引き受ける綾汰

「仕方がないな……手伝ってやるよ。藍子さんの仕事の出来映えを解説すればいいんだろ」

「え⁉ 本当に⁉」


 どういう風の吹き回しなのか。さっきまで文句を言っていた綾汰が、急に手伝う、と言ってくれたことに、藍子は驚いた。


「その代わり、八百長をするつもりはないからね。下手くそなことしていたら、素直に、その星場さんっていう塗師さんに伝えるよ」

「うん、それはもちろんだよ。ありがとう」

「で? いつなんだっけ?」

「明日、さっそく来てもらいたいんだけど、大丈夫かな?」

「アポイントはあるけど、午後からだから、午前中なら大丈夫」

「よかった! そうしたら、遠野屋旅館っていう旅館に来てちょうだい! そうとなったら、遠野君に連絡しないと」


 綾汰に声をかけた目的は、もう一つには、大護に綾太を紹介するということもある。その件も含めて、アポイントが取れたことを、取り急ぎ晃に報告しておこうと思い、藍子は携帯電話を取り出した。


「最初に断っておくけど」


 今まさに電話をかけようとしている藍子に対して、釘を刺すように、綾汰は睨みつけてきた。


「僕個人がする商談については、何をしようとも、文句を言われる筋合いはないよ。そこのところは大丈夫?」

「それは綾汰の仕事の話だから。好きにやってくれていいと思う」

「僕は、友禅作家としての営業活動も行う。そこについては大丈夫だね?」

「う、うん」


 藍子の背筋に、言いようのない怖気が走った。

 何度も確認を取ってくる綾汰の態度に、急に不安を感じ始めた。別に、変なことを言われているわけではない、ごく当たり前の話だというのに、なぜか、綾汰に頼んだのは失敗だったのではないか、という疑念が胸の内に湧き上がってきている。


(大丈夫。平気。これでいいんだ)


 もやもやした気持ちを振り払うように、藍子は繰り返し、うなずいていた。


 ※ ※ ※


 次の日、遠野屋旅館の三階にある和室に、関係者全員が集まった。

 昔は従業員専用の寝室だったそうだが、いまは使う人間がいないので、空き部屋となっているとのことだ。ここを藍子の作業部屋にあてがっている。


「ほら、必要かと思って、これも持ってきたよ」


 晃は、玲太郎に手伝ってもらいながら、机を室内に運び入れた。それは、友禅作家が作品作りで使用する専用の机だ。


「彩色机だ! どうもありがとう! よく用意できたね」

「前に他の道具を買ってきたところで、取り寄せてもらっていたんだ。他のお店に在庫があったから、なんとか間に合った。電熱もあるから、いつでも作業は出来る。一応、糸目糊も準備した。上条さんは糊置きは出来るんだっけ?」

「一通りの作業は、國邑先生のところで教わってるから、とりあえずは大丈夫だけど」

「じゃあ、問題ないね」


 一方で、綾汰は大護と向かい合っている。最初に簡単な挨拶はしていたが、しっかりと話すのは、これからだ。


「改めて、初めまして。上条綾汰です」

「星場大護だ。あんたが『友禅王子』、上条静枝さんの後継者か」

「血は繋がっていませんし、まだまだ未熟者ですけどね、その志は受け継いで、頑張っているつもりです」


 藍子には毒舌ばかり吐く綾汰も、初対面の相手に対しては礼儀正しい。

 その態度を、少しはお姉ちゃんである私に向けてくれてもいいのに、と藍子は唇を尖らせた。


「いや、俺は加賀友禅については素人だが、未熟とは思えないな。あんたに会えると聞いてから、インターネットで、作品の写真を見させてもらった。さすがの出来映えに、感動した。大したもんだ」

「ありがとうございます。とはいえ、もっと精進しないといけないのですが」


 謙遜の言葉を述べる綾汰。


 藍子としては、弟の珍しい姿を見た、と思った。

 自分の前では、「僕は天才、藍子さんは凡才」と言わんばかりに、人を馬鹿にした態度を取ってくるのに。

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