女優候補な高嶺の花が俺の親友のことを好きになってしまったらしい

水源+α

第1話 告白する相手は俺じゃなんかい



 ──七月の上旬のある日。少し日が傾き始めた頃のことだった。焼けた夕日が、屋上を綺麗な薄茜色に装飾していた。夏休み前ということもあり、聞こえてくる虫の声や、屋上に吹く、本来は少し肌寒いはずのそよ風が、今は涼しく、そして心地良く感じられた。


 放課後の時間。なら、俺はHRが終わった後、教室でそのまま速攻で練習着に着替えて、スパイクを持ち、グラウンドへと向かっている時間だ。それも、部活が始まる直前までサッカーボールを使って、仲間と一緒に軽いウォームアップでもしていたことだろう。しかし、その日の放課後はなものだった。


「……なんか、あれだな」


 この時間帯に未だに練習着を着てないことへの違和感とか、なんだか部活をサボっているような罪悪感とか、複雑な思いが湧き上がってくる。しかし、これから起こることに比べれば、大したことではないという錯覚に陥ってしまいそうになる。それほどまでに、今は心が高揚しているのだ。


「まあ、サッカー部に入部して一年は経つけど、今日まで休んだ事なんて無かったし。今日くらいは……」


 いや、でも。皆勤賞が消えるのは辛いな。


 そんなことはさて置き。何故、俺が今ドキドキさせながら、屋上にいるのかと言うと。


 俺は今日の放課後──つまり今の時間帯に、とある女子から放課後の屋上に来るようにと呼び出されているからである。

 しかも、今朝、下駄箱の中に置いてあった手紙の差出人である彼女が、俺との二人きりを条件にしてきたのだ。




(……ついに、俺にも。春が来たというのか。今は夏だけど。蒸し暑いわ)


 流石にここまでお膳立てしてくれれば、そういうことなのだろうなとは予想がつく。


 依然として、鼓動が早まっている胸を落ち着かせるように、ふと屋上からグラウンドの景色を眺めた。

 続々と練習をし始める外部活に勤しもうとしてる学生達の姿を見下ろしながら、微かに聞こえてくる耳心地良い談笑たちに耳を傾ける。


 いつものグラウンド上で怒号響かす顧問のような、野暮ったい存在がいない。まるで、生徒達がこのグラウンドを占拠したかのように、生徒間だけの束の間のゆったりとした時間。特に、部活が始まる前のこの時間を俺は気に入っていた。


 いや、そんなことよりも、先ずは気持ちを入れ替えよう。もし、今すぐこの場にが来たとしても、毅然とした態度で迎えられるように。


 と、そんな時だった。


 後方から、重々しい鉄扉がゆっくりと開閉した音が響いた。

 普段から、部活中に限定で身に着けていた腕時計も、今は少しでもあの子の前では格好付けようと身に着けているくらいに、準備は万全なつもりだ。ふと、その腕時計を見ると、手紙に記されていた約束の時間の十五時半より、五分ほど過ぎている。


 人気ひとけが俺以外に居なかった旧校舎の屋上。そこへ、一人の人影が足を踏み入れた。俺の、運命の時が始まろうとしていた。


(……来た)


 俺は無意識に、グラウンドに向けていた注意を、後ろから近付いてくる気配へ一気に向けてしまう。

 鼓動が、速くなっていく。




 そして。






「──2年4組の橘くん、ですよね。……すみません。こちらから呼び出しておいて、少し遅れてしまいましたね」


 この夏の季節によく似合う、風鈴のように綺麗な女声が、未だに気恥ずかしさからフェンス側へ向いてしまっている俺の背後から聞こえて来る。息を整えて、満を持して振り返れば、途端にドキっと、多少は落ち着かせたはずの鼓動が早くなった。心の準備はできてはいたものの、やはり本人を目の前にすると、照れ臭さも混じってキモいほどに吃ってしまう。


「……あ、ああ。いや。べ、別にいいぞ」


 初っ端、明らかにテンパり過ぎであった。


 はずかちい……


「え。あ、えっと。はい! ありがとうございます。その……今朝の手紙、読んで頂けましたか」


 乙女のように顔を赤くしている俺のせいなのか、彼女も頬を若干赤らめながら、そう聞いて来る。


 のっけから情けない醜態晒したのに、彼女は心優しいのか先程のことに関しては触れないでいてくれた。俺としては多少笑ってくれた方が気が楽になるんだが。


「っ! あ、一応……読んで、ここまでに来た」

「そ、そうですか」

「──」

「──」


 突如。互いの気恥ずかしさから、屋上を支配する静寂。やはりこうなることは予想出来ていた。だけど、今まであまり女子との関わりがなかった、生粋のサッカー小僧だった俺が恥ずかしがるのは当然かと思ってはいたが、まさか彼女もこんなに恥ずかしがるとは予想していなかった。意外と内気な性格なのだろうか。


 それにしても、妙なむず痒さと何か話さなくてはという焦燥感に駆られてしまう。


 何をやってるんだ俺は。もしかしたら、人生初の彼女が出来るかもしれない、俺の人生のターニングポイントにいるというのに。


 しかも、相手はあの芹沢せりざわ 結海ゆうみさんなのだ。


 彼女は別にアイドルだとか、世間的に著名な人物というわけではない。しかし、学校内であれば、殆どの人が知っている有名人であることは確かだ。何故なら、我が校で伝統ある文化祭で行われているビッグイベントの一つ、『南洋高校 美人コンテスト』で、前代未聞の一年生の時の優勝を成し遂げているからである。


 突然だが、この学校の男女比は3対7である。元々は由緒があり、また部活も盛んだった女子校だった名残から、何度も全国大会で金賞を獲得してきている吹奏楽部、演劇部、女子バレー部など他にも多くの全国レベルの強豪部が勢揃いしているため、それ目的でくる才女が多い。丁度、五年前に少子化の問題もあって共学化になったのだが、依然として様々な女子部活が活発な活動を続けて、実績を残しているこの学校を受験する女子が多いので、必然的に男女比が偏ってしまっているのである。

 さて。何故今、この話をしたのかというと、普通の美人コンテストは男性票が多数を占めることが多い。しかし、この学校は女子が大多数である。当然、数少ない男子よりも、大多数を占める女子の意見が優遇される、特異な学校なのだ。


 これはつまり、男子からの色々な思惑——例えば『身体がエロいから一票』だとか『好きな人だから一票』だとか、そういう下心も贔屓も一切合切ない、多数の同性からの公平な審査の下で決められた真の美人が、このコンテストで誕生するということなのだ。


 女子の世界というのは、男子の世界よりも色々と生々しく、残酷であることは周知の事実。

 それに、南洋高校は偏差値も高く、殆どの部活が強豪であるためか、必然的に全国から文武両道な才女が集まっている。そこらの高校の並の女子ではなく、それぞれが才を持つ、強かな女性であるのだ。そんな女子たちの弱肉強食なヒエラルキーの中では、やはりこれまでに『三年生の一番人気な女子』が美人コンテストの栄冠を手にする風潮があった。


 当然、容姿だけでなく普段から垣間見える人間性、そして部活で挙げた実績も加味して候補者の総合的な能力で審査しているらしい。そんな名だたる三年生の才女たちを差し置いて、一年生の時に全校生徒の投票で異例に選ばれたのが、今目の前にいる女子であるわけなのだから、多少はこうして恥ずかしい気持ちもあるが、そんな凄い人を目の前に恐縮し、目を背けてしまう俺の気持ちが分かるだろう。


 二年生ながら、この学校でもトップクラスの全国大会での実績を誇る、演劇部の副部長を任されており、学力も容姿も全てがトップレベル。彼女が一年生の頃の去年、文化祭のステージでその演技を見たことがあったが、ただその演技力に圧倒された記憶がある。なんたって、普段の穏和な様子とはかけ離れた、一種の二重人格を疑うほどに、役になりきっていたのだ。まるでその劇の人物がこの場にいるかのように。歌声も綺麗で、とてもではないが同じ高校生とは思えないぐらいのクオリティだったのだ。



 天才。いやその一言で片付けるのは無礼だろう。彼女のような存在はきっと、学力も演技も、全て彼女が継続してきた努力の結晶の筈だ。秀才と表すのが適切だろう。



(……でも今更思ったけど、なんで俺なんだ?)


 そんな人が、何故五年前の共学化で発足したばかりの数少ない男子部活の弱小サッカー部でも、入部から二軍で体型だってぽっちゃりしてる俺のことをこの場に呼んだんだろうか。

 疑問に思っていると、彼女から口を開いてきた。


「あの。今時、手紙って古臭いだとか、思ったりしなかったですか?」


 そう聞かれて、俺はやや上擦った声でここはしっかりと返答する。


「……いや、正直に言うと……その、すごく。嬉しかった」

「……橘くん?」

「た、確かにメールだったら楽だけど、こうして頑張って書いてくれた文章を見てみれば、ちゃんと。その、芹沢さんの『放課後に屋上へ来て欲しい』気持ちが……ストレートに伝わってきた。だから、えと。凄く嬉しかった」

「……え?」


 と。それまで不安そうだったのが、惚けた顔でこちらを見つめ返してくる芹沢さんをみて、顔が熱くなる。


「……ご、ごめん」


 思わず謝ってしまう。しかし、俺が手紙の中身を見て、行かなきゃなと思ってしまったことは本当だ。


 その手紙の中身というのは、以下の文である。


たちばな 耀太ようたさんへ。


 突然、このような形で連絡を取ってしまったこと、誠に申し訳ありません。ですが、実は早急にあなたとお話ししたいことがあるんです。

 もし時間が空いているのであれば、今日の放課後の十五時三十分に、屋上へお越し頂けないでしょうか。返事はして頂かなくて大丈夫です。


 最後に、あなたの貴重な部活の時間を取らせてしまうことをお許しください。


 芹沢 結海より』


 以上なことから、これから芹沢さんが話してくる詳細はまだ知らない。だから告白とは限らない。もしかしたら、本当に大事な用があってここに呼んだかもしれない。

 そう思うと、なんだか今まで一人で盛り上がっていた心に冷や水をかけられたようだ。完全なる自滅である。


「あ、はは」

「……っ」


 気まずい空気に思わず苦笑してしまう俺に、芹沢さんは恥ずかしそうに目を逸らす。

 ちょっとショックだ。


 しかし、本当に。考えれば考えるほど、今日は明らかに非日常的だろう。



 ──それは、突然の出来事だったのだ。


 今朝、俺はギリギリ朝のホームルームに間に合うくらいの八時十五分に家を出た。そして、いつも通りの道を、時には近道をしたりしながら、十五分程度歩いて、通っている県内では確りとした実績を持つ進学校と目される県立南洋高校の校門に辿り着く。そしていつものように、欠伸をしながらまた歩いて、昇降口から下駄箱に入る。


 そう。ここまでは本当になんら変わらない、いつも通りの朝だったのだ。一種のルーティンとも言っても良い。

 しかしそこからは予想出来ることだろう。今、屋上でこの学校の高嶺過ぎる華である、芹沢 結海さんと相対してる状況を作り上げたこの魔法の手紙が、突拍子もなく俺の下駄箱に置かれていたのだ。思わず声を出すのも忘れて、下駄箱の前で愕然としながら変な顔で静止していた俺の様子が、簡単に想像出来ることだろう。


 そんな恥ずかしい自分の姿を記憶の奥底へ捨て去りながら、俺は男の気概を見せようと、話の先を促した。



「……で、その。今日は、何の用があって呼んだんだ?」


 今のはマシに話せた方だろう。さっきの吃り具合はほんとにひどかったからな。


 一方、俺の問いに対して、芹沢さんは目を逸らしていたが、意を決した表情でこちらを見上げで、静かに答えてくれた。


「……今日は、その。橘くんにお願いしたいことがあってここに呼んだんです」

「……お願いしたい、こと?」

「はい」


 ──え? まさか、本当に? 


 あの芹沢さんと、俺が? 


 もしもこの後の彼女の言葉で、告白されて付き合って下さいとお願いされたら、俺はノータイムでYESと答える。こんな可愛い子に告白されたりでもしたら、誰だって、壊れた電池人形のように首を縦に振る動作以外しないはずだ。


 俺だって男だ。


 勿論、彼女の容姿が整っていることに魅力を感じている以外にも、俺には彼女と付き合いたいちゃんとした理由がある。


 同学年だし、しかも隣のクラスだから普段の彼女の生活背景への噂は、すぐに俺の耳に届く。

 内容は良いものばかりだ。殆どの噂が、当時は会ったことも話したこともなかったのに、彼女の人の良さが分かってしまうエピソードばかりなのだ。実際、今少しだけ会話出来てしまっているが、噂に聞くよりも対話していると、もっと人の良さが滲み出ていた。


 彼女から放たれる癒されオーラといい、呼び出してしまった俺への最大限の配慮が伝わってくる話し方といい、全てがプラス要素。俺の中の芹沢さんへの評価も今、うなぎ上りしている最中である。

 それに、去年ばかりに見た、芹沢さんがヒロイン役で出演した演劇で、ファンになってしまっているということだ。彼女の演技にもすっかりと惚れさせられていたのだ。

 女性という恋愛対象としての好意。そして、純粋に一見内気そうな彼女が演劇の最中に見せる違う顔だったり。


 全てが俺の心へドストライク。スリーアウトでコールド負けである。


 さあ、芹沢さん。俺はいつでも準備満タンだぜ。なんなら今すぐ、俺の懐へダイブしてきても……いや、流石に俺の心臓が持たない。なんせ生まれてこの方心も身体もチェリーボーイだ。正直、女子と話すときは近くに男友達が居ないと正常に話せない自信がある。


「橘くん……──」

「……っ」


 息を呑み込む。


 目の前の彼女が今、懸命に言わんとしているその先の言葉のことを想像しては、一喜一憂しまくっている、そんなぐちゃぐちゃな洗濯機状態の心が叫んでくるのだ。


「実は、わ。私っ──」

「お、おう」


 ──もう一層、てめえから告白しちまえよ。女から言わせんのは男じゃねえ! 


「──!」


 そんな悪魔の囁きが。確かに、ここは男から言うべきではないのか。しかし、この状況を作ったのは芹沢さんの方で、芹沢さんが今日、俺にわざわざ手紙まで書いて、ここに呼び出してくれたんだ。なら、彼女に言わせるべきではないだろうか。


 そんな考えを、頭の中で反芻させる。


 理性と本能がぶつかり合っている今、先に言い出すのは俺か──それとも彼女か。









 雌雄の戦いは決する。


「俺! 芹沢さんことが好──」

「──私! あなたの親友の、高橋くんのことが好きなの!!」


 屋上に鳴り響く芹沢さんの声。流石は演劇部の副部長。事実、演劇業界からも早くから注目を浴びている期待のホープ。テレビから取材を受けているだけな実力である。


 俺の言わんとしていた言葉が、彼女の声量前に、虚しくも掻き消された。


 どちらが先に告白をするか。そんな水面下での戦いは、結果的に芹沢さんの勝利で終わった。


 しかし。


「…………え?」


 今、なんて言った? 高橋くんのことが? え? 







 ── 一方で、俺は先ずその勝負の土俵にすら上がっていなかった。今ここにはいない、俺の親友である高橋 啓斗というイケメンに恋愛で完全敗北したのだ。


 いや、俺じゃないんかい。

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