第6章 3

「…………!!…………ル!!」

 覚醒と同時に自覚したのは、己が肩を掴んで揺する熱い感触だった。

 僅かに遅れて開けた視界に、淡い色味がゆっくりと像を結ぶ。

 ゆるやかな陽の光を背に此方を覗き込んでいたのは、見慣れた……しかしながら久方ぶりに目にする、新緑の色だった。

「……よかった」

 くしゃくしゃと笑み崩れる情けない顔をぼんやりと見返す中、未だ脳裏にかかる霞がゆっくりと晴れていく。ゆるゆると焦点を定めた赤い虹彩が、目の前の人物をようやく認証した、その刹那。

 悲鳴のような呼気とともに、ハルは勢いよくその場に跳ね起きていた。

「……バカ、止せ!」

「………っ……!?」

 静止の言葉に被った衝撃に、クリアになった視界がぐらりと歪む。

 腹と背とを同時に襲った激痛に全身を強張らせながら、ハルはそろそろと己が身を見遣った。真っ先に目に飛び込んできたのは、裸の上半身にぐるぐると巻かれた布の、洗い晒したような白。続けて下へと視点を移せば、つい先刻まで世話になっていたらしい敷布や掛布が、くしゃくしゃに乱れて散らばっている。

「……三日も寝てたんだ。傷は何とか塞がったようだけど……無理するなよ」

 隣に並んだ寝台に腰掛けた青年――アースロックが、呆れたように嘆息する。困ったようなその貌を、半ば呆然たる心持ちで見つめながら、ハルは掠れに掠れた酷い声を絞り出した。

「どういう……ことだ……?」

 ようやく落ち着いた紅玉の瞳が捉えたのは、さして広くもない、ごくごく素朴な寝室。飴色の杉板が張られた低い天井と小作りなドア、そしてやや黄色みを帯びた石壁は、古びてはいるがごく丁寧に使われてきたことがよく分かる。

 ふたつの寝台の間に置かれた卓の上には、簡素な麻の夜着とともに、見慣れた紫の手甲ガントレットとアースロックの日記帳――どういうわけかひどく波打ちふやけてはいたが――とがちょこんと揃えて置かれていた。

「あの後……お前を連れて、火領土グラウダに向かってひたすら逃げた。でも、途中で追いつかれて……」

 どこか決まり悪げに俯きながら、アースがぼそぼそと呟く。襟ぐりの開いた夜着から覗くその右肩は、ハルと同じく白い包帯で覆われていた。

「やばいと思った時には、もう撃たれてた。その後、意識が飛んで……気付いたら、にいたんだ」

「ここ……?」

 胡乱気なハルの言葉に、従兄弟はこっくりと頷いた。

「ヴァナ、とかいう村らしい。詳しくは聞けなかったけれど……火領土のかなり辺境みたいだ」

「聞け……!?」

 一瞬きょとんと瞬きした赤眼が、僅かな間を経て大きく見開かれる。その内に、平生見慣れたを捉えたまま……ハルは思わず青ざめた声を上げた。

「ちょっと待て……っていうか、お前、その髪……!!」

「……気づいた時には、全部色が抜けてた。仕方ないだろ」

 狼狽の色も露に絶句したハルを尻目に、アースはどこか諦観めいたため息を漏らした。

「俺も、さっき目が覚めたばかりなんだ。詳しいことはよく分からないけど……村外れの川辺に打ちあげられていたところを、この家の人が助けてくれたらしい。俺はともかく、お前は失血死寸前だったって」

 ――まさに九死に一生だ。

 苦笑いでそう語った従兄弟の顔は、しかしどういうわけか穏やかな気色に満ちていて。

 常ならぬその落ち着きに、むしろ疑いの色を深めながら……ハルは唖然たる面持ちで顔を上げた。

「……お前のを知った上で、助けたって事か?」

「……多分、そういう事だと思う」

 肩の傷が痛んだのか、ふと渋面を作ったアースロックは、ぎこちない仕草で首を竦めた。

「はっきりとは言えないけれど……話を聞いた限り、俺達に危害を加える気はないらしい。とりあえず休んで、早く傷を治せって言うばかりでさ。捕まったとか、そういうわけでもないようだし……」

「話を聞いたって、お前、ルナン語……」

「……いや、それがさ」

 未だ呆然たるハルの言葉に、アースはふと興味深げに身を乗り出した。

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