第25話 安 息

 久しぶりの雨の日、仕事は休み。


 雨が降ると、頻りにまどかに会いたくなってしまい家を出ることにした。結局、先日の昌子に似た少女の話を俺は信じる事はできずに夢だったのではないかとさえ思い始めている。もしかすると、昌子の娘……、妹……、しかし、どれも非現実的でしっくりはこない。


「タイム・リープ!だって……。馬鹿馬鹿しい……」


 あの昌子に似た少女の話をまとめると、十数年前、合宿中に、二人で空手の練習の帰りに大雨にあい、はぐれてしまった後、彼女は時間を飛び越えて、俺が大人になったこの時代に、当時とほぼ、同じような年齢で現れた……。その姿は俺の記憶の中にいたはずの昌子、もう二度と会える筈がないと完全に気持ちを断ち切ったあの少女のままであった。そんな事があるわけ無い、漫画やアニメじゃあるまいし……。何度考え直しても、俺の頭ではそれを納得することは出来なかった。


 あの公園に行くと、また、昌子……、いや昌子に似たあの少女に会ってしまうのではないかという不安もあった。また、彼女の顔を見ると気持ちをかき乱されてしまいそうで怖かった。あの時、昌子を救うことが出来なかった自分への嫌悪感、その思いが混濁してしまう。


 しかし、それでもまどかに会いたい気持ちのほうがそれよりも大きかった。いや、だからこそ彼女に会いたい気持ちが大きくなってしまぅているのだ。今の俺にはまどかしかこの心を癒してくれる存在はいないのだから……。


 雨が降った時は、あの場所に行けば必ずまどかに会える。すでに、俺の中ではそれが確信のようになっていた。幸い幸恵は今日も用事があって出かけるそうであった。


 いつもより小綺麗な服を着て、少し薄めの化粧で昼前に出掛けていった。赤い口紅を塗っているのを久しぶりに見たような気がする。最近はリップクリームで代用している事が多い。若干、誰と会うのか、おおよその検討もついてはいるのだがそれを突き詰めて詮索する気力は俺にはない。もう、彼女への愛情は完全に姿を消していた。まあ、それは彼女のほうも同じなのであろうが……。幸恵が出掛けるのを見計らってから俺も家から飛び出した。


 いつもの小豆色の電車は俺をまどかの住む町へと運こんでいく。車両の窓から外の天候を確認すると、雨は更に勢いを増しているようである。こんなに天気の具合に敏感になったのはここ数日の事であろう。しかし、一度でいいから綺麗な青空の下でまどかの満面の微笑みを見てみたいものだと思った。


 目的の駅へ到着。いつもの駅の改札を抜けると、前回来た時には気づかなかった気付きがたくさんあった。改めてこの町の姿が様変わりしている事に驚いた。


「こんな店あったっけ……」俺は田舎者のように辺りを見回した。見たことの無い店のオンパレード。


 こんな大手のハンバーガーショップなど、都会にしか無いものだと思っていた。


「ん?なんだあれ……」広場に設置された滝のようなオブジェに水で文字が表示される。


「すげー!えーと……、Welcome 2・0・2……」


「わぁ!」突然、大きな声と同時に背中を叩かれて、心臓が飛び出すかと思った。

「び、びっくりした」バクバクとする心臓の辺りを俺は押さえた。


 目の前に、片手に淡いピンクの傘を持ちコロコロと可愛く笑うまどかの姿があった。どこからか走ってきたのか、なぜか小刻みに息を整えようと肩を揺らしている

「驚いた? 超うける!」彼女はさらに笑い続けた。俺の驚く姿は彼女の笑いのツボにはまったらしい。


「そりゃ、驚くよ!ひどいな」俺は胸を抑えながら深呼吸する。息を切らせて呼吸を整えながら笑い続ける少女と、胸を押さえながら同じく呼吸を整えようとする男。端からみるとかなり滑稽であろう。


「ごめん、ごめんね!」彼女の口調になんだか二人の距離が縮まっているような気がした。


「ところで!お・じ・さ・ん!お暇ですか? もしお時間があるのならこのまどかちゃんがお詫びにおじさんとデートしてあげますよ」後ろに手を組みながら少し頭を傾げてまどかは言った。


「おじさんって言うな!それになぜに、上から目線……、えーと、それじゃぁ……、よろしくお願いします」彼女のそのお誘いになんだかとても胸が弾むような思いがした。もともと、彼女に会いたい気持ちが強くて出掛けてきたのであるからこのお誘いはウェルカムであった。


「素直で宜しい!それでは……」そう言うと、まどかは自分の傘をたたみ、俺の傘の下に入り込み、俺の腕に彼女の腕を絡ませてきた。

「お、おい」俺は少し躊躇する。彼女の小さな胸が俺の腕に当たる。その感触に俺の血液は少し勢いを増した。俺は悟られないように、冷静を装う。彼女はそれを気にも止めていない様子だった。まどかとの距離が近い為、彼女の甘い香りがする。


「だって、デートでしょう」小悪魔のように戯れてくる彼女の顔に見とれてしまう。なんだか出会った頃と彼女の雰囲気が変わったような気がする。それだけ俺に対する警戒心が無くなったということであろうと勝手に納得する。すぐ傍にいる彼女の甘い香りは甘美で、俺は目をつぶり鼻の穴を広げて大きく息を吸った。


「えっ、やだ、もしかしてポテトの臭いがするかな?!」まどかは慌てて自分の腕を上げて服の匂いをかいだ。


「あっ、ごめん、まどかちゃんの匂いがすごく良い香りだったから……、つい」俺は頭を軽くかいた。もしかすると変態だと思われたかなと言葉を口にしてから後悔した。

 まどかは、少し赤くなって下を向いている。


「ごめん。本当にごめん」手刀を切って謝る。

「えーと……ありがとうございます。えーとそれじゃぁ、レッツゴー!」誤魔化すように、まどかは唐突に叫ぶ。


「三匹!」彼女の掛け声に思わず反応してしまった。


「レッツゴー三匹?」不思議そうに、まどかが俺の顔を見た。


「知らない?知らないか……」まさか今時の女子高生が、昔の漫才師を知るわけないとは理解してはいるが一応質問をしてみる。


「知らない」まどかは笑った。そりゃ、知らないわな……。


 二人でハンバーガーショップで食事をする。


 ここが、彼女のアルバイト先だそうだ。ここ数年踏み入れたことの無い領域、久しぶりのハンバーガー。なぜか、従業員と、客の視線を感じる気がする。彼女にそれを言うと気にしない、気にしないと『とんちの一休さん』のように俺をさとした。


 最近のハンバーガーショップは、俺が知っている頃と雰囲気が変わっている事に驚いた。少し前までは、子供連れの顧客がメインで子供連れの家族が集まって誕生日会などをやっていたような気がする。今ではサラリーマンも多く、取り扱うメニューも少し変わっているようであった。よく解らないので、まどかが食べるものと同じものとホットコーヒー注文した。


「睦樹さんって、おいくつなんですか?」まどかは、両ひじをテーブルにつき、顎を上に乗せたまま、身を乗り出して聞いてきた。


「俺は、甘党だから2つかな……」いいながら、砂糖の袋を破りコーヒーカップに注いだ。


「そのギャグ、古すぎです!砂糖じゃなくて、歳!睦樹さんの年齢です!」親父ギャグとでも思ったのか、まどかは呆れたようにため息をついた。


「あっ、歳か……、えーと26歳だったなぁ」俺は本当に砂糖の数かと思った。古典的なギャグを言ってしまったようで恥ずかしくなる。最近は、自分の年齢を意識することが無くなってきたので、突然聞かれると解らなくなったりする。


「26か……、思ったより若いですね!」なぜか、まどかは嬉しそうに微笑んでいる。思ったよりって、一体いくつに思われてたのかと勘ぐったが、聞くのをやめた。


「まどかちゃんは、いくつ?」彼女の歳も一応確認しておこうと思う。


「じゃあ、私も2つ」舌を出しながらウインクしている。手はVサイン。

「えっ?」俺は意味が解らなかった。


「ザ・オヤジギャグですよ」まどかは、ケラケラ笑っている。なにが可笑しいのか俺には理解できない。


「俺のこと、親父って言ってるじゃない」俺は少し、横を向きながらコーヒーをゆっくり口の中に流し込んだ。


「拗ねたんですか?」彼女は少し下から見上げているようだ。


「誰が!」コーヒーを吹き出しそうになった。


 彼女は、相変わらず口を押さえながらケラケラ笑っていた。箸が転がっても可笑しい年齢とはよく言ったものだ。


「そういえば、睦樹さんって結婚されてるのですか?」まどかは少し真剣な顔をして聞いてきた。


「えっ、あっ、どうして解るの?」俺は突然の彼女の問いかけにあたふたする。別に隠していた訳では無いのだが秘密にしていたように思われたのだろうか。


「だって、薬指に指輪をしてるんだもん」まどかは睦樹の左手薬指を指差した。


「あ、ああ、なるほど……」指輪は付けっぱなしにしているので忘れていた。


「奥さんって焼きもちやきな方なんですか?」彼女はストローを咥えてジュースを飲んだ。


「うーん、どうかな俺には興味無いみたいだけどね」こんな事を言うと嘘をついて女の子を騙そうとする浮気な男のように思われそうでなんだか後ろめたかった。


「ふーん、そうなんですか……」彼女は何かを考えているようであった。


「でも、女子高生とデートしたって聞いたら怒流石に嫉妬されるんじゃないですか?」悪戯っぽくまどかは小さな声で呟いた。俺はなぜか試されているような気持ちになった。


「色々あってね。なかなか夫婦って大変なんだよ……」話していてなんだか空しくなってきた。


「そうなんですか……、それじゃあ私といる時は奥さんの事は忘れてくださいね」彼女のその言葉を聞いて俺は驚きを隠せないでいた。


「そ、それはどういう……」


「別に深い意味はありません。でも私は……、いいえ今日はデート楽しみましょうね」気持ちを切り替えたのか彼女はニコリと笑った。


「あ、ああ」俺は彼女のその微笑みの虜になってしまっているようである。と同時に少し改めて自分が悪いことをしているような軽い罪悪感が胸をモヤっとさせた。

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