第6話 戦闘
6―1 軍議
それから、数日の後のことであった。寧二は、再び厳の幕舎に呼ばれた。
「お呼びでしょうか」
幕舎に入るや、寧二は問うた。
「うむ、まあ座れ」
いつものように、厳は寧二に勧めた。
「先般のことだが」
「食料調達のことですね」
「うむ、闇塩商人等と連絡がついた」
厳は続けた。
「この近隣に蘇という地主に抑えられている村があってな。蘇は唐朝の手先でもあるので、今回の食料調達では、そこを襲おうと思う」
寧二は内心、思った。襲う、と言っても、村人を、つまり、小作農達を襲っては、彼等を敵に回すし、蘇と村人等の関係はどのような状況にあるのか。
厳は更に言った。
「蘇は村人に嫌われている。小作料を高くとったり、高利貸で儲けている男だ。蘇は、自分の屋敷の蔵に収奪した食料等を溜め込んでいるらしい。蔵を襲えば、食料などが手に入るだろう。しかし、警備が問題だ」
闇塩を売りに、蘇の村に入った闇塩商人達によると、蘇は、自らの自警のために、屋敷の周りには、土塁を巡らし、四方には櫓を建てている。そこに警護の兵がいるが、近隣の藩鎮から選抜された兵が担っているのだという。
どうも、蘇の村は、藩鎮にとっても、重要な収入源のようである。この村を襲えば、場合によっては、藩鎮との衝突になりかねなかった。それは避けねばならないところである。
どのような策が必要なのか。
寧二は問うた。
「村人の協力は得られそうですか。村人の協力があれば、蔵に忍び込むことなどもできるのでは」
厳は答えた。
「いや、不可能だろう。今は、世の中は混乱している。村人の他所者に対する警戒も厳しいだろう」
しかし、それでは、食料調達は成功しないだろう。とはいえ、調達できねば、自隊は全滅してしまう。一体どんな策があるのか。
厳は言う。
「そこで、蘇の屋敷を守っている藩鎮兵を寝返らせようと思う。彼等が寝返れば、蘇の奴は、裸の王様だ」
確かに、そうかもしれなかった。しかし、如何にして?
「そなた、共に、この隊に参加して来た者に劉炎という者がいたな。その者を呼んで参れ」
「かしこまりました」
寧二は答えると、外に出た。炎に声をかけた。
「おい、炎、厳隊長がお呼びだ」
炎は少し驚いた。直接、隊長から声がかかるとは何事だろう。不審に思いつつ、寧二とともに、厳の幕舎に入った。
「劉炎、参りました」
「うむ。今回、そなたの進言が聞きたい」
「如何されましたでしょうか」
勿論、食料調達の件について、である。厳は言った。
「我が小隊は、食料が減りつつある。この件については、そなたも承知しているかもしれんが、此度、その為に、藩鎮の兵の警護されている蘇という者の居る村を攻略せねばならぬが、良き進言はあるか」
炎は答えた。
「数にもよりますが、藩鎮の兵ならば、金で雇われたものが殆どでありましょう。私も同様でした。金目の物を与えれば、釣れるかもしれません」
元々、唐朝の藩鎮にいた者らしい回答である。厳の下には、闇塩商人から、蘇が自分の蔵に金銀財宝を溜め込んでいる、ということも知らされていた。
「うむ、それは名案。敵兵を手懐けるというわけだな」
「はい。敵兵を手懐け、かつ、我々の味方に引き込むことができれば、我が隊の兵力は増しますし、朱温様や総大将の黄巣様のお力にもなれるのではないでしょうか」
確かに、それには一理あった。装備等が劣る、彼等、反乱軍にとっては、人数によって、唐朝軍を押し切るしかない面もある。しかし、それは、さらに、食糧問題の解決を困難にする側面もあった。しかし、とにかく、食料を調達せねばならなかった。同じく、私兵集団でもある他の小隊等と協力して、蘇の村を襲う、というやり方もあるだろうが、結果として、分け前をめぐって、小隊同士の衝突といった事態も考えられる。他の小隊からの野蛮な笑声からも想像できるように、規律正しい者ばかりではないのだ。他の小隊と争えば、その中で、揉み潰される可能性も考えられる。
寧二が口を開いた。
「警護の手薄な時に襲うというのは如何でしょうか。金品でてなずけるべき兵の数も減るかもしれません」
更に炎が言った。
「兵達は、私と同じく貧しい農民の出身でしょうから、一人あたり、然程の金品を撒かなくても、手懐けられるでしょう」
厳が答えた。
「うむ、警護の兵はとりあえず、三〇人ほど居て、交代で警護にあたっているらしい。我が小隊は全部で二五人だったな」
寧二は思った。官渡の戦いで、曹操が袁紹の兵糧部隊を烏巣で焼き払ったのに似ている。
しかし、あの時は、単に袁紹が敗北しさえすれば良かったが、今度は違う。食料を奪えねば、当時の曹操と違い、拠点のない我々は、全員、路頭に迷ってしまう。
寧二は言った。
「まず、蘇の屋敷の中で、警護の兵が寝ているであろう兵舎を襲いましょう。さらに、屋敷そのものも焼き払います。敵の兵力を削いだ後、食料を奪い、残った者を何らかの形で叩くというのは如何でしょうか」
屋敷内の兵営を焼き払う役割を誰が担うべきか。
「闇塩商人達と、再度、協力できますか?彼等に金品をくれてやると言えば、屋敷に火をかける等の活動も容易に進むと思われますが」
厳は言った。
「うむ。闇塩商人等と、もう少し、策を練ってみよう」
6―2 決行
さらに数日して、闇塩商人等からの情報が入った。三班からなる警護の兵士達は、それぞれ、あまり言葉の通じない別の地方の出身者で構成されているという。対立しあうこともあり、互いに協力的ではないので、団結して戦おうとしない可能性があるとのことだった。そこは寧二等にとっては有利とも言えた。かつ、ここ数日、風が強いことも、状況的には有利であろう。厳は寧二に命じて、三分隊、一五人に、蘇の屋敷の焼き払いと食料調達を命じた。
寧二は、軍師として、炎の分隊と呂の分隊、その他、一分隊に決行を命じた。
寧二は、反乱に身を投じた時からの友人たる炎に命じることで、彼との間に友人としての水平関係から、軍師―兵という上下関係ができてしまった。心中に、多少の違和感が生じてしまった。それは、炎にしても同じである。むしろ、炎の方が、相手より下に置かれた、という意味で、より強い違和感を覚えたはずである。しかし、今は食料調達という共通利益によって結ばれていた。
夜、月明かりの中、劉炎達は、蘇の屋敷に近づいていた。あらかじめ、闇塩商人等が往来する門は警護が薄いとも聞いていた。さらに、闇塩商人等が、放火用の油等をあらかじめ屋敷内に用意してくれていた。なぜ、ここまで、闇塩商人等は、彼等に協力してくれたのか。実は、有力者にして地主の蘇に多額の賄賂を通さねば、商売ができないという事情があった。闇塩商人等にとっても、蘇は打倒すべき権力であったのである。
炎達は、あらかじめ、教わっていた場所に置かれていた油壺から、油を枯れ柴にかけ、火をかけた。火は一気に建物に燃え広がった。
その一方で、劉炎の指示で、蔵を襲う役割を与えられていた呂の一隊ともう一隊は、蔵の戸口を叩き壊し、蔵の中に突入した。松明で中を照らしてみると、米らしき物やら、財宝らしき物やら、色々である。急ぎ、大八車にでも載せて、奪わねばならない。とにかく何でも良い。手当たり次第に、物品を車に載せ始めた。
外では、当然ながら、騒ぎが起きていた。櫓の敵兵等が反撃に出ようとしていた。しかし、兵営の建物は既に火に包れ、援軍らしきものは出て来ない。
炎に、敵兵が襲いかかろうとした。炎は、藩鎮の時からの剣で応戦し、払い除けた。敵はよろめいて倒れた。見ればまだ、童顔の残る少年であった。炎は剣を振り下ろす真似をしつつ、問うた。
「そなた、幾つか」
敵兵は怯えつつ言った。
「お、おら、一五だ」
まだ少年ではないか。顔にも怯えの表情が出ていた。かつての炎同様に、家庭の事情で、丁稚同様に、家から出され、あるいは、兵にされていたのかもしれない。劉炎は少年なら、武器を持たせても、自分には逆らうまい、とも思った。あるいは、蘇も、同じような考えで、この少年を兵にしたのか、それとも、藩鎮の何らかの都合によるものだろうか。
炎は言った。
「逆らわなければ、殺しはせぬ。黄巣様の軍に加わるか、早々にここを立ち去れ」
脅しのような口調であったが、せめてもの慈悲だった。
少年は後者を選んだ。炎としては、憎んでもいない相手を殺す必要はなかった。とにかく、食料が手に入れば良い。長居は、敵に反撃の猶予を与える可能性があり、無用のことであった。
炎は大八車を促し、燃える蘇の屋敷を後にした。炎等は、数台の大八車を引き、あるいは押して、来た道を戻った。寧二等の待つ陣に戻った頃には、夜が明けつつあった。
6―3 論功行賞
炎達が、寧二等の待つ陣に戻ってきた後、隊長である厳の立会いの下、論功行賞がなされた。
当然、炎等は、まず、自分達に褒美があることを当然に思っていた。危険な目に遭いながらも、蘇の屋敷から食料等を調達して来たのは彼等なのである。
帰路、急ぎ戻ってきたものの、道中も緊張というよりも、ある種の恐怖を感じ続けていた。食料を欲しているのは、地元の農民等も同じはずである。彼等に襲われたら、無事に戻って来られたかどうかは分からない。さらに、蘇の蔵から、全てを収奪、調達できたわけではない。それは、一五人では不可能なことだった。蘇はそれだけ、ひどく収奪したとも言えるが、蔵に米や食料が残っていれば、農民等もそちらから収奪された食料等を奪い返せるだろう。村の住民達を敵に回さないように配慮した、現場での食料調達方法であった。
しかし、炎はふとを思った。
「だがしかし、兵営内にいた蘇の屋敷を守っていた兵達は、ほとんどが焼け死んだだろう。略奪の時に睨んだあの一五歳の少年と同じように食い詰めて、丁稚のように、兵に出されるか、志願せざるを得なかった者も少なくあるまい。哀れなことをした」
このように考えつつも、すぐに、その考えを打ち消した。
「いや、それは戦なのだ。俺達だって食い詰めている。敵に情けは無用だ」
一緒に戦った自隊の兵達も同じ考えであろう。とにかく、飢えを避けたいから、この隊にいるのだ。
厳が口を開いた。
「劉炎達、よくやった。これから論功行賞をしたい。して、何を調達したか、確認が必要だ」
炎達は、俵や樽を開いてみた。正直、それぞれに何が入っているかは未知なところでもある。屋敷に火をかけたすきに、急ぎ奪ってきたものである。中には、無意味なものもあるかもしれない。
しかし、俵の中身は、嬉しいことに多くが米であり、樽には野菜や肉もあった。その他の箱の中には金銀珠玉等があった。おそらく、蘇は、自身の蔵の中に、大量の食料を溜め込み、価格を釣り上げて、高値で転売せんとしていたのであろう。どこまでも強欲な地主らしかった。それは同時に、農民の怨嗟の声を聞かされるようであった。炎も、もとは同じような立場であったので、先程は、一五歳の少年兵に同情心が湧いたのかもしれない。
米、食料は二、三ヶ月分は確保できたようであった。暫くは、隊長の厳以下、二五人の小隊は飢えずに済むようであった。金銀珠玉は、それこそ、これからの行軍中、食料調達のための交渉道具にもなるであろう。さて、この食料をどのように配分するかが問題である。
今回の第一の功労者は、劉炎等である。それを考えれば、まずは、劉炎等に多くが配分されてもおかしくはなかった。しかし、それでは、今回、留守を預かった分隊から不満が出るだろうし、食料配分に多寡があっては、隊そのものの内部分裂、崩壊等につながりかねない。
このように考えた寧二は、厳に意見を求めた。
厳は答えた。
「食料は公平に配分する」
この答えは、寧二にも、炎にも予測できたことであった。食料という、生きるための最も基本的な部分で不公平は許されない。分隊は、小隊を五分割したものの、各分隊ごとに、隊長と兵の私兵関係といった関係は出来ていない。もともと、小隊で一つのまとまり、といった感であった。それは、食料を小隊全体のものにするということが違和感なく受け入れられ得る、ということに役立つものであった。その現状を壊すことはないはずである。
次に、金銀珠玉をどうするのか、ということである。すぐに食料になるというものでもない。これも隊全体という形で、持っておくべきか。誰かに与えてしまっては、その者の小遣い稼ぎの道具になる可能性もあり、それも隊内での不公平感を生むことは否めないだろう。
厳が言った。
「とりあえず、金銀珠玉は、わしが隊長として預かる。一旦、解散だ。炎等、そなたたち、ご苦労だった。寧二、そなたは、わしと共に幕舎に来い」
解散を告げられ、兵達は一旦、引き上げたものの、炎をはじめ、内心、厳に不満を持つ者もいた。俺たちの手柄に何の褒美もないとは。
そうは思いつつ、小隊を崩壊させたら、行く場所がない、という現実の生活問題が、彼等を不満を表出させない状態にとどめていた。
一方で、寧二は、厳と共に幕舎に入った。寧二は幕舎に入るや、言った。
「どうされました」
「うむ、今回の采配、ご苦労だった」
寧二は答えた。
「いえ、炎達のおかげです。彼等はよくやってくれました。炎達を褒めてやってください」
厳は答えた。
「その件についてだが」
そう言うと、厳は本題に入った。
「そなた、炎と浩士と友人だったな。小隊の中での五分隊のうち、炎や浩士の隊のみと特別に親しい、という態度はとっていないだろうな」
寧二は答えた。
「そのつもりですが、如何されましたか」
「いや、別に今のところ、問題はない。ただ、我が小隊以外では、長く兵の仮父と仮子の関係で成り立っているところも多い。そうした関係性でまとまった分隊等が集まっている小隊などでは、小さいながらも分隊同士での内輪もめが起きているところもあるらしい」
今回、自隊の論功行賞を行った。しかし、他の隊では、殊に食料配分の際、その分け前等をめぐって、小さいながらも内訌(内輪もめ)が起きている隊もあるのであろう。寧二の隊のように、隊全体で一つ、という、考えがなければ、仮父と仮子の関係、あるいは、義兄弟の契り等がなければ、各分隊ごとの内訌、反乱も起こるのであろう。
厳は続けた。
「我が小隊は、とりあえず、一体となって動いてはいる。しかし、仮父と仮子の関係というほど、内部の結束は強いわけではない。わしと、仮父と仮子の関係になることを必ずしも好まぬ者もいるようだし、特定の者とそのような関係になると、他の者の不満を引き起こすかも知れぬ、と思うのだ」
確かにそれは言えることだった。寧二も、仮父と仮子の関係を、内心では望んだこともあったが、そうすれば、小隊内の兵や各分隊長から、自分だけが浮いた存在になるかもしれなかった。現在の軍師の身分とて、厳の「斬るときは斬る」という権力があってのことであり、それだけでも、寧二は、隊内の周囲からは浮いた存在であるとも言えた。このまま、厳と仮父と仮子の関係になったら、益々、炎や浩士との距離が空くかもしれなかった。三人で一緒に出奔して来たことを考えれば、それは辛いものがあった。
寧二がそんなことを考えていると、厳はさらに続けた。
「今回、調達できた金銀珠玉だが、朱温様に上納しようと思う。我が小隊が庇護を受けるためには、上に取り入るのもやむを得まい。朱温様に率いられた我々の軍勢は、各小隊をはじめとする各勢力の寄せ集めだ。唐朝軍と戦っているだけでなく、軍勢の内部でも競争がある」
小隊全体が、庇護を受けうるならば、炎や浩士との距離が隊内でさらに開くかも知れない関係よりは良いかもしれない。金銀珠玉で炎達をねぎらうことはできないが、それでも、特定の誰かが得をするよりは良いと思われた。
厳が命じた。
「寧二、近々、朱温様の下に行ってくれるか」
「かしこまりました。して、朱温様は、どちらにいらっしゃいますか」
「ここから少し遠いところに陣を張っている。今日の金銀珠玉を持って行ってくれ。そこまでの道筋には、分隊を護衛の兵として連れて行っても良い。そなたに馬も貸す」
「かしこまりました。しかし、今日の隊長の考え方には、兵達に説明して、説き伏せることが必要でしょう」
「うむ、それは軍師としてのそなたに任せる」
「はい」
寧二は、幕舎を出た。炎や浩士、呂等の各分隊長を集め、隊長の厳の考えを説明した。一部の兵が言った。
「つまらねえ。せっかく、金銀珠玉が手に入ったというのに、お上への付け届けかよ」
浩士が言った。
「まあ、そう言うな。とりあえず、飢える心配がここ数ヶ月は無いのだから、ありがたい。それに、今回、金銀珠玉を手に入れたのは彼の手柄だ」
そういって、炎の方を見た。
劉炎は、藩鎮にいたこともあり、軍という組織の現実を知っていたのであろう。まあ、仕方がない、という表情であった。今すぐに利を得るよりも、長い目で見た出世の可能性に乗った方が良いと思ったのかもしれない。寧二は言った。
「とにかく、今日の金銀珠玉は、朱温様に届けねばならない。ついては、浩士、後日、分隊を率いて、俺についてきてくれ」
今回、浩士を選んだのは、炎と同様、古参の仲間だったからである。気心の知れた仲である方が良かった。こんなところに、まだ、ある種の「友情」があり、私人的な人間関係があった。
しかし、と寧二は内心、思った。いつまで、友情的な関係を続けられるだろう。小隊の軍師として、皆を公平に扱わねばならない。いつまでも、浩士や炎を中心とした関係では、小隊は続かないだろう。三国志の時代、諸葛孔明が、皆を公正に扱ったとは聞いていたが、それには、私人的な友情というべき人間関係を捨てねばならないことに、寧二は気づかされつつあった。
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