30話 消毒液の製造
「ちょっと! あたしを置いて行くなんて、イント君ちょっとひどくない?」
必要な資材を一回の物置に集め、いざ実験をしようとしたところで、扉を蹴り破る勢いのマイナ先生が駆け込んできた。
寝ぐせも直されていない濃い金髪をボサボサにして、少し疲れているようだ。
「あれ? マイナ先生? 『死の谷』の奥地の調査はどうしたの?」
マイナ先生がジトッとした半眼でこちらを見てくる。僕は何かおかしなことを言っただろうか?
「それはお母さまに任せたわ。あたしはこっちに興味あるから」
本来の目的をすっぽかして帰ってきてしまったらしい。しかし、興味あるとか言われると照れてしまう。
「それで? これで何をやろうとしていたの?」
マイナ先生は物置部屋の中を見回す。置かれているのは水の入った水がめと水が入っていない水がめ、柄杓、短剣、消し炭、塩の袋、そして針金と工具の類である。
「実は、帰り道でこんなものを見つけたんですよ」
ポケットの中から石を取り出してマイナ先生に見せる。
「それは……魔狼の魔石? クズ魔石ね」
「そう。で、魔狼の攻撃は何でした?」
針金を長めに切って、形を整える。材質が何かわからないが、金属であるのは間違いない。
「ツノを使った即死攻撃?」
「そうそう。その攻撃の正体が電気だって話は前にしたよね?」
魔石に針金を2本あてがって、指で押さえる。
「それは聞いたけど、さっきから何を?」
ゆっくりと、針金同士を近づける。
パチッ!
「アチャチャチャ!」
針金同士が小さくスパークした瞬間、手に強い痛みが走って、思わず放り投げてしまった。
「あいたたたたた」
そうか。この針金は銅線みたいに被覆されてないから、手に直接ダメージがくるのか。
僕がちょっとだけ火傷した指をフーフーしていると、マイナ先生はポカンとした顔で飛んで行った魔石を見ていた。
「まさか即死攻撃を再現したの?」
マイナ先生は察しが良くて助かる。そして再現できたということは、予想は大当たりだという事だ。
「そう。即死攻撃の正体は電気、小さな雷なんだ。で、この魔石は電池、電気を蓄えておけるものみたいだね」
この魔石がなければ、電池を作るところからだったので、かなり遠回りになっただろう。転生先ががファンタジー世界で良かった。
「それはすごい発見だけど、どうしてそれを今実験したの?」
マイナ先生の視線は、僕が集めたその他の物の方をさまよう。マイナ先生はこれで終わりでないことを察したようだ。
僕は改めて、魔狼の魔石を観察する。石はどれも濃い茶色と薄い茶色のグラデーションとなっていて、電極の向きがわかりやすい。
手元にある魔石は3つだが、元々不要なクズ魔石なので、どこかに捨てられているはずだ。これがうまくいったら、捨てられている分も含めて集める必要があるかもしれない。
「電気が心臓とか筋肉を動かすときの信号として使われてるのは前に説明したけど、実は物質の分解にも使えるんですよね」
マイナ先生がジト目のままこちらを見てくる。
「スライムの時に話してくれた、塩から金属を溶かす溶解液が作れるって話?」
ちょっと話しただけなのに、覚えていてくれたらしい。マイナ先生は化学の基礎を知らなかったり、ちょっと抜けたところはあるけど、記憶力は良い。僕の秘密を見抜いたり、洞察力もある。何で小学生が知っているようなことを知らないのか、不思議でならない。
「そう。例えば塩は、塩素って物質とナトリウムって物質で出来てて、水は酸素と水素で出来てるんだよ」
小さな箱に向きを揃えて魔石を並べて、その間にバネ状に加工した針金で魔石を直列で繋ぐ。
「何? 何で石を繋ぐの?」
2本の針金のうち、一本を倉庫にあった廃棄予定のナイフに巻き付け、もう一本を消し炭に巻き付ける。
「電気には流れがあるんです。水路で考えるとわかりやすいと思うんですが、流れには勢いと量があります。水量は電流と言って、勢いは電圧っていうんです。これは直列というつなぎ方で、電圧を上げる方法です」
今度は先生の口が尖りだした。
「イント君の前世の世界はそんなことも解明してるの? つまり、そうすると即死攻撃の威力が上がるとか?」
「まぁ、そういうこともできるんでしょうけど、僕は戦いたくないので、これは違う使い方をします」
僕は塩を手づかみで空の水がめに放り込んで、そこに水を注ぐ。
「また塩?」
マイナ先生は怪訝そうだ。
「今回の流行り病は、おそらく細菌かウイルスによるものです。どちらも目に見えないぐらい小さい魔物のようなものなんですが、やりようによっては駆除できます。例えばーー」
剣と消炭を結び付けた針金を魔石を収めた箱に接続した。そして水がめの中に浸ける。
「こうすれば……ってあれ?」
炭の方からわずかな泡が出ていたが、思っているより反応がおとなしい。
「あっれ~? なんか思ってたのと違う」
何を間違えたんだろうか?
『まったく、何をやっているのであるか……』
置いていた教科書が浮かび上がる。表紙は化学だ。それがパラパラとめくられ、水酸化ナトリウムの製造のページが開かれた。
自称天使さん、実は本物の天使かもしれない。
(ありがとう)
教科書によれば、塩化ナトリウムを電気分解した場合、陽極の炭素から塩素が発生し、ナトリウムは陽イオン交換膜を通り抜けて陰極の鉄で水素と酸素と反応して水酸化ナトリウムが生成される。余った水素は泡になって排出されるはずだ。
「つまり、逆かぁ」
僕はいそいそと壺から針金類を抜くと、箱の中の魔石を全部逆にはめ直した。再度壺に浸けると、今度は猛烈な勢いで水が白く濁る。細かい泡だ。
ちなみに、化学の先生の話によると、今回のように陽イオン交換膜なしに電気分解した場合、発生した塩素はそのまま水酸化ナトリウムと反応して次亜塩素酸ナトリウムになるらしい。
「おっしゃ。うまくいった」
僕が作りたかったのは、この次亜塩素酸ナトリウムだ。これは塩素系漂白剤として広く売られているもので、水道水にも消毒のために微量に入っている。
化学の先生の話では、学校でノロが出た場合なども、この塩素系漂白剤を薄めたもので消毒するのだそうだ。ただ、アルカリ性で金属を腐食させてしまう性質があり、先生はうっかり金属の取っ手を変色させたことがあったらしい。
「うわ、なんか変わった臭いがするね」
プールのような塩素臭が漂ってきて、マイナ先生は興味津々で壺の中を覗き込もうとする。
「その匂いの原因は塩素で有害だし、その泡は水素だから燃える。気をつけてね」
僕はマイナ先生の腕を引いて、注意を促しておく。
「水素って、さっき水の構成元素って言ってたけど、燃えるの? 4大元素であるはずの水が分割できて、しかも燃えるって、常識の壊れる音がするね……。油ならともかく」
部屋の中に塩素の臭いが濃くなってきたたので、扉をあける。
ドアに面した中庭には、丁度砦から素材が到着していていた。ほとんどが燻製肉と塩漬け肉だが、スライムの膜なんかも折りたたまれて積まれている。
「ちょっと。扉を開けて大丈夫なの? これは秘法の類だよ?」
井戸の横では、マイナ先生と一緒に館に入ったであろう砦からの帰還組が、井戸で水を汲んで手を洗っている。砦からここまで来て、中には水筒に水を注いでいる者もいて。
いや、ちょっと待て。あの井戸は……
「ストーーップ!」
思わず大声で中庭に飛び出す。すでに汚染水で濡らした手拭いで顔を拭いている人もいる。
これは僕の失態だ。領主の館に来るなと、門番に連絡を指示すれば良かったのだ。
「坊ちゃん? どうしたんで?」
濡れた手拭いで首を拭きながら、シーピュさんがやってきた。
「その井戸水、飲んだ人いる?」
シーピュさんを無視して、全員に声をかける。
「俺はまだ。他に飲んだ奴いるか?」
みんなの顔には疑問が浮かんでいたが、シーピュさんが問いかけると、全員が首を横に振った。
「その井戸水をそのまま飲んだら、腹を壊す奇病にかかるよ? 飲むなら沸かして飲んでね」
僕がそう言うと、みんなの手がピタリと止まる。
「ええと、それって、この手拭いは大丈夫なんで?」
「大丈夫じゃないから、煮洗いしてもらって」
煮洗い、というのが通じなかったのが表情からわかったが、それも無視だ。
「今身体拭いちゃったんだけど、大丈夫かな?」
「川で身体を……は広がりそうで危なそうだから、今すぐお湯を沸かせて、冷ましてから身体を洗って」
次々指示を出す。このメンバーに感染を許したら、砦は維持できなくなって、塩は手に入らなくなる。メンバーが水を口に入れる前だったのは幸いだったが、まだ油断はできない。
「ああもう。石鹸さえあれば」
ここで石鹸で手なり身体なりを洗えれば、話は早かった。
石鹸で洗うのは感染症予防の基本なのだ。
灰から石鹸を作るのは失敗したので、次は水酸化ナトリウムを材料に作る必要があるが、教科書によればその製造には陽イオン交換膜がいる。
そんなもの、どうやって作れと言うのだろうか?
もし本格的に作るなら、色々試すしかないが、ともあれ今すぐは無理だ。
「え? あるよ。石鹸」
後ろについて来ていたマイナ先生が、思わず漏れた僕の独り言に反応した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます