第61話 地獄の王

 何か、地の底から響くような声で、肝が冷えた。寒気が……いや、気のせいじゃない? 吐く息が白い。どんどん気温が下がってるんだ。一体何がどうなって……。


『さあ、望め。美しくなりたいと……。叶えてやろう、お前の魂と引き換えに!』


 ずるりと影が立ち上がり、人の形になる。

 目にしたのは、夜の闇を結晶化させたような美しい青年だった。長い艶やかな黒髪が白い秀麗な顔を縁取っている。身にまとった衣装もまた黒一色だったが、やはり王侯貴族が身につけるような豪奢なものだ。


 抜けるように白い肌はどことなく病的で、笑う顔も美しいがやはり怖気を誘う。線が細く、美しい面立ちと相まって、女性のように見えなくも無いが、感じる重圧が凄まじい。気の弱い者なら失禁しそうなほどだ。

 な、なんだよ、これ……。がちがちと歯の根が合わない。


「あ……あ……」


 リアンも腰を抜かしたようだが、目の前の青年を見る目が熱を帯びているようにも見える。そう、陶酔の眼差しだ。

 いや、えー、リアン? これは流石に止めた方が良い。ミネア様の言動が可愛く見えるくらい、こいつはヤバい。心底そう思った。

 青年の美麗な赤い唇が弧を描いた。


『さあ、望め。魂を差し出すがいい。己の欲望の為にな!』


 サイラスの紅蓮の攻撃を黒い人影が防ぐ。虚空に緋色の花がパッパッと咲いて消え、美麗な若者がにいっと笑った。うっわ! 邪悪で美しいってカンベンして欲しい。


『私を追い払いたいか? 無駄だ無駄だ! マルティス。今のお前に私を追い払うことはできぬ! さあ、望め! 与えてやるぞ! お前が望むものを!』

「永久の若さを!」


 リアンが叫び、


『契約は締結せり』


 地の底から響く声がそう告げ、頭の中で警鐘が鳴り響く。

 やばいやばいやばい! 何か分からないけど、めっちゃヤバい気がする!

 まほろばの森の清涼な空気に異臭が混じり、空が赤黒く変化する。毒沼のようなものがあちこちに湧き出して……何だよ、これ!


「がっ……」


 え? サイラス? 目が金色! うっそだろ! 何で狂気が活性化? 周囲の空気が可笑しい。慌てて抱きつけば、あ……戻った。ほっと胸をなで下ろす。禍々しい色がすうっと消えて、よかった綺麗な青い目だ。


『聖女を殺せ。邪魔だ』


 美麗な青年の声がそう告げた。

 うひぃ! 殺意がこっちに! サイラスが剣を抜き、襲いかかってきた骸骨兵士を叩き切った。離れられないから、私を抱きかかえて、敵と対峙する羽目に!

 この状況なんなん? まほろばの空気が変! そんでもってあの男は誰だ? リアンは……あ、えー……毒婦みたいになってーら。


 目が半眼になってしまう。

 うん、まぁ、望み通り若返っているけれど、唇が紫で顔色が超悪い。綺麗っちゃ綺麗だけど、既に死んでないかって感じだぞ。暗がりで蝋燭持って立ってみろ。絶対悲鳴上げられる。


 そんでもって、以前と同じように骸骨兵士が後から後から……。

 獣化したオリビエがサイラスに加勢してくれているけど、多勢に無勢! 暁の塔の魔道士達はどうしたぁ! この異様な状況で、何でうんともすんとも言ってこない!

 こうなったら!


「サイラス、愛してる!」


 ははは、やけ気味に、そう叫んだ。両手を組んでしなまで作ってやったぞ! しかし、毎回これって、何の羞恥プレイだよ! ずどんって雷が降ってきて、


『遅い!』

「ごめんなさあい!」


 何でミネア様に怒られた? でも反射的に謝っちゃう私って……。ミネア様に対する恐怖が骨の髄まで染み込んでいるんだな、うん。


『こんのくそったれぇ! いい加減マルティスを付け狙うのは止めろ!』


 光の剣を手にしたミネア様がそう叫び、


『そうはいかん。これほどの戦力は他にない』


 美麗な青年が、ミネア様の剣の軌道を楽々かわし、にやりと笑う。


『ぶっ殺す!』

『ははは、出来るものならな!』


 ミネア様の宣言に、美麗な青年が楽しそうに笑い、すうっと顔を近づけた。ぬえぇ! ミネア様の攻撃をかいくぐってここまで来るってどんだけだよ!? 優男に見えるけど違う、やっぱ全然違うぅ! こわい、こいつ!


『相変わらず美しいな』


 黒い青年が目を細めて笑う。はい?


『こんの嘘つきめ』


 ミネア様が唸るように言う。


『嘘などついていない』

『愛してないって言ったろう!』

『真実の愛など存在しない。存在しないものをどうやって与えられる』

『他の奴はくれたぞ!』

『ああ、あの嘘つきどもは全員戦死者の館で眠っているな。あんなののどこがいい』


 ミネア様の攻撃をかわしながら、美麗な青年があざ笑った。本当に嘲っている、そんな感じだ。


『嘘なもんか!』

『呪いは敗れなかった』

『うるさい!』


 いや、ちょ……これ、どこの痴話喧嘩?

 あ、ミネア様、手を取られた? 握られた手からひやりとする冷気が伝わってきて、黒衣の青年の目が虚無の闇を映し出していて、冷や汗が出る。


 なんだよ、これぇ! 人間の目と全然違うぅ! こえぇ!

 こっちは見たくないってのに、ミネア様は視線を逸らしてくれないしぃ! いや、二人で見つめ会っているのか? しかも、ミネア様の心臓がどきどきしていて、えええ? この反応って、どう見ても恋する乙女なんですけどぉ!

 ちょ、マジ? あ、もしかして、こいつ……。


『お前は私のものだ、ミネア。未来永劫な』

『うっさいわぁああああ!』


 光の剣が一閃し、美麗な青年がふっと離れる。うん、こいつ、絶対ディアブロだ。あははと乾いた笑いが漏れてしまう。

 地獄の王で、サイラスの魂を狙っている神々の天敵。快楽と苦痛を司る者……。見なかったことにしたい。何でこんな大物が出張ってくるんだよぉ!


 地団駄を踏みたくなってしまう。普通契約つったら、ふわふわ霧みたいなファントムがやってくるんだろぉ? あれは殆ど無害! 見た目が不気味なだけ! なのに今回は何でこれ? 嫌だああああ!


『魔道士どもぉ! さっさと目を覚ませぇえ!』


 ミネア様の言霊が、銀色の輪になって周囲に広がり、空気がびりびり振動した。


『暁の塔を操作して、地獄界と地上を切り離せ! 死にたくなかったらなぁ!』


 ビンビン頭の中で声が響いている。もしかして、魔道士全員にミネア様の声が届いてる? でも、地獄界と地上を切り離すって……。


「ミネア様あのう……」

『うっさいわ! 邪魔すんな!』


 左様で。まぁ、分かるけど。地獄の王とやり合ってるもんなぁ。双方の剣の動きが不可視で、私、完全蚊帳の外。下手に体の自由を取り戻せば、死ぬなこれ。


「地獄界と地上を切り離すって?」


 ぼそっとそう問うと、


『地獄界とこの場が融合してる! このままだとマルティスが危ない! 地獄の空気は狂気を活性化させるからな!』


 ミネア様がそう叫んだ。なにぃ!


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