第20話 エラの前世Ⅴ

 真実は意外に早く目にすることになる。

 血の饗宴……ああ、確かにそんな感じね。ぼんやりとそんな風に思う。

 木の上から目にした光景は一方的な殺戮だった。サイラスが強すぎるのか、彼を始末しようとした聖光騎士団の連中が弱すぎるのかわからないけれど、一人また一人と血の海に沈むたびに、彼の顔が狂気にゆがむ。殺戮に興じる狂人の顔だ。

 私はそれをずうっと見ていて、一つ二つと涙がこぼれ落ちる。

 あふれた涙が止まらなかった。

 理由はよくわからない。

 笑っているのに笑っていない……そんな顔があるんだろうか? 涙でぐしゃぐしゃになった顔を見られたくなくて、そうっとその場を離れた。

 翌朝、酷い顔だった。泣きはらした顔だと一目で分かる。

 サイラスに会った時、何て言われるか分からない。理由をあれこれ考えるも、そんな必要はまるでなかった。この日はサイラスとはすれ違いばかりで、ただの一度も顔を合わさなかったからだ。

 こんなことは今まで一度も無くて、この時は不思議に思っただけだったけれど、これが三日も続くと流石におかしいと分かる。避けられてる、そう理解すると、猛烈に腹が立った。人を散々引っ張り回しておいて、これは一体どういうことよ?

 虚空に向かって怒鳴っていた。

「私から逃げ回るって、一体どーいうつもりよ? 見ているんなら、さっさと出てきなさい!」

 やっぱり避けていたのね。

 すぐに姿を現したサイラスを目にして、むくれた顔をつくる。

「何か用か?」

「……用がなきゃ、呼んじゃいけないの?」

 大体用もなく、私の周りをうろちょろしていたのはあなたじゃないの。

「仕事があって忙しい」

「忙しいのはいつものことじゃない。というより、あなた、少しは休みなさいよ。他の奴らにもっと仕事を割り振ったらどうなの?」

「時間が無い。もう限界なんだ」

 はっとなった。サイラスの顔が幾分険しさを増している気がして……。

 光の加減だろうか? 時折、彼の瞳がキラリキラリと金色に輝く。酷く禍々しい色合いだ。合成種ダークハーフの狂気が色濃くなると、本当の狂人になるという。その一歩手前、限界ぎりぎりなのだということが直感的に分かって……。

 身を翻したサイラスの腕を思わずつかんでいた。足を止めてくれたけれど、やはり彼は何も言わない。ただ黙って自分の顔を見返すだけ。

 どうしよう……何て言えばいいの? このまま行かせてはいけないような気がするのに、何と言えばいいのかも分からない。

 サイラスの手が私の髪に伸び、唇が額に触れた。

 さようなら……。唇の動きだけで、サイラスはそう告げて……。

 胸が引き裂かれるように痛んだ。

 本当に、本当にこれでいいの? 彼にあんな顔をさせて? 笑っていて欲しいって、そう思ったくせに……。離れたサイラスの手が淋しくて、恋しくて……気がついたら猛然とかけだして、彼の背に飛びついていた。

 かなり勢いが付いていたと思うが、彼はびくともしない。抱きしめれば鍛え上げられた筋肉で覆われた体だと言うことがよく分かる。優雅な貴族の服装からは想像もつかないくらいの……。当然ね。サイラスは誰よりも強い狂戦士なんだから……。

「私も行くわ……あなたについて行くから……」

 勇気を振り絞ってそう告げたのに、いつまで経っても何の反応もない。

 見上げれば、驚いたような彼の顔があって……つい、眉間にしわが寄ってしまう。なによ、それ。もう少し嬉しそうにしたらどうなのよ?

「……嬉しくないの?」

「いや、嬉しいが……何故気が変わった?」

「あなたが泣くから……」

 ふいっとそっぽを向く。

「泣いてなどいない」

「泣いていたわよ! なんなのよ、あれは!」

 思わず彼の胸ぐらをつかんでしまう。

「笑ってるのに笑ってないって、本当に不気味だったわ! 魔人シヤイタンの血の狂気ってみんな、ああなわけ? おかげで私は、一晩中泣きっぱなしよ!」

「……泣いた?」

「そうよ! 翌日ひっどい顔だったわ! あ、あなたのせいよ! 少しでも悪いと思うんならね、もっと普通に笑いなさいよ! あんないびつな笑顔、もう二度と見たくなんかないんだから! 絶対にごめんだわ!」

 ぐいぐい締め上げながらも、また泣けてきて、彼の服に顔を埋めてしまう。サイラスに優しく抱きしめられて、涙が止まらない。

「悪かった」

 彼はそう謝罪するも、本当にわかってるのかしら? と勘ぐってしまう。ちっとも分かってない気がする。でも抱きしめられる感触は温かくて、心地いい。

 その夜、初めてサイラスと肌を重ねた。

 慈しむように触れる優しい感触は、とても心地良い。まさに夢心地だ。

 ああ、そうよね。愛の行為って言われるくらいだもの。その言葉をこうして実感したことは、ただの一度もなかったけれど……。喜びに心が震える。なんて素晴らしい世界だろう。涙が一粒こぼれ落ちた。喜びの涙だ。

「やっぱり……あなた、綺麗だわ……」

 月明かりに浮かび上がるサイラスの姿を見ながら言う。髪は黄金で、整った顔立ちも鍛え上げられた肉体も、見事な造形美を描き出している。

 ただ一つ難があるとすれば、この呪印の文様かしら。

 指先でサイラスの背にある黒い文様をつうっとなぞった。

 合成種ダークハーフの印らしいけど、背にある呪印は、ともすれば黒い翼のように見えて、彼には不似合いなくらい禍々しい。いつもは服にかくれていて分からなかったけれど、こんなところにあったのね。

 彼の存在を確かめるように、指先で彼の肌や髪に触れていると、彼の青い瞳と目が合った。空の色を映した紺碧の瞳だ。こうして見つめられると、胸が高鳴ると同時に、何ともいえない、いたたまれなさも感じてしまう。

「どうしてこうなったのかしら。凄い冒涜のような気がするわ……」

 つい、目を伏せてしまった。

 本当、聖域に土足で踏み込んだ気分よ。

「……後悔してるのか?」

「いいえ。ただ……あなたが眩しすぎるのよ。だから、つい……」

「私にはお前の姿の方が眩しい」

「そういう台詞も、あなたが言うと、全然嫌みにならないから凄いわ。ねぇ、ほんとうに私で良かったの?」

 あなたならどんな女も選び放題なのに、そう思うも、

「お前がいいんだ」

 たくましい腕が伸び、再びベッドに押し倒される。

 サイラスと過ごした日々は本当に夢のようだった。彼の愛の囁きも、甘い口づけも、愛情あふれるその仕草も全て覚えている。

 そして、子供が出来たと分かったあの日は、人生最良の日だったろう。

 子供の名前を親しい友人に相談したり、生まれてくる赤ん坊の為に産着を編んだり、少し浮かれすぎていたのかもしれない。

 幸せすぎると、不幸に足を取られる、これもまたよくある話だ。

 あの日は産着を編んでいた毛糸が足りず、町へ買い物に行きたかったのだ。一人で歩き回らないようにと、そう言い含められていたので、ルーファスを探し回るも、こういう時に限って、姿が見当たらない。

「どうかして?」

 リアン・クリスタにそう声をかけられた。事情を話せば魔法の馬車を貸してくれるという。彼女にしては随分と親切だと、不思議に思ったものだ。サイラスに気があった彼女の私に対する態度は、いつも素っ気なかったから。

 この時はそう思ったけれど、そんな感情はすぐに消えてしまった。産着を編める喜びが心を占めていたから。すぐに戻れば大丈夫、そう思っていたのに……。

 仲間だった暗殺者と町で鉢合わせだ。

 こんな偶然があるのだろうか?

 どのような経緯があったかは、詳しく覚えていない。

 ただ、子供がいた腹を殴られないようにと、かばった記憶はある。彼らからの攻撃からひたすら身を守って……ふと気が付けば、自分は誰かを見下ろしていた。

 サイラスが眼下にいることに気が付く。

 血の海の中で、誰かを抱きしめて泣いていて……心がずきりと痛んだ。近寄って慰めようとして、ぎょっとなった。

 彼が抱きしめているのはまさに自分自身だったのだ。

 いつものように彼の手が自分の髪をすいて、強く抱きしめられる。彼の嘆き悲しむ様子に心がずきずきと痛んで、自分はここにいると告げたくとも伝わらなくて……。

 そうこうしている内に、明るい光が自分を包んだ。

 彼の姿を目にしたのはこの時が最後だ。

 だから、彼がその後どのような人生を送ったのか、私には分からない。

 けれど、彼の優しさ愛の深さ、自分に向けられた微笑みも全て覚えている。そして最後に見た彼の泣き顔も……忘れない。忘れられない。彼にもう一度会いたいと、どれほど願っただろう。

 サイラスに会いたいと、願って願って願った。

 そして、人に身には過酷過ぎる試練の谷を通り抜けて、再び人として生を受け、サイラスと再会したのは、五十年という月日が流れてから。

 今はもう遠い過去の話だ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る