第3話 魔法

オークがアタシの首根っこを掴んで持ち上げると、気持ち悪い豚顔で見下している姿が目に入って来る。

このまま襲われる……?


「ひいぃつ!」

「落ち着いて下さい!【時にやすらぎを、時に平安を、静寂なる湖のごとく】〈精神安定〉!」



恐怖で女子供のように無我夢中で暴れて手足を振り回していたが、神官の使った魔法を受ける事で、心が落ち着いて来る。


助かった。

ちょっとした恐慌状態になっていたようだ。


体が変化した影響だろうか。

普段以上に慌てていた。

冷静さを取り戻すとともに、全身に力が巡っている事に気づく。


アタシはこの力を知っている。

女だけが使える神々の力、魔法だ。

その時アタシは理解した。


「ああ、そっか。 ……アタシ、魔法使いなんだな」


魔法を訓練した事はない。

だが基礎魔法なら詠唱も要らない事は知っている。


眼の前には気持ちの悪い豚野郎。

どうする……?

決まっている!


アタシは足に氷を纏わせ、氷で出来た棘を作り出す。

次に足に風を集めて蹴りに思い切り勢いをつける。

そのままの勢いでオークの金玉を氷の棘で蹴り飛ばす。

何かが潰れる音がして、柔らかい肉に棘が突き刺さった。


「ブギイイイイ!!!」

「気持ちの悪い鳴き声だな。まあさっきよりはマシか」


オークはアタシの手を放してうずくまる。

前かがみになったオークは激痛に身を耐えているようだった。


すまねえな。

今のアタシには男としての矜持なんてねぇんだ。

こんな雑魚相手にビビっちまった事がムカついてすらいる。


「まだまだ頭が高いぞ豚野郎。アタシに汚えモン見せつけんじゃねえ、潰すぞコラ」


もう潰したけどな。

ついでだ。もう一つ潰してやる。

アタシは同じ目線まで下がったオークの顔を、熱くなった手で握り掴んでやる。


「…………ブヒッイッ!」

「アタシの中はあったかいだろ? もっと激しく燃えようぜ」


手から炎が吹き出す。

アタシの手を剥がそうとオークは慌てて両手を伸ばしてくる。

だが、もう遅い。


親指を目玉に突き刺して固定し、炎を頭の中に直接送り込む。

魔法には詳しくないが、基礎魔法と言えども中からオークの脳みそを焼き潰すことくらいはできるようだ。


やがて動かなくなったオークは、うつ伏せに倒れた。

焼け焦げた顔はもはや見えない。


「豚野郎は地面にキスするのがお似合いだな」

「あれだけの威力で無詠唱!? いったい何のスキル……?」


なにやらぶつぶつ呟いてうるさい女だ。

とりあえず声でもかけてやるか。


「手間取っちまってすまねえな」

「いえ、ありがとうございます。すいません、その、お名前は……?」


深く頭を下げてくる神官に名前を聞かれて少し戸惑う。ボロボロにされて胸すらも隠しきれていないが、元は上質の服だったのがわかる。

本名のアレクだと色々と面倒くさそうだ。


「あ、失礼いたしました。私はバレッタ伯爵家の七女、エリス・バレッタと申します。魔王討伐隊の選考メンバーの一員として神官の任務についておりました。」


アタシの沈黙を勘違いしたのか向こうから名乗ってくれる。

バレッタ伯爵か。確か二つ隣の領主だったはずだ。


何故こんなところにいるのか。

それに、彼女から漂うこの匂い。

魔物寄せの香だ。


……厄介事を抱えてしまったのは間違いない。


「……ただのマリーと呼んでくれ。悪いけどアタシは敬語ができないからお貴族様を不快にさせてしまうかもしれない。先に謝っておくよ」

「ありがとうございます。 ……では私も愛称のエリーで呼んで頂いて構いません。 改めて命を助けて頂いた事にお礼を申し上げます」


深々と頭を下げてくる。

最近のお貴族様にしては大分殊勝な心がけだ。

だが、貴族に頭を下げさせている所を他の人間に見つかったら最悪首が飛んでしまう。


「アタシよりアンタの立場が偉いんだ。よしてくれ。」

「いいえ、私も神官として魔王討伐隊の選考メンバーとして選ばれた時、伯爵の家格は一時的に返上しております。今の私は貴方と同じ一介の冒険者に過ぎません」

「一時的に返上ねぇ……」


完全に訳ありだ。

この三百年魔王は倒されていない。

代々勇者と呼ばれる者が選ばれジワジワと魔族の住む領土へ侵攻しているがそれでも後五百年はかかると言われている。

それの選考メンバーに選ばれるだけで家格を取り上げるとは。


「ちなみに、エリーの親父さんはどんな人だ?」

「それが私が幼い頃、母が亡くなる前に一度会ったきりでどんな人だったかまでは……」

「ああ、そうだろうな。大体予想通りだ。予想より重いけど」

「あ、ですが今回の討伐で見事魔王を倒せばお父様も認めてくれると上のお姉さま方が言っておりました」


やめろ。華のような笑顔でアタシを見るな。

心に刺さる。


だが大体事情は察した。

妾の子で捨ててもいい駒を討伐隊として厄介払いも兼ねて出したってとこか。


……魔物寄せの香を焚く理由が分からねえな。

なにか権力争いに巻き込まれたか。


「わたくし補助と回復魔法に関してはお姉さまよりも上でしたから、そこが評価されたのかもしれませんね」


そうだな。

評価されて魔物寄せの香を…… ねえな。

お姉さま方とやらがなにか仕組んだんだろうな。


とはいえ家から捨てられたというのを直接指摘するには心が痛む。

どこまで関わるかわからん相手だ。

黙っておこう。


「あら、マリーさん手が…… ああ、私とした事が気が付かず申し訳ありませんでした!」


そう言うと慌てたように彼女はアタシの手を握り、呪文を唱え始める。


「【白き精霊よ、その御手を癒やし給え】〈ヒール〉」


精神が高ぶって気が付かなかったが、炎の魔法による反動でアタシの腕も火傷を負っていたようだ。

魔法の腕は確かなようで、みるみる手の傷が治っていく。


「良い腕前だな」

「そうでしょう? 私、本当は学ぶのを禁止されてたんですけど、掃除洗濯の仕事が得意だからと言うことで、メイド長が特別にお時間を下さって家庭教師の話を聞く事ができたんです!」


華のような笑顔に少し自慢げな様子がとても可愛らしい。アタシが男だったら惚れてるかも知れない。


……でもね、普通は令嬢が掃除洗濯をやらないんだよ。メイドのシゴトなんだ。

一方的に心の傷を抉らないでくれ。


「今回はお姉さま方専属の執事に力が強くなる特別なお香を頂いて、ここで実力を試してから王都の選抜へ向かうはずでした。 ……ですがうっかり崖から滑り落ちてしまって……」

「分かった、分かったから! ともかくエリーはアタシが絶っ対に街まで連れて帰ってやるからな! 安心しろ」

「? え? はい、お願いします。」


これ以上エリーの身の上話を聞くのはアタシの心が持ちそうにない。

話の腰を折って、無理矢理にでも街へ連れて帰る事にする。

そのあとのことは…… うん、帰ってから考えよう。


「ここからだと迂回が必要だから、今の時間だと早くても夜だ。だからアタシの知ってる安全な場所で一泊してから街に帰る。良いな?」

「え、ええ。構いません。 執事の人が言うには森の奥から街へ出る隠し道があると聞きましたが、そこから向かうのでしょうか?」

「……残念だがその抜け道は嵐で潰れた。アタシの知ってる道を使う」


顔も見たことがない執事とやら、いつか会ったら殺してやるから覚悟しろ。


「分かりました。荷物は今持っている物がすべてですのでそのまま向かいましょう」

「ちょっと待ってな。流石にその格好で街に行くのはマズいだろ」

「ですが代わりの服も無いので…… え? あの、何を…… あっ!」


アタシは自分の服をナイフで引き裂いて、その布でエリーの胸を隠してやる。


「エリーの服に比べたらたいしたことない。気にするな」


エリーがアタフタしているがエリーの服よりずっと安いボロ服だ。

アタシも腹が露出するが、エリーの胸が見え隠れするよりマシだ。


元々着ている服はボロボロで服としての機能が失われている。さらに魔物寄せの香が染み付いている。

オーク共の死体近くに置いていって貰おう。


……一昼夜もすれば他のゴブリンやら動物やらが死体共を食べ尽くし、ぐちゃぐちゃになってわからなくなるだろう。



……しかしエリーの胸も結構あるな。

今回はあの胸を見れただけで良しとするか。

俺のちっちゃな役得ってとこだ。


……ん? 今なにか違和感が……


「マリーさんありがとうございます! この御恩忘れません! お礼になんでもいたします」

「良いよこれくらい、冒険者のよしみだ。 ……あと女は気軽になんでもなんて使うんじゃない」


俺が理性を飛ばして襲いかかったらどうするんだ。 ……ん? 俺?


「ありがとうございます!」

「お、おい抱きつくな! とりあえず移動するぞ」


なんとなく分かった。

女に欲情している時は『俺』に戻るらしい。

本当の意味で女になっていないのか、あるいはスキルがなにか影響しているのか?


まあいい。


安全地帯まで移動した時点で、日は暮れかけている。

夏場とはいえ夜は少し冷えるので、虫よけの香を焚き。寄り添って眠る事にする。

焚き火は薪を集めるには遅すぎるので却下だ。


「マリー……お姉さまって呼んでくれてもいいでひゅよ〜」


コイツはどんな夢を見ているんだ。

俺のほうが年上だコラ。

……今の姿は年下に見えるのだろうか。


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