第31話 セリの一日

 セリの朝の日課は、自分の髪を洗浄することである。

 光に当たると白にも見える、薄い青の髪。

 長く、サラサラとしたその髪は、フローリアへの信頼の証でもあった。


 奴隷に身を落とす前の記憶は曖昧だ。

 大人のウォーララに手を引かれていたような気もするが、それが現実であったのかさえ、セリには分からなかった。

 ただ、随分と自分を気にかけてくれる人がいて、その人が髪の色を変える術を与えてくれたという事実だけは残っている。


 自分がウォーララという種族であること。

 ウォーララということが人間に知られると殺される可能性が高いこと。

 殺されずとも、一生自由は与えられず、肉体全てを喰らい尽くされること。

 そんなことくらいしか覚えていなかった。

 日常生活に必要な知識はあるし、言葉を喋ることもできているため、何か覚えていたくないような出来事が自分の身に起きたのだろうと思っている。


 フローリアに出会えたのは奇跡のようなものだった。

 セリという名前をくれ、なに不自由なく暮らせている今が、奇跡のようなものだった。

 面と向かってその感謝の気持ちを伝えるのは気恥ずかしいけれど、フローリアが求める全てを与える心積もりだった。


 コーリリアが嬉々として話してくれたことだが、ウォーララは基本的に髪の短い者しかいないそうだ。

 誰かの庇護下に置かれているウォーララは、大抵がその身を素材として使われるため、髪も伸びる側から切られてしまう。

 人間に捕まらないように隠れ住むとされているウォーララは、目立つことを避けるために自ら髪を切るのだそうだ。

 ウォーララの髪は短いものだと思っている人間が大半なため、逆に長髪であることが隠れ蓑になっているようだった。


 毎朝、自分で生み出した水で髪を洗ってから毛先をチェックし、枝毛があれば切り落とす。

 キャトラスにいた頃は定期的に髪の毛を切ってフローリアたちに渡していたが、旅が始まってからはそれもなくなってしまったので伸びっぱなしである。

 あまりに長くなりすぎたらフローリアに相談して切らせてもらおうと思っているが、今の所まだ耐えられている。


 だが腰の辺りまで伸びた髪が、剣を振る際に邪魔に思えることは多かった。

 コーリリアに相談すると、前に髪を結んでいた髪留めを譲ってくれた。

 今はフローリアに貰った髪飾りでまとめているから、必要ないのだと。


 初めのうちはフローリアにやってもらっていた編み込みも、コーリリアは自分でできるようになっていた。

 セリを椅子に座らせ、櫛で髪を梳かしながら、綺麗にまとめて結んでくれる。



「セ、セリは、おお男の人、だから、あああんまり、か、かわいいと嫌だよね……」



 きっと、自分の髪のように三つ編みもしたいのだろう。

 セリの方が髪が長い上に、自分の髪を色々といじるよりもやりやすいに違いない。



「好きにしていいよ。あんまり可愛すぎるのはさすがにちょっと恥ずかしいけど」


「! あ、ああありがと……! きっ、綺麗にする! あ、……ぬ、抜けた髪はかか回収するから捨てちゃダメだよ……!」


「はいはい」



 フローリアがずば抜けて変わっているように思えるが、コーリリアもなかなかに個性的だ。

 うまく喋れないのは人よりも緊張しやすいからなのだろうが、ウォーララの全てを研究し尽くしたい気持ちがダダ漏れである。

 フローリアと違って、セリが痛みを感じるようなことを強要したりはしないが、貰えるものは貰っておきたいのだろう。


 余談だが、フローリアは何だかんだで時折セリの血液を抜いたり、皮膚の一部を切り取ったりしていた。

 あまりに痛みが強そうなものに関しては麻酔まで用意する周到さで、全快してもまだ余るほどの回復薬までくれるのだからタチが悪い。

 セリが耐えられるなら腕の一本や二本もらいたいくらいだと発言し、サビにげんこつをくらっていたのは記憶に新しい。


 サビは怒ってくれたけれど、セリとしては身体を細切れにされようが文句はなかった。

 もはやこの身はフローリアのものであるし、フローリアならセリの全てを無駄なく活かしてくれることは確実だからだ。


 フローリアの師匠であるというフィヴィリュハサードゥがいた時、セリは一つだけお願いをしていた。

 フローリアのいないところで自分が死んだ時、死体がフローリアの元に転送されるようにしたいのだと。


 人体を転送する魔法も、魔法陣も存在していないのだと言われたが、フィヴィリュハサードゥもフローリアも、瞬間移動の魔法陣を開発したい気持ちは強いらしい。

 もし完成すれば、改変してセリの肉体にも刻むと約束してくれた。

 そんなにもフローリアを慕ってくれてありがとうとも。

 そこにはウォーララの素材を好き放題できるフローリアへの羨望が混じっているような気もしたが、気のせいだと思うことにした。


 そうこうしているうちに、セリの髪の毛がまとまった。

 長い前髪も巻き込むように編み込まれた髪は、後頭部のやや高い位置で一本に束ねられている。

 頭を振ってもバサバサと邪魔になることもなく、動きやすい。

 セリはコーリリアに礼を言い、朝食を食べに向かうのだった。


 その日はフローリアたちが採掘見学に行くことになっていた。

 セリは、サビとローグスとともに周辺の鉱山の様子を見に行くことになっている。

 昨日新調したばかりの剣を腰に下げ、宿屋で水筒に水を入れてもらってから出発した。


 ダリッケン周辺にはいくつも鉱山があるらしい。

 見えている山々はいずれも、それなりに採掘できるでしょうとローグスが言った。

 ただ、それが質のいい魔石となると話が違ってくるようだ。


 魔石は力のある魔物の成れの果て。

 死骸から漏れ出した魔力が土と混ざって凝固し、魔石になる。

 分厚い肉を持った巨大な魔物であったりすると、漏れ出る魔力とは別に、体内で魔力のみが凝固してしまうこともあるそうで、それがいわゆる純度の高い魔石なのだそうだ。

 生きている魔物の体内にも魔石ができることがあるが、死後に全ての魔力から形成される魔石よりは大きさが小さく、含まれる魔力も薄いらしい。


 まだこの地に山が存在していない頃、強力な魔物が息絶え、そして生み出した魔石とともに地中に埋まった。

 その地が大昔に起きた天変地異により隆起して山となり、鉱山ができたというのが通説らしい。


 セリはローグスの話す内容に興味を示しながらも、自分に向かって突進してくる中型の魔物を回避した。

 ローグスが自身の知識をセリたちに話して聞かせる時、それは大抵が魔物に囲まれている時だった。

 ローグスには魔物を引き寄せる方法があるらしく、魔物の気配を感じなかった場所であっても、いつの間にか周囲に魔物が押し寄せているのである。

 話を聞きつつ、魔物を倒さなければならない。

 キャトラスを出て以来、ローグスから課せられた訓練だった。


 四本の足で大地を蹴ってセリに向かう魔物は、動きが直線的なので簡単に避けられる。

 それよりも、周辺をキイキイと飛び回る小型の魔物が厄介だった。



「バッキィはホブゴブよりも頭がよく、ホブコブを利用します。ホブゴブを避けた先に回り込み、目を潰しにきますから気を付けて」


「セリ、少し離れよう。俺たちがお互いの動きを邪魔することもありそうだ。一人でいけるだろ?」


「うん、大丈夫」



 セリはそう言うと、サビから距離を取りつつバッキィ目掛けて剣を振るった。

 骨と皮だけの羽根で空中を飛ぶバッキィは、剣を寸でのところで避けたが、剣によって発生した風圧によって吹き飛ばされ、近くの木に当たって気絶した。

 地面に落ちたバッキィの頭に剣を突き立てる。


 背後に迫る気配を感じ、剣から手を離して太めの木の枝に飛び付いた。

 そのまま逆上がりの要領で身体を木の上まで持ち上げると、止まれなかったホブゴブが木に頭から突っ込んでまたしても気絶する。

 木から飛び降りて剣を拾いつつホブゴブにとどめを刺し、未だに中空を舞う三体のバッキィを視界に捉えた。


 木に向かって走り、そのまま足に力を込めて斜め上に身体を押し上げる。

 想定より高く飛んだセリに怯んだバッキィたちは、的確に振られた剣先によって命を落とした。


 地面に着地しつつ残るボブゴブに向かって全力で走り、こちらに向かってくるホブゴブとすれ違うように少しだけ身体をずらした。

 横薙ぎに剣を振るい、剣を持つ腕に力を込めてホブゴブを切り裂く。

 予定より少し自分の力が足りず、若干引きずられるような形になりつつも何とか踏み止まった。


 次のホブゴブヘ、と身体を捻ると、サビが最後の一体を斬り伏せていた。

 セリはふぅと息を吐き、剣に付いた魔物の血や油を拭き取る。

 ローグスはそんな二人を見ながら、戦闘中に話していた内容についての質問を投げかけるのだった。


 もう慣れたもので、二人は詰まることもなくローグスの質問に答えていく。

 初めて相対する魔物に囲まれても、ある程度の余裕を持って倒すくらいには腕を上げていた。


 ローグスからの質問攻めが終わると、今度はサビとセリで反省点を話しつつ、魔物の血抜き作業だ。

 木にぶら下げ、血が抜けたところで皮を剥ぎ、肉の塊にしていく。

 肉を部位ごとにまとめることも忘れない。

 手馴れたものである。


 今回の戦闘は少し時間がかかりすぎた。

 大抵二人の反省会にはホックの名が登場し、彼だったらもっと早く殲滅できていたに違いないという結論に至る。

 ホックは複数を相手取った戦いに向いているから仕方のないこととはいえ、フローリアへの貢献度的にも負けていられないという気持ちがあるのだ。

 あそこまであからさまにフローリアフローリアというわけではないものの、フローリアに救われた者同士、役に立ちたいと思うのは当然のことであった。


 肉処理の作業が落ち着くと、ローグスがある山を指差して言った。



「あの鉱山、ダンジョンですね」


「ダンジョン?」


「地龍でもいそうな雰囲気ですよ。入り口は埋まってしまっているようです。山の中にできている道は複雑に入り組んでいて、よく見えません。外部から知覚できる魔力を抑えることのできるレベルの魔物がうようよいますから、それなりにランクの高いダンジョンに認定されそうですよ。まだ誰にも見つかっていないみたいですけど」


「フローリア、喜びそうだね」


「ああ、大興奮だろうな」


「いいお土産ができましたね」



 魔物の肉をサビのカバンにしまいこみ、三人はダンジョンの入り口を掘り出しに向かうのだった。

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