軍や機関と同じように、勇者にも役割がある。広告塔という大きな役割がね。……私たちの活動内容が明るみに出れば、その広告に曇りが生じてしまう。だから機関の功績は、全て勇者のものとなる。……理解はしているけれど、納得し難い。いえ、納得したくないというのが本音よ」
「その分、俺たちの方が軍よりよっぽど給料がいいだろ。国は何も、俺たちのことを無下にしているわけじゃない」
「まあ、そうだけど……」
最初の一件。即ち俺が魔人を殺した件も、勇者の功績となった。
魔人は本来、魔王の配下であり、魔王よりも格下の存在だ。
魔王を倒すために存在すると言っても過言ではない勇者が、たかが魔人一人を倒せないなんて有り得ない。現に過去の大戦では、勇者が魔人に苦戦することはなかったという。そんな状況で、勇者以外の第三者が魔人を殺したという事実が発覚すれば――勇者の信頼はがた落ちだ。広告塔が機能しなくなる。
「で? 何故、今になって、そんなわかりきった事実を語った?」
俺の問いに、クリスは慎重な面構えで答えた。
「先程、機関の解体が決定したわ」
短く告げるクリスに、俺は声を発さなかった。
成る程。機関のあらましについて語ったのは、この話を持ち出すためか。
機関について理解していれば、解体は予想できることだ。真兵特務機関は、勇者の魔王討伐を影から支えるための組織である。魔王が討伐された今、その存在意義は消失した。国の治安維持という元サヤがある軍や騎士団と違い、俺たち機関には回帰すべき姿などない。
「組織解体に伴い、貴方の将来について、私が聞くことになった」
その一言に、俺は目を丸くする。
「まるで俺に、自分の将来を選ぶ権利があるような言い方だな」
「そう言っているのよ」
まさか肯定されると思わなかった俺は、暫し言葉を失った。
真兵特務機関は、伊達に"裏"の組織ではない。俺が機関から与えられた仕事は、それなりに汚れているものも多かった。世が世なら、機関の人間は皆、犯罪者だ。大戦時だからこそ許されていたようなものである。そんな準犯罪者である俺に、まさか人生における選択の自由が与えられるとは。予想できる筈もない。
「……最悪、口封じに殺されることも覚悟していたんだが」
「そんなことしないわよ。さっき貴方も自分で言っていたけれど、国は私たちを蔑ろにしてはいない。むしろ最大級の配慮をしてくれているわ。だから機関の解体にあたって、それまでの構成員にはできる限りの援助がされることになったの。今後の人生設計について何か希望があるならば、可能な限りそれに応えるように……というのが上からの指示よ」
旨い話には裏があると相場は決まっているが、クリスは信用できる人物だ。裏があったとしても俺に悪影響はないのだろう。
とは言え国が慈悲で動くことはない。
「かつての飼い犬に噛まれないよう、最後に飴を与えるといったところか」
「まあ、そういうことね。特に貴方は機関の中でも特別だから、とびきり大きな飴を用意できるわ」
俺はクリスの言葉をしっかりと噛み砕き、考えた。
「希望、か。……そう簡単には、思いつきそうにないな」
「……何かないの? なんでもいいのよ? 田舎で畑を耕したいとか、或いは騎士団に所属して今度は"表"の人間として世の中に貢献したいとか。……中には、何もせずに怠惰な日々を送りたいと言った人もいたわ。そういう人に対しても、国は最大限の援助を約束するつもりよ」
どこか同情の眼差しを浮かべるクリスに対し、俺は唇を引き結んだ。
俺は機関の中でも年齢が低い。機関の外で暮らした日数が少ない分、俺は他の者よりも人一倍、機関の価値観に染まっているのだ。クリスにとって、俺は酷く不自由な人間に見えるのかもしれない。
結局、口から出たのは、思考放棄を示すものだった。
「クリスはどうするんだ?」
「私は……似たような仕事を続けることになると思うわ。私は貴方と違って機関でも本部務めだったから、色んな情報に触れちゃってるし、制約が厳しいのよ」
「なら、俺も――」
「駄目よ」
クリスが厳しく言う。
「貴方はまだ十五歳よ。それも、僅か五歳で機関に拾われて、戦争が終わるまでの十年間を、ひたすら王国のために費やした。……もう十分よ。こんな、人を道具扱いするような組織からは早く抜けだしなさい。いい加減、貴方は貴方のやりたいことを見つけるべきよ」
「やりたい、こと……」
譫言のように呟く俺に、クリスは強い眼差しを向けた。
「この十年間、貴方は王国のために生き続けた。だから次は、貴方自身のために生きなさい。……少し時間を置いて、それでもまだ以前と同じような仕事がしたいと思ったら、その時は私に伝えてちょうだい。それが貴方のやりたいことなんだと認めるから。……でも、今は認めない」
クリスは一歩も引かない様子だった。
ここで俺が「クリスのもとで働くのが、俺のやりたいことだ」と告げても、彼女は首を横に振り続けるだろう。
「難しく考える必要はないのよ。この十年間、仕事を通して色んな人たちを見てきたでしょう? こんな風になりたい。こんなことをしたい。そう思ったことはない?」
クリスの言葉に、ひたすら頭を回す。
一日一食すらままならないことも多い劣悪な孤児院で五歳まで過ごした俺は、その後機関に拾われ、孤児院での日々が霞んでしまうくらいの厳しい訓練漬けの日々を過ごした。
訓練が終わると、まずは使い捨ての兵士として様々な任務に割り当てられたが、なんだかんだ生き延びるうちに上層部からの信頼を獲得し、やがて帰投前提の任務を与えられるようになった。とは言え"裏"の人間である俺たちにとって、任務の失敗は死に直結する。ただでさえ、いるべきではない人間なのだ。
任務に失敗したら即、切られる。機関に属してからというもの、緊張しない日はない。
お世辞にも、周りの人間を見る余裕があった十年間とは言えない。
しかし、仕事の最中に「こんな人生もあるんだな」と思ったことは幾つかある。
丁度、今日、王都マイクーラに帰ってくるまでの道中で、そんなことを思った。小さな幌馬車に商品を載せた御者とすれ違った時。城下町を歩きながら花売りの娘を見かけた時。俺が、心の中でふと思ったのは――――。
「……人並みの日常を、歩みたい」
口にしてみれば、ストンと腑に落ちたような気がした。
胸中に蟠る、複雑な感情の正体に気づいた。ああ、俺はこんなことを思っていたのか。
思えば俺は「普通」を知らない。「人並み」を見たことがない。
仕事をしていると、時折「俺は何のために働いているのだろう」と思うことがあった。俺たちは勇者を支援するために存在する。ならその勇者が魔王を倒そうとするのは何故だ? 魔王を倒すことで、人々は一体何を得るのだろう?
その答えこそが、きっと、人並みの日常なのだろう。
俺は、自分が今まで守り続けてきたものを、よく知らなかった。
大戦では多くの人間が死んだ。機関の同僚も数え切れないくらい命を落とした。――そこまでして守りたいものって、どんな感じだ?
俺や、クリスや、勇者たちが命を賭して守り抜いた「平穏」とは、どんなものなんだろうか。
「普通の暮らしがしたい。自由に、好きに生きてみたい。そういうのは……駄目か?」
我ながら随分と単調な願いだった。
しかし、クリスは馬鹿にすることなく、真摯な態度で頷いた。
「いいえ、全然問題ないわ」
そう言って、クリスは立ち上がった。
「ありがとう。貴方の本心を聞かせてくれて。それじゃあ暫く待っていてちょうだい。今から貴方の人生を作ってくるから」
「ああ、頼む」
※ ※ ※ ※ ※
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