第9章 8

『若さ故の暴走なんて、誰にでもあることさ。君だって、昔は、相当だったよ……ねえ、レジェット?』

『……遅ぇんだよ』

 ぎこちない動きで肩を竦めた少年の科白に、レジェットは思わず鈍い舌打ちを零した。

『逃げた残党とやらを、何処まで狩りにいってやがった。おかげで、こちとら大忙しだ』

『ゴメン、ゴメン。何せ、この有様だから。歩くのが、やっとでね』

 左の脇腹と肩、そして顔。その他大小諸々の傷をこしらえた我が身を見遣り、ケレスは再び喉を鳴らした。

『そっちこそ……どうして、ココにいるのさ。皇宮の方は、終わったの?』

『……とっくに、制圧済だ』

『…………!?』

 真正面で見開かれた紅玉ルビーの瞳を知ってか知らでか。苦々しい嘆息とともに紡がれたレジェットの声は、恐ろしく淡然としていた。

風領土バリンのエン・グレイズ以下……‘光の槍エヴァライムズ’の構成員と疑われる輩は、全員拘束した。お前の読み通り、西殿の隠し通路にいたぜ。西門側から脱出しようとしたらしいが……何とか、間に合った』

『殺したの?』

『……大半は、北の塔にぶち込んだ。実行犯だけで、ざっと三十余人。ただの協力者を合わせりゃ、もっと増えるだろうな』

『……そう』

 うんざりとした調子で肩を竦めた同僚の言葉に、ケレスは醒めた視線で相槌を打った。

『フィリックスと……それにリーズ公は?』

『フィリックスは、気絶させて執務室に放り込んできたよ。薬が抜けりゃ、大丈夫だろう。師匠は……大広間にも、西通路にもいなかった。無事だといいが』

『……大丈夫だよ。彼女、ああ見えて相当に図太いもの。今頃、優雅にお茶でも飲んでいるはずさ。今夜の騒動を肴にね』

 再度驚愕に染まったハルの視線をよそに、ケレスはただ面白そうに嗤うばかり。声の出ない喉を必死で鳴らす青年を映したその瞳には、かつてレアルで相対した時と同じ、不透明な嘲弄が浮かんでいた。

『……僕の方も、一応、仕事は終わったよ』

 短い科白を紡いだケレスが、おもむろにその右手を振る。その合図に従うが如く木立の影から出てきたのは、まるで人形のように無表情なふたりの美童。黒地に赤の線が入った長衣──これが皇家の私民服であると知ったのは、ハルにとって相当に後の事ではあったが──を着た彼らの腕には、それぞれ小柄な人物が捕えられていた。

『ちょっと!離してヨ!痛い痛い!イタイって!!』

『…………!?』

 息を詰めたハルの前で悲鳴めいた不平を叫んだのは、幼さが多分に残る巻き毛の少女。

 おそらくは、相当に暴れたのであろう。薄茶色の装束を泥で汚したその横では、短い‘黒髪’の青年──否、アースロックが頭から血を流したまま、ぐったりとうなだれていた。

火領土グラウダのシネイン・ユファス公と……その私民君、かな?』

 青年の顔貌に気づいたのか、思わずはっと瞠目したセレナが、慌てて口元を押さえる。

 ともに隠しようもない驚愕にとらわれた兄妹の耳を、ケレスの苦笑がひたひたとなぶった。

『ふたりとも、東門を出てすぐの所に隠れていたよ。二騎の騎獣を引き連れていたところをみると……姫君を連れて、高飛びでもするつもりだったのかな?』

『どうして……っ……!』

『どうして、バレたのか……って?』

 苦笑まじりの相槌にきっと顔を上げたシネインを、再び響いた嗤笑が見下ろす。

 崩れてなお愛らしい天使の微笑をたたえながら、ケレスはシネインへと向き直った。

『……君が思う程、人の心は単純じゃあないってことさ。小鼠ちゃん』

 わずかに屈んで少女の双眸を覗き、ケレスはふと無事な左目を絞った。

『皇帝をたおすことは、君にとっては正義の体現だったかもしれない。けれど、‘光の槍’の全員がそう考えているかと言えば、それは違う。地位や領地……もしかしたら、本当に個人的な欲望のためっていうのもあるかもしれないね。声高に理想を叫びながらも、腹の中では全く別のモノを求めるのが、人間っていうものさ。良くも悪くもね』

『…………っ!!』

『その隙間をうまく突いてやれば、ことは簡単に瓦解する。それが君の……いや、君が信じた正義の、最大の敗因さ』

 揶揄よりも冷淡さが勝る科白に、一体何を見たというのか。きつく唇を噛んだシネインが、無言のまま視線を落とす。

 その仕草を無感動な眼差しで捉えながら、ケレスはするりと身を返した。

『もうひとつの敗因は……そうだね。の気まぐれを、真意と勘違いしてしまった事かな?』

『彼……?』

 半ば掠れた少女の疑問符に、少年がふわと視線を緩める。面白そうに瞬きしたその左目はしかし、少女ではなく……ハルを吊り上げた大男へと向けられていた。

『……ゲーム、と言っていたよ』

 かすかに震えた広い肩を、飄然と見つめたまま、ケレスは再び唇を開いた。

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