第80話 妖精の国④
ぐい、と腕を引かれる。アイネだった。
「イヅル。少し、お散歩に行こっか」
眼鏡がない分、アイネの穏やかな微笑みがよく見える。胸がキリキリと締め付けられるように痛む。
アイネに誘われるまま、妖精の国を二人で散歩に出掛ける。
手を繋いで、ゆっくり歩いて。その間、アイネは何も話さなかったし、僕は何も話せなかった。
しばらく無言のまま歩き続けると、そのうちに水辺に辿り着いた。
湖のようだ。水面がきらきらと静かに輝いていて、その静寂がとても美しい。僕たち以外には妖精も動物も、誰もいない。
「イヅル。私はね、家族のことが大好きよ」
湖を二人で見つめながら、ふいにアイネがぽつりと呟いた。
アイネが家族のことが大好きだということは、勿論知っている。
パパさんもママさんも妹のキューちゃんも、みんな仲が良い。あたたかくてやさしい家族で、お互いがお互いをとても大切に思い合っていることがわかる。
「イヅルのことも、大好き」
……うん。それも、知っている。
最初はお互いに、勢いとノリみたいな感じだった。けれど一緒に過ごすうちに、どんどん好きになっていった。
アイネの本心はアイネにしかわからないものだけど、それでも少なからず僕を想ってくれているのは多分自惚れではないのだろうなとは感じていた。
「例えばだけど、イヅルと結婚することを家族に反対されたら、私はすごく悲しいと思う。比べられないくらい、みんな大好きだから」
「……うん」
「家族のことは大好きだけど、イヅルのことも諦められない。私はイヅルと一緒にいたい。一緒に年をとっていきたい。だからその時はきっと、イヅルと一緒にいて、家族とも仲違えしない方法を、一生懸命探すと思う」
ぎゅ、と繋いでいたアイネの手に力がこもった。
「イヅルは、私が好き?」
「勿論。とても好き」
僕が望む未来には、ずっとアイネがいる。
辺境の街で穏やかに過ごしていきたい。そこには、隣にアイネがいてほしい。
即答した僕に、アイネは照れたように笑った。
「イヅルは、家族も好きでしょう」
こちらの問い掛けは、疑問形ではない。確信を持って発された言葉だった。
「うん。とても好きだよ」
今は離れていても、そこは揺るぎなく、変わらない。
寡黙でやさしい父さんのことも、穏やかでやさしい母さんのことも、素直じゃなくて可愛い弟のことも、僕は大好きだ。
それはずっと、変わらない。
「それなら、一緒に探そう。二人で、イヅルの家族に会いに行こう」
ぐら、とアイネの姿が歪む。頬に雫が伝う感覚がして、自分が泣いているのだと理解する。
繋いでいた手が離されて、その後すぐにアイネに抱き締められた。
「ごめんね。本当はずっと不安だったよね」
「……そんな、ことは」
ない、と思う。けれど。
「イヅルは自分の気持ちにも鈍感みたいだから」
「そうかな……」
「そうだよ」
本当は、どうだったのだろう。
異世界に召喚されて来た時。追放された時。気付かないふりをしていたのかな。不安で、悲しくて、寂しくてたまらなかった。
家族にだって、平気なふりをして、ずっと会いたかったのかな。
心がぐしゃぐしゃで何もわからない。
ただはっきりとわかるのは、アイネを離したくないと思った。温もりが消えないように抱き締める。
「……ありがとう」
僕の涙が引っ込むまで、しばらく。アイネはこのままでいてくれた。
そんなに急いで戻らなくてもいいかと思って、涙が引っ込んでからは湖の側に再び手を繋いで座って、水面を眺めていた。
たいへん恥ずかしい。またアイネの前で泣いてしまった。子供の頃から、あんまり泣かない方だと思っていたんだけどな。
「ねえ、イヅル。やっぱり、鍵は精霊王様だと思うの」
「ノヴァ様?」
「そう。だって、異世界に来る時も帰る時も、精霊様を通すんでしょ?」
「そうだね」
僕が聞いた話だと、そう言っていた。
異世界に来た人間は精霊さんが対応するって言っていたし、今回召喚されたみんなが帰る時にも、精霊さんに願うという話だった。
ただ精霊王様という存在は、導く存在ではないかなと感じている。
これまでだって色々話したし聞いたりもしたけれど、核心はいつも避けていたと思う。僕が答えを見つけてからなら、説明してくれるけれど。
だからヒントはくれるかもしれないけど、直接聞いてもはぐらかされるだろう。実際、さっきの頼子さんの話の間も、奇妙なほど口を挟まなかった。
「私、ちょっと色々調べてみるね。イヅルも何か気付いたこととか、変わったことがあったら教えて」
「うん」
どうやらアイネも考え方は僕と同じようだ。ノヴァ様が何かしら知っているにしても、聞いても答えないと思っているのだろう。
本当に親身になって一緒に探してくれるんだなあと思うと、胸の奥がじんわりと暖かくなる感覚がする。
「それにしてもここの湖、静かで良いね。すごく綺麗」
アイネがにっこりと笑って話す。
木漏れ日に、静かな水面。さわさわと心地の良いそよ風に、すっかり同じ温度になったお互いの手のひら。
僕はきっと、この景色を、温度を、忘れないだろう。
「またここに、散歩に来よう。お互いしわしわになっても」
僕の言葉に、アイネはふんわりと微笑んだ。白い肌はほんのりと、赤く染まっている。
「しわしわのおばあちゃんになっても、ちゃんと手を繋いでくれるの?」
「勿論」
くすくすと笑い合う。
どちらともなく目を閉じて重ねた唇は柔らかくあたたかで、少しだけ涙の味がした。
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