24.腹黒閣下に加担しまして。


「実は私、行きたいところがありまして」


 そう言って手を引くエリアスに、連れてこられた場所は――。






「はわわわわわわわわ」


 まん丸の瞳をきらきらと輝かせて、フィアナはふるふると震えた。その小さな手のひらから、ちんまりと丸いハリネズミが、つぶらな瞳でフィアナを見上げている。


「み、見てください、エリアスさん! この子じーって、じーって私のこと! ふわっ!? 鼻をひくひくってしました! 見ました!?」


 すんすんと匂いを嗅ぐ小さなハリネズミに、フィアナはすっかり心を奪われた様子。だが、それを見守るエリアスはエリアスで、滂沱の涙を流していた。


「小動物と、フィアナさんが戯れる世界……。ああ、なんで私は今日、絵師を連れてこなかったのでしょう。この素晴らしい光景を後世に残す義務が、私にはあったというのに……」


「っ、エリアスさん! この子、いま私の指をぺろって! ぺろって!」


 まったく会話がかみ合っていないが、この際問題はない。理由は違うにせよ、少なくともふたりは今この瞬間を最大限エンジョイしていた。


 さて、エリアスがフィアナを連れてきたのは、王立公園の一角にある動物園だ。もともとは王族が国内外の生き物を集めてコレクションをしていたのを、先王時代に、料金さえ払えば身分に関係なくなかに入れるような公共施設に変えたらしい。


 フィアナも小さい頃、両親に連れられて遊びに来たことがある。けれども近場であるがゆえか、以来、ふたたび訪れることもなかった。


 そんなわけで久方ぶりということも手伝い、ハリネズミのほかにも、ふわふわのウサギや、モルモットなど、可愛らしい小動物たちと戯れることが出来るコーナーに到着した途端、フィアナのテンションも一気に弾けたのだ。


「はぁ、癒された……」


「まったくです」


 フィアナがすっかり満足したころ、ふれあいパークのすぐ横にある水場で、ふたりはじゃぶじゃぶと手を洗う。どうぞ、と差し出してくれるハンカチをありがたく受け取りながら、フィアナはふと首を傾げた。


「エリアスさんはあんまり動物と触れ合っていませんでしたけど、よかったんですか」


「はい。動物を愛でるよりも、私はフィアナさんを愛でたいので」


「それ、動物園デート、全否定じゃないですか」


「そんなことありませんよ? 動物たちにきらきら目を輝かせるフィアナさんを、私は眺めにきたのですから」


 ハンカチを上着のポケットにしまって、エリアスはごく自然にフィアナの手を取った。


「行きましょう! 奥にはもっと、たくさんの動物が見られますよ」


 手を引かれて、フィアナは彼と歩いた。


 メイス国よりもずっと南の国に住んでいるという、首の長い馬。猫を大きく、さらにスタイルをよくしたような動物。一日中木にぶらさがって眠っているという、不思議なサル。


 変な動物もいた。面白い動物もいた。驚いたり、怯えたり、興奮したり。そんなフィアナに、エリアスも終始楽しそうに笑っていた。


 ずっと、この時間が続けばいいのに。ふと、そんなことを思ってしまった。


(なるほど、これがデート……)


 途中、目に留まった売店横のベンチに座ったところで、フィアナは我に返って打ちひしがれていた。ちなみにエリアスはというと、何か甘いものを買ってくるといって、売店を覗きに行っている。


 ついつい動物にはしゃいで、夢中になってしまった。一応、今日のデートはお店を助けてもらったことへのお礼として行っているのに、そんなことに一切関係なく楽しんでしまっている自分を、今更のようにフィアナは恥じる。


(エリアスさんも、見たところ、楽しそうにしてくれてはいるけど)


 真剣な様子でジェラートを吟味するエリアスの背中を、フィアナは盗み見る。そして、こっそりため息を吐いた。


 わかってはいたけれど、エリアスは女の扱いがうまい。エスコート慣れ、とでも言えばいいのだろうか。手の引き方や、道でのさりげない庇い方、休憩のタイミングの挟み方まで、何をとっても自然すぎる。


(……舞踏会とかパーティとか、色々とお付き合い慣れしているんだろうな)


 煌びやかなシャンデリアの下で、ドレス姿の女性をエスコートするエリアスをぼんやりとイメージして、フィアナはちょっぴりカチンとした。本性はさておき、飛びぬけて美しい容姿をした彼のことだ。女性の手を引く姿は、とても、ものすごく、サマになることだろう。


 自分でも気づかないうちに、フィアナはむっと顔をしかめていた。と、そのとき、甘えた女の声がフィアナの耳に飛び込んでくる。


 顔を上げると、案の定というか、エリアスがきれいなお姉さんふたりに絡まれていた。


「お兄さん、もしかしておひとりですか?」


「いいえ? 私は……」


「私たちも、おんな二人なんです。よかったら、一緒に回りませんか?」


 フィアナは渋い顔で、ナンパされるエリアスを眺める。エリアスはやんわりと断ろうとしているが、麗しい彼の色気にくらりとやられたのか、お姉さんふたりもなかなか食い下がる。


お姉さんふたりには、切実にエリアスの手を見てほしい。あるではないか。その手に、ジェラート二つが。連れがいると、なぜわからないのか。


エリアスもエリアスだ。すぐそこに、フィアナがいるのだ。あそこに連れを待たせているのだと、一言いってやれば済む話ではないか。


(何を手間取っているんだか……)


 優しくて、頭が良くて、格好良くて。フィアナひとりに執着しなくたって、おそらくエリアスにはいくらでも相手がいる。


 それでも。その口で、フィアナを好きだと言ってくれるなら。


〝デートがしたいです、フィアナさん〟


〝動物たちにきらきら目を輝かせるフィアナさんを、私は眺めにきたのですから〟


〝フィアナさん。フィアナさん〟


〝フィアナさん〟


(今日だけは、私だけのエリアスさんでいてくださいよ……っ)


「エリアスさん!!!!」


 気が付けば、フィアナはその名を呼んでいた。


 ふたりのお姉さん、そしてエリアスが振り返る。――フィアナは気が付かなかったが、その唇は、ゆっくりと美しく流線形を描いた。


「あ、お兄さん……」


 お姉さんが引き留めるも、エリアスは迷いのない足取りでまっすぐにフィアナのもとに歩みを進める。そして、フィアナの肩を軽く引き寄せると、触れるか触れないかの微妙なタッチで、こめかみに口付けた。


「――せっかくお誘いいただいたのですが」


 何が起こったのかわからずに目を丸くするフィアナの肩を抱いて、エリアスが妖しく微笑む。残念ながらその表情をフィアナが見ることは適わなかったが、その笑みはほんのりと腹黒さを秘めながらも、どこまでもすがすがしかった。


「見ての通り、可愛らしい恋人が一緒なんです。彼女に、あとで怒られてしまいますので」


「こ、恋人って、エリアスさん……っ」


「ね?」


 有無を言わさない――どこかフィアナを試すような瞳で、エリアスが顔を覗き込む。ようやく何をされたのか理解をしたフィアナも、顔を真っ赤にして額を押さえながら、エリアスを見上げる。


 ……正直、色々と言ってやりたいことはある。


 どさくさに紛れて、何をしているんだとか。お姉さんふたりを巻き込むなとか。こうなるのを見越して、わざとナンパを強く断らなかったんじゃないかとか。


 けれども。


(ああ、これは私の負けだ)


 そんなことをそこはかとなく思いながら。




 熱を持つ頬を隠すように、フィアナは小さく頷くしかなかったのだった。

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