02:仕立屋時々悪夢
2_1 男の耳は兎耳
ふと瞼を開けば見慣れない木目の天井が視界いっぱいに広がった。寝返りを打ち、擦れた枕から香るカモミールの香りをぼんやり楽しみながら、寝心地の良い寝具に包まれて再び瞼を閉じ、ほっと一息吐く。
「……っ!!」
二回目の眠りに落ちそうになった瞬間、カバッと上半身を起こし、頭を抱えた。深く考えずに新しい家に来てしまったが、残してきた物の後始末や学校の事が思考を駆け巡る。
「……まぁ、いっか」
元々手放そうとしていたのだから、気にする事ではない。こんなにも寝心地の良い寝具で寝たのはいつぶりだ? 目が覚めた瞬間から落胆と明日への不安に襲われない朝を迎えた事は、今まであっただろうか? どことなく清々しい気持ちでベッドを抜けた。ロフトを仕切るカーテンの隙間を通り抜け、なだらかな半円を描く階段をくだり、リビングへ。木のぬくもりに溢れた空間は、何処かの別荘へ遊びに来たような高揚感でアリスを満たす。
味覚を擽る美味しそうな匂いに誘われる儘に足を動かし、昨日に苦労して想造した木製のダイニングテーブルを満足そうに眺めてからカウンタ―キッチンの向こう側に立っている、黒いスーツジャケットを脱ぎ、薄墨色のワイシャツ姿になった白兎の頭に視線を移して動きを止めた。
「…………」
「おや、起きたましたか。おはようございます」
「そういう趣味なのか。そう言えば自分を兎だと思い込んでるんだっけ、この人……」
相も変わらず手触りの良さそうな白い頭髪を生やした頭に、2本の長いウサギ耳がピンと立っている。目を疑う以外の反応をしらないアリスは、ウサギ耳がピクピク動いたのを確認すると、眼球が零れ落ちそうなほどに目を見開いて驚愕した。
「動くのソレ!?」
「当たり前でしょう。私の耳なんですから。犬や猫の耳も動きます。まさか、アリスは知らないんですか?」
「それくらい知ってるよけど――」
「兎の耳は長く、3lkm先の音まで聞こえると、ニンゲン達の間では言われているそうです」
「世の中には色んな趣味の人が居るから、いい歳こいた野郎がウサギ耳の1つや2つ、着けていたって別にいいか。バニーボーイとか居るもんな。うん」
「バニーボーイ。……ああいう格好がお望みですか? 随分とませた子供ですね。あぁ、ムッツリするお年頃ってやつですか?」
「違う!! 断じて違う!!」
「そうですか。ところで、ニンゲンの朝の挨拶は『おはようございます』だと思ったのですが? 無視ですか? 寂しいです」
「え? あぁ、ごめん。野郎のウサギ耳が衝撃過ぎて……。おはようございます、白兎」
「はい。まだ時間が掛かるので、歯磨きついでにシャワーを浴びてきてはどうですか? ハリセンボンのようになってますよ」
「そんなに酷い!?」
「ええ。寝癖を直すついでに、思う存分に隅々まで身体を清潔にしてきてください」
「言い方! そんなに、臭い……?」
体臭とは案外自分では気付かないものだ。アリスは自身の腕の匂いを嗅いでみる。
「今のアナタが不衛生だ、と言っているわけではありません。ココはもうアナタの家ですが慣れない場所故に遠慮されて清潔感に欠けては、私の手でアナタの汚れを隅々まで落とさなければなりません。隅々まで、ね」
白兎は垂れ目ぎみの赤眼を細め、アリスを見た。白兎の言葉に何かしらの含みがある事は把握できたが、明確な意味を汲み取ることは難しい。
「必要そうな物は一通り用意しておきましたが、不足があればご自分でお願いします。湯は張っておきましたので、どうぞごゆっくり」
「分かった。ありがとう」
見送られながら其の場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます