第14話 リーゼロッテのお泊まり
たっぷり三時間の後。
リーゼロッテは西離宮の来客用ベッドで意識を取り戻した。その傍らにはヴィルヘルミーナ・・の姿をしたハインツが静かに椅子に座って、何やら刺繍などしながら彼女を見守っていた。
「あっ・・お姉様。申し訳ございません、私ったら王宮で何という粗相を・・」
あわてて起き上がろうとするリーゼロッテをハインツが制する。
「気が付いたのね・・急に起きたらだめよ、倒れちゃったばっかりなのだから。多分貧血じゃないかってことだったんだけど、女の子は無理しちゃいけないわ。もう公爵家には『今晩は令嬢をお泊めします』と使いをだしてあるから、ゆっくり休んでいていいのですよ」
「あ、はい・・すみません・・」
「何か暖かい飲み物を用意しましょう。そして気分が良くなったら、軽い食べ物も準備させるわね」
ほどなく、ハインツが自らハーブティを淹れ、その香りを胸に吸い込んだリーゼロッテは、ようやく落ち着きを取り戻した。
「もう・・大丈夫です、お姉様。久しぶりにお姉様にお呼ばれして、ちょっと興奮しすぎてしまったみたいですわ。まだ、夜中というわけではありませんし、公爵家に帰れますから、ご心配なく」
「帰るのはダメ、さすがに無理よ。もう公爵家の馬車も帰しちゃったから、もうおとなしく泊まっていきなさい。イヤなの?」
「いえ、とっても嬉しいんです、嬉しいんですけど・・」
「うん、もうリーゼロッテを困らせるような話はしないから、安心してね。のんびり休んでいってね」
ほどなく果物を中心としたごく軽い食事が供される。ハインツと二人でゆっくりと摂るうちに、リーゼロッテの頬は桜色に戻り、その会話もいつもの無邪気なものになって、笑い声も混じるようになった。
やれやれ一時はどうなることかと思った・・とハインツは胸をなで下ろす。あとは明朝まで不自然にならないように振舞って、彼女を無事に返してあげればいい。ハインリヒ・・いやミーナ姉さんへの執着をそらすことはできなかったけど、そこまでは責任持てないや、仕方ないよなと開き直る彼である。
「さあ、湯浴みの準備もできてるわ。疲れているでしょうし、さっぱりしたら早めにおやすみなさいな」
「あのっ! お願いがあるんですっ!」
サファイアのような大きな瞳を潤ませて、ハインツを上目遣いに見上げるリーゼロッテ。
「改めてどうしたの、リーゼロッテ?」
「あ、あの・・あのですね・・今晩、一緒に寝んで頂けませんこと?」
「ええっ!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
結局ハインツは、リーゼロッテの願いを断り切れなかった。
というよりも、断るに適切な言い訳をヒネり出せなかった、というのが正確な言い回しかも知れない。仲良し少女同士が、たまの機会に一緒にお泊まりとなったら、ゆるゆるとお話でもしながら一緒に寝ましょ、という希望はごく自然なこと。
これを下手に拒否したりすれば、本日やや暴走気味のリーゼロッテが、「お姉様が私を嫌いに・・」となりかねない。ウチのベッドは小さくて・・も無理だ。西離宮のベッドは全部キングサイズ、三人だって余裕で寝られるのだから。しかも、こういう日に限って頼りになる相談相手はいない・・ミーナは軍の駐屯地に泊まりの出張、ニコラは実家に帰っている。この手の案件に関してクリフは、残念ながら戦力外だ。
とにかく明日まで平穏に、優しいお姉様を演じなければ・・結局一緒に寝てあげるしか選択肢がない。万一にも気づかれないよう、身体的接触を極力避けて。今日は、長い夜になりそうだ・・最悪は一睡もできないかもな、とハインツは覚悟した。
悲愴なハインツと対照的に、リーゼロッテは期待に浮き立っている。湯浴みして石鹸とローズの香りを身にまとい、派手ではないが上質な絹の来客用ナイトウェアを着けた姿は、幼さを残しながらも、はっとするほど美しい。いつもより頬の紅色が濃いのは、湯温の働きによるものか、憧れのお姉様とのイベントに入れ込んでいるゆえか。
遅れて身支度を整えて寝室に入ってきたハインツは、その妖艶とは言えないが、可憐で新鮮な色気に息を飲む。
「どうなさったの、お姉様?」
「え、あ、ええ・・そう、リーゼロッテがあまりに綺麗で愛らしくて、見とれていたのよ」
思わず持ってしまった男としての欲望を、ヴィルヘルミーナとしての女言葉で表現する・・微妙な気分のハインツである。しかし反射的に口にしてしまったその言葉は、箱入り娘の令嬢には刺激が強すぎたようだ。リーゼロッテはたちまち耳まで真っ赤に染まる。
「・・・っ、そ、そんな、綺麗とか言われたら・・」
再び挙動不審に陥ってしまうリーゼロッテの姿に、ハインツはあわててフォローする。
「ふふっ。リーゼロッテは照れ屋さんね、自信を持ちなさいな、あなたは可憐で美しいわ。どんな殿方も、そんな姿を見せられたらイチコロなんだから。だから、生涯の伴侶となる方にしか、見せてはいけませんよ」
なんだか母親のようなコメントになってしまったけど不自然ではなかったよな、とハインツは胸中でつぶやく。実際のところ、リーゼロッテは頬を染めつつも落ち着きを取り戻し、はにかんだような微笑みをハインツに向けてきているのだから、彼の対応はおおむね正解であったのだろう。
ランプの灯りを最小に絞って、二人は天蓋付きの豪華なキングサイズ寝台にもぐりこむ。身体が触れないよう、しかし隔意を疑われないよう、慎重に距離を測って。
すぐにおやすみでは意味がない、リーゼロッテにはたくさん話したいことがあるようだから。最初は公爵家で飼っている仔犬のこと、次は家族のこと・・最近伏せることが多くなった母とそれを心配する父、両親を安心させるため身を固める決心をした長兄・・、さらに王立学院でのあれやこれやの出来事と、楽しいけれどこれでいいんだろうかという思春期の少女らしい悩み、そしてニコラが与えてくれる新しい学び・・動機はハインリヒに近づくためだが・・
次々と表情豊かに言葉を紡ぎ出す可憐な唇を、ハインツは飽かず眺めていた。何気ない日常の出来事が、彼女の口から出た瞬間に、なんと生き生きと躍動するのだろう。そう感じるのは自分が、この少女を好ましく想っているから・・という自覚は、無論ある。だけどその想いは、決して口に出すことはできない・・だって自分は、王女ってことになっているわけなのだから。
ハインツはひたすら優しく「良い聴き手」であらんと努めた。下手に自分のことを語り始めたら、この素直な少女に、余計な想いを口走ってしまいそうだから。
と・・絶え間なくあふれていたリーゼロッテの心地よい言葉のせせらぎが、途切れがちになっている。ようやく眠りの妖精が訪れた・・わけではなさそうだ。彼女は頬を染め、この先を続けるべきか、言わざるべきか、明らかに迷っている。
「どうしたの? リーゼロッテ?」
「あの・・っ、お姉様、午後にお答えできなかったあの件ですけど・・私がなぜハインリヒ様でないといけないのか、という・・」
ヤバい、またリーゼロッテの挙動不審スイッチを入れてしまう、とハインツは焦る。
「いいのよ、そのお話は。話したくないことは無理に口に出さなくていいの」
「いいえ、お姉様。これはいずれお話ししないといけないことだったのです。確かにお昼にはちょっと、いえかなり動揺してしまいましたけど・・もう大丈夫ですから」
「本当に無理でないのなら、私も聞きたいのだけど・・」
「はい、でも、どこからお話しすればよいのか・・」
リーゼロッテはまた、耳まで紅く染めている。一生懸命に落ち着こうと、呼吸を整えている姿は微笑ましい。そして・・たっぷり十を数える間、眼を閉じていた彼女が言った。
「あっ、あのっ! 私が本当に大好きで、ずっと一緒にいたいって想う人は、ハインリヒ殿下ではないのですっ! その方は、眼の前にいらっしゃる、ヴィルヘルミーナお姉様なんですっ!」
「えええええっ!」
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