白妙の巡礼者

亜脳工廟

巡礼者アステリズム

  少しばかりの餞別。その後に城門を出た私に待っていた第一の運命は死であり、この時、私は生まれて初めての死を経験した。

野賊の類も、何もない、ただ野獣に襲われ、恐ろしくも食われて死んだ。私はその時に零れ落ちた一つの肉片から再生し、袂に私のぐずぐずになった肉片と、汚れた僧衣が散らばっていた。

 幸い、装飾品や道具などは無事である。私は丸裸になりながら、また荷物を背負い、歩き始めた。

 境遇など、死んでみればあっけのない、取るに足らない些末さである。


 愚かしく歩み続け、靴は野原に擦り切れる。かつての亡滅に堕ちた、今や、その残滓たちが住まう土地へと向かう。そうして擦り切れてなくなった靴の後、血の跡は伸び続け、その末端は乾き続ける・・・ いつしか、血も止まり、硬くなった足裏を自覚するころ、私に第二の死が訪れた。

 自殺。あるとき、一瞬だけ、全てが莫迦莫迦しくなって、持っていた短刀で衝動的に心臓を貫いた。


                  *

  

  夜。レテの端、〈警句の森〉の古びた小屋にて、二人の男女の姿があった。男は暖炉の炎を背景に修羅の像を彫り、女はコートにくるまりながら地面に寝ていた。

 この小屋はかつての詰め所で、国という体を無くしたレテには必要のないものである。


「よう、起きたか」

 男は一度女のほうを見やったきり、また像を彫り始める。それから、また幾ばくかの時間が流れた。

「・・・・・・」

 目覚めた女は奇妙なものを見るように、茫然と男を見つめている。

「・・・あなたは?」

「旅の者だ」

 宵の終わり、虫の音が煩くなる時間。薪の燃え落ちる音が静寂に消える。


「何故?」

「何故とは?」

「何故、助けたのですか」

「人を助けることに理由がいるのか」

女は包帯を巻かれた腹部を覗きこみながら言う。

「放っておけば、勝手に生き返ります」

「そんなわけがあるか、失血して、一歩間違えれば死ぬところだったんだぞ。雨で血が流れて、放っておいたら失血していた」


 男は多くの装飾品を身につけていた。異民族的な、趣向的な、気持ちの悪い象徴の数々である。   

 東方の民族特有の低い鼻も相まって、彼が異教徒であるというのは明白であった。

 解せないという顔をしながら、女は言う。

「何の対価も要求しないというのですか?」

「別に構わんよ」

「不死の荷などさっさと奪って、慰みものになどしてしまえばよかった・・・」

「・・・そういうことは言うものじゃない」

「そういうものなのです。不死とはそういうものでしかないのですから」

 男はうろたえる。少しの沈黙ののち、

「おれは、仙戒という——」

 溜息を吐きながら、仙戒という男は、完成した木彫りの修羅を地面に置いた。

「どんな用であれ、少し休んでいくがいい」

 それきり、会話はなかった。女はぼうっと天井を見つめ、数時間たったのち、眠りについた。


                   *


 あまりにも深い闇の中、不可視の何かにおびえながら、声のような何かがずっと響いている。その暗澹は恐ろしく、かつて『宇宙』という言葉とその意味を知った時のような、言いようのない大空間の恐ろしさに似ていた。

 私はその空間で必至にもがき声にならない叫びを上げている。何も伝わらない、何も聞こえない。だが断続的な圧力ばかりがそこにあり、私は静かに窒息していた。

 苦しみの中、私はいつしか呼吸を忘れ、その直後に、巨大な暗闇から小さな光へと排出された。


                   *


 翌朝、女は忽然と消えていた。くるまっていたコートも、彼女が持っていた荷物も、どこにもなかった。巻かれていた包帯だけがその場にばらばらと落ちていた。


 仙戒は落ちている包帯を拾いあげ、驚愕した。

 包帯に血の跡はなく、体液の一滴たりとも付着してはいない。ぐちゃぐちゃにした新品みたいな乱雑さがあるだけで、それはいつまででも透き通っていた。彼女の言っていたことは妄言などではなく、彼女は確かに、紛れもなく不死だったのだ。

 この時、仙戒はかつての啓示が真実であることを悟った。



  

〝レテは非常に保守的な国家であり、アステリズムの紋章を持つもの以外の往来を拒んだ。

 周囲を山岳に囲まれ、断絶されたレテに接続する唯一の道である森は渡来する人々を検問するための〈警句の森〉であり、警句に従わない者は、機械的に駆動するロボットによって、容赦なく射殺された。〟


  

  あの女を探す。仙戒の情念はそれ一色に染まっていた。それは恋にも似て、あまりに愛おしい定めであった。

 そうして『巡礼』についていこう。この本懐のためにここまで生きてこられたのだ。

 仙戒はそれまで抱えていた多くの荷物を小屋に残し、必要最低限のものだけを持って、小屋を出立した。ナイフ、食糧、金銭、貴金属類、その他売れそうなものを二つほどの雑嚢ざつのうに詰め込んで、得物を担ぎ、速足で森を渡る。

 近くの町まで相当長い、それまでに賊にでも遭ったらと思うと恐ろしい、谷にでも落ちたらと思うと尚更恐ろしい。

 夢にまで見た邂逅かいこうを無下にしてしまった。彼女が目覚めてから何時間立ったろう。寝顔は見たのだ。まさか深夜に歩き出したわけでもあるまい。だが、不死とは何時間寝るものなのだろう? おれは何も知らない。啓示とはあまりにも不確かで、融通が利かん。

 後悔に己を攻めさせながら何時間か歩いた、するとある時唐突に何発かの銃声が響いた。いや、銃声というにはあまりにも透き通っている。むしろ鐘のような・・・

 仙戒は銃声の方角に駆ける。草をかき分け、小川を飛び越し、獣の背後をすり抜けた。

 駆け付けた先にあったのは、血に汚れた死体が二つ。その直前で、あのコートを着た人間が拳銃を持って、へたりこんでいた

「あっけない。あまりにもあっけない」

 彼女は崩れた笑顔でヘラヘラと笑い始める。

「おい」

 アハハハ

「大丈夫か」

 フフフ

 仙戒は女の肩を揺さぶり、顔を見つめた。開かれた眼球の瞳孔が開いている。目に光がない。

 そして、人の気配。それも複数。


「どうしてこう、人とは病むのであろうかな!」

 抜刀。〈淵朧〉と銘の打たれた美しい刃が露になる。

 刃とは最も単純な殺意である。

「さあ出てくるがいい。一人づつ殺してやる」

 周囲を見渡すが、だれも出てくる気配がない。その時、

矢が放たれる。空気を裂き、回転する弾頭の山なりの射線は確実に仙戒を捉えていた。


「イヤァァァ!」


 仙戒が叫び声を上げ、矢を刀ではじき返した。矢は射手の元へと弧を描いて舞い戻り、射手は自分の放った矢に射貫かれて死んだ。

「さあ次は誰だ。次に死にたい奴は誰なのだ」

 音のないどよめきがした。

 それから刹那もたたないうち、盛大な音を立てて賊たちは退散した。


 仙戒は女を見やり、名前を問う。

「私・・・私の名は、かつての聖人の名から、アステリズムと・・・いつの間にか、そう呼ばれて——」


「そうか、お前さんはアステリズムというのか。おれは、仙戒。何を言われようともついていく、悪辣なストーカーにして、従者だ。貴女の巡礼の旅に同行しよう」

「ええ、ええ、わかりました。では、どうするんだっけ?」

 錯乱した声で、アステリズムは呟く。

「とりあえず近くの町まで行こう」

 仙戒は虚脱状態のアステリズムの手を取り、歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る