第3章 7

 ひとりは見上げるような長身を赤橙あかだいだい色の軍衣で包んだ、二十代半ば程の男。

 癖の強い長髪を派手な飾り紐でくくり、大ぶりのアクセサリをぶら下げた出で立ちが、暗い中一際目立って見える。浅黒く焼けた野性的な顔には、何故か面白そうな笑みが浮かんでいた。

『遅かったな』

 思わず足を止めたセレナを真っ直ぐに見遣り、大男はひらひらと手を振り近づいてきた。

『そのか?ハラーレのガキってのは』

『……セレナ・姫だ。質問より、挨拶が先だろう』

『ああ、悪ぃ悪ぃ』

 白い歯を見せて笑った大男の言葉に、フィリックスは呆れたように嘆息した。

『……紹介しよう。はレジェット・ジャルマイズ。我が国の、火の‘支配者’だ。フィルナ西王国では、‘炎の剣スライヴァルアーク’の字の方が知られているかもしれないが……』

『レジェットでいい。あんたの親父とは、ガキの頃からの付き合いでな。しょっちゅう一緒に馬鹿をやらかした仲だ。よろしくな、嬢ちゃん』

『は……はい』

 人懐っこい笑みとともに差し出された手に緊張を解され、セレナが思わず頬を緩める。その様子に目を細めながら、大男――レジェットはふとおどけた表情を浮かべてみせた。

『……俺は会ったことねぇが、どうやら母ちゃんに似てくれたようで安心したぜ。女の子があんな仏頂面になっちゃ気の毒だ。それにしても……ハラーレの奴、あんなクソ真面目なツラして意外と面食いだったんだな。驚いたぜ』

 きょとんとした表情のセレナをよそに、レジェットが再び声を上げて笑う。

 その伸びやかな響きを、彼の隣に立つもうひとりの人物がぴしゃりと制した。

『……無駄話はそれくらいにしておいては?』

 冷ややかな声とともに大男を見上げたのは、腰まで届く黒髪を流し、瑠璃色のローブを纏った……男とも女ともつかぬ麗人。

 見たところは、フィリックスらよりも僅かに年若か。真白くまろやかな頬に、細く優雅な鼻筋、そして深紅よりなお濃い唐紅からべに色の瞳。

 恐ろしいまでに均整の取れたその面は、背が震える程美しく……そして冷たい。レジェットとは真反対の華奢な立ち姿は、闇夜に咲く艶やかな月下美人のようにも見えた。

『……そう言うなよ、ウォル』

 セレナから視線を外したレジェットが、彫刻のような美貌の主をじとりと睨んだ。

『人が折角浸ってんのに、水差すなっての。気が利かねぇなぁ』

『思い出に浸りたいのならご自由にどうぞ。ただ、時と場所を考えて下さいと申し上げているのです』

 アルトとテナーの中間のような声に在るのは、文字通り氷のような冷気のみ。容赦のない言葉に思わず渋面を作り、レジェットは大仰な仕草で肩を竦めた。

『……へーぇへぇ。分かりましたよ、っと。嬢ちゃん、こっちの怖ぇ美人はウォルメント・オース。‘氷の魔性ラィア・レイン’とその名も高い、水の‘支配者’だ。このツラと字で、男だぜ?ひでぇ話だよな』

『どちらも、私の咎ではありません。身から出た錆塗れのあなたと違ってね』

『……お前、本当容赦ねぇな』

 愚痴るように呟くレジェットを平然と見遣ったまま、優雅に腕を組むウォルメント。

 その遣り取りを呆と見つめるセレナの耳を、不意にさらりと掠めたのは……今やすっかり聞き慣れた声だった。

『さて……と。支配者キミたちが揃ってお出迎えってことは、もうお待ちかねかな?』

 ぱちりと手を鳴らしたケレスの科白に、彼とセレナ以外の三人の表情が瞬時に凍る。

 その様子を知ってか知らでか、愛らしい緑衣の少年は、にこにこと首を傾げてみせた。

『……そういうこった』

 深く息を吐いたレジェットが、どこか気まずげに視線を落とす。先程までの陽気さが嘘のように消えたその顔は、苦虫を噛み潰したように歪んでいた。

『付添いはいらないから、嬢ちゃんひとりで来いとよ』

『うっわ~、意味深。っていうか、怖っ!あのひと、本気で何する気さ?』

 喉を鳴らして嗤うケレスの声に、しかし応える者はいない。突然訪れたぞっとするような静寂の中、乙女はただ黙って立ち尽くすしかなかった。

 その視線に気づいたのか、あどけなくも底なしに深い瞳が、ゆっくりとセレナを射る。まろやかな頬に相変わらずの笑みを浮かべたまま……おもむろに姿勢を正した少年は、芝居がかった仕草で深く一礼した。

『ルナン帝国第一階級貴族、ヴァイナス家のセレナ姫。皇帝陛下より、恐れ多くも謁見を許すとの仰せを賜りましてございます。どうぞ……御座所へお渡りくださいませ』

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