第12話 「クソ野郎だと思ってんの?」
上と下。
それは合宿の二段ベッドの決め方とか、そういうのではないよな、と自分の思いつきにつっこむ。
「えっと、それは」
「んー、まあ、セックスのときの」
「せ」
先輩は僕のピアスを弄びながら、いたって真面目に答える。
思考停止したくなったけど、多分いましたら、あとから絶対に後悔するというのに直感した。
飲み会での酔いも、なんならさっきのキスの余韻も全部吹き飛んで頭が高速で回転する。
まず先輩のいった言葉を整理していこう。
せっくす。
先輩はセックスといった。
セックスっていうのは僕が知る限りだと、性別を意味する単語以外だったら、それはいわゆる性行為だとか交接とか同衾とかつまりは体を繋げる行為のことをさすはずだ。
そのうえで、それにかかわることで、どっちがいい、僕に聞いたということは。
それはつまり先輩は僕との、セックスを、考えてる、ということで。
だめだそんな結論がでてしまったら頭がまともに動くわけない動かせるわけがないせっくすって僕の知らない単語の意味あったっけあってほしい今すぐ辞書をひきたいしなんなら別の意味を今すぐつくりたいそしてそれを理由に逃げ出したい。
「一応、調べたりとか、詳しい人に聞いたりしたんだけど」
「調べ、え、聞いた?」
「あ。大丈夫、相手がコーヨーっていうのは言ってないから。周りに秘密って約束だし。あとなんだかんだ口固いから平気だと思うし」
「や、そこもあるんですけど、そこじゃなくて」
「それで男同士だといろいろ大変っていうのは、わかったんだけど。それならそれで準備もいるだろうし、なによりコーヨーはどっちがいいのかなって」
調べたって何を調べたんだとか、詳しい人って誰とか、大変ってどこまでのことを言っているんだろうとか本当に聞きたいことがたくさんあるけど。
もう頭はぐるぐるで、口からは素直な言葉がこぼれた。
「……せんぱいは、僕と、そういうこと、したいって、思ってるんですか」
とても素朴で、単純な疑問。
だって、先輩がそんなことを考えるなんてこと、この一年で考えもしなかった。予想もしなかった。
だからこそ、思わずポロリと漏れ出た本音の疑問だった。
けれどもそれが先輩の何かに触れたのか、不満げに眉を寄せてしまう。
え、怒らせた? なんで?
わけがわからないまま、むっとした顔の先輩が僕の頭をぐっと引っ張る。
驚きのまま、再度キスされて。
それは力ずくで唇を重ねてきて、少し強めに僕の下唇を噛まれる。反射的にハッと息を吸い込むとそのすきを縫って先輩の舌がぐっと侵入してくる。
たわむれるように固まった僕の舌を舐めてから、歯列の付け根をなぞり、上から下まで好きなように蹂躙される。
突然の侵蝕に僕はなすすべもなく甘受するしかなかった
短い蹂躙劇はすぐに終わった。唇を離した先輩は、まだ少し怒った顔して、僕を射貫く。
「……じゃなきゃ、こんなことしないけど」
そのつぶやきに、思わず「そうだったのか」なんてズレた感想を持ってしまった。
先輩がキスをするのはキス魔だからだとか、そんな理由じゃ、なかったのか。
正直にそれを告げたらもっと怒らせるだろうというのはわかったので、僕はうつむいて、改めて先輩の言葉と意味を咀嚼する。
先輩が、僕と、セックスしたいと、思っている。
そのうえで、上と下がどちらがいいのかと聞いている。
触りあい口だけのオーラルセックスはこの限りではないけど、男同士でするときは、基本的に挿入する側の『上』とされる側の『下』という風にポジションがわかれる。
ゲイの言葉だとタチとかネコとか表現される。どちらも平気という人もいるし、絶対にタチしかやらないバリタチのひともいる、らしい。
僕はゲイという自認しているけど、性欲が強いほうではなかったし、そういった経験もない。単純に地元でそんな相手を探すのは難しかった。それに大学に入ってからは青葉先輩に出会ってしまったから、ゲイの中でも出会いを求める人マッチングアプリやクラブを利用して相手を探すらしいけど、そういうことをしたこともない。
それで、僕が、先輩にそういうことを、望んでいるかというと。
自分の心に正直に言えば、先輩の肌に直接触ったり、触られたり、したい。
いつだって密かに見ていた腕や手が、どんな風に今までの彼女に触ってきたのだろうかと、考えたこともある。
だけど、そこまでだった。
それ以上、先輩と具体的にどうにかするっていう想像はできなかった。
その感覚は、きっと『初恋の子をそういうことで考えられない』みたいなのに、多分近い。
確かになにかの衝動はあるのに、果てしない罪悪感と、心に仕舞った大切なものを汚しちゃいけないような、そういう気持ち。
思考の渦に飲み込まれて、自分のことしか考えられなかった僕の耳に、困ったような笑い声が聞こえる。
「でもコーヨーがイヤなら、しないよ」
そうしてやさしく、まるで宝物を触るように、僕のピアスをゆるく撫でる。
きっと先輩は僕がイヤだって言ったら、本当にしないんだろう。
だけど、それは。
「すみませ、ちょっと、あの、頭混乱してて、えっと」
先輩が望むなら、その気持ちがあるなら。
なにより想像できなくても心の奥底では望んでいるのだから。
だけど、一つの疑問が浮かぶ。
先輩は僕の体で、反応するんだろうか。
もし先輩が上役で、いざ試してやっぱり男相手には、たたない、となったら。
きっと先輩はきちんと謝罪してくれるだろうしフォローもしてくれるだろう。それでも挿入する側としてそれはきっとなにかしらダメージになるだろう。
もしかしたらこの関係も、終わるかも、しれない。
それなら、受け入れてもらえるならば、いっそ先輩に下になってもらったほうがいいかもしれない。でも。
好まれる言い方ではない、けど、挿入される側というのはつまり、『女役』ということだ。
ふつうのノンケの男性が女役を受け入れることはハードルが高いのではないか。なにより、もし女役をしてから、そのあと先輩が『普通』に戻ろうとしたときに。
もしも、新しく彼女を作ろうとしたときに、それは先輩の『普通』に陰りを落としてしまうのではないか。
そんなこと、絶対に、許されるわけない。
「……僕が下で、お願いします」
理由が、いつか先輩が次の彼女を作るときに引きずらないように『男役』をしてもらいたいだなんて、絶対に言えないけれど。
その可能性があるなら、選べる選択肢はただ一つだけだ。
おそるおそる先輩のほうを見れば、先輩はいたって自然体で「わかった」とうなずいた。
ふっと息をつく。いまだに実感も現実的な想像もできないが、なにかの山場を越えた気がする。
超えた気が、していた。
「それでさ、男同士って……あー、慣らすのに時間かけたりとか、いろんな準備とか必要なんだろ?」
その言葉にまた身体がフリーズして、安堵して休息しようとしていた脳が急速に回転しだす。
そうだ、そうだった。はいどうぞ、とベッドに寝転がれば済む話ではない。
男同士でする場合は、下役の後ろの穴を使う。もちろんそこは慣れてなければ簡単に相手のものを受け入れられないし、そもそも下準備として綺麗にしなくてはならない。実際に体験はしていなくてもさすがにそこはゲイとして最低限の知識は持っている。
容易く濡れたり広がったりするわけではないそこは徐々に慣らしていって、ようやく相手を受け入れられるようになる。
僕の後ろのそこは一度もそんな準備も経験も、まるでない。
せっくすを、するとして。そんな面倒な、何なら普通なら忌避される汚い場所を、そのまま先輩にさらけだすのか。
ありえない。
「あの、その、準備とか大変らしいですけど。自分で、しますから。先輩にとっては面倒でしょうし、だから、僕、自分で、その、すぐにできるようにしておきますから。道具とかも必要なもの、買っておくんで、それで」
「……なにそれ」
きっとこれが最適解だと信じて発言した案は、とてもとても低い声に遮られた。
え、と、あらためて先輩の顔を見ると。
たぶん、今までで一番、怒ったような、不機嫌な表情をして、こちらを見上げていた。
「え、あ、あの」
「……コーヨーは、経験あるの。男同士で、下になって」
「それはない、です、けど。でも、だから」
「オレだって、男相手は初めてだけどさ」
苦虫をかみつぶしたような、不本意そうな、怒りをおさえてるような声音と眼で。
「こんな言い方は、よくないかもしんないけど。コーヨーはさ、オレのこと、『わたしは処女だから面倒くさくないように自分一人で全部準備してきたから後は入れるだけでいいです』ってベッドの上で寝転ぶ処女相手に喜ぶクソ野郎だと思ってんの?」
そんなこと思ってない。先輩が面倒くさくないようにっていう考えはあったけど、そういう意味ではない。
だって僕は男で女じゃないから簡単に受け入れられるつくりなんかしていない。それはどうしようもないから、せめて少しでも先輩が萎えたりしないように、負担をかけたくないっていう、それだけで。
でもそんな風に言われたら、もしかして、同じようなことを言っているのかもしれない。
女性の初めてがどれくらい大変かは、わからないけど。よくよく考えてみれば、確かに処女だから面倒だと言って、全部自分で準備しろと処女相手に言う男は、それは、だいぶ、最低だ。
「違います、そんなつもりじゃなくって」
「わかってる。オレも怒ってごめん」
慌てて否定する僕を落ち着かせるように頬を撫でられる。
「準備から一緒にやるから。気をつかって自分で先に慣らしておこうとか、そういうのもなしな」
先回りして僕がしそうなことを制する先輩の言葉に、頷く。
それを確認した先輩は目を細めて、からかい声で提案してくる。
「じゃあどんなローションがいいかとか、コンドームとかも一緒に選ぶ?」
「ろー、しょん」
「必要だろ? どうせなら二人が気に入ったものがいいじゃん」
わざと揶揄するように言ってるけど、これはけっこう本気だ。
そんな生々しいものを二人で選ぶなんて、ハードルが高いどころじゃない。
「せんぱいのすきなもので……」
「なんで。負担が高いのはコーヨーのほうなんだから、コーヨーの意見のほうが大事だろ」
それに、と先輩はつけくわえる。
「ちゃんときもちよくなれるように、優しくしたいから」
そんな風に微笑まれながらそんなことを言われて、落ちない人がいるんだろうか。
瀕死の僕は「がんばります」とだけしぼりだした。「がんばらなくていいようにしたいんだって」と先輩は笑った。
え、どうするんだろう。もしかしてこれから二人でネットを見ながらアナル用ローションを検索するのか。そんなの冷蔵庫にあるお酒全部飲んでアルコールですべて誤魔化して挑むしかない。だけど先輩の前でシラフじゃなくなるのは怖い。
そんな風に混乱した僕を見透かした先輩は、噴き出した。
「まー今日はいいよ。だってコーヨー、今自分がどんな恰好してるかも気づいてないだろ?」
そう言われてはたと気づく。
そういえば、最初に引き寄せられてから、そのままで。
ずっと混乱しっぱなしだった頭は、ようやく、いまだに自分が先輩の脚の上に乗り上げていて腰をつかまれている状態だと認識した。
認識した途端、反射的に身体をぱっと離す。そのまま床に頭をつきそうになったところを「あっぶな」と先輩の手が寸前で止めてくれた。
心臓がバクバクしてるところを、もう一度抱き寄せられて。
「合宿行く前までに、選んだの使ってみたいな」
そんなことを宣言されて。
これからの夏、僕はどうなってしまうんだろうか。
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