第17話 迫りくる影 part1

 ニューヨーク、マンハッタン中心部に位置し、まるで鋭利な刃物のような独特の外観が印象的な『ゴールドバーグ&サンズ』の本社である超高層ビル。

 高さ1500フィートを優に越し、その階数は100階に及ぶこの建物の中でも、ごく一部の者しかその存在を知らない場所があった。

 その一つが専用のエレベーターでしか降ることのできない特別地下層10階にある情報室ーー通称『神の眼』である。

 『われは世の光なり、われに從う者は暗き中を歩まず、生命の光を得べし』という聖書の一節が彫り込まれた漆黒の扉をあけて中へ足を踏み入れると、広大な室内に数百名を超えるスタッフが常駐して、さらに下層階に設置された数十台に及ぶスーパーコンピューターが世界中から収集した膨大な量のデータの精査・解析を24時間体制で行っている。


 その情報網は一般人の想像をはるかに超えるスケールとなっており、アメリカの軍事衛星がとらえたテロリストの司令官の位置情報から、中国大陸の数億人単位の電話の盗聴、果ては田舎のコンビニエンスストアの監視カメラの映像まで、この地上を行き交うあらゆる情報を求め貪(むさぼ)る、およそ『神とは程遠い怪物的な存在』であった。

 このシステムにかかれば、誰かをターゲットと設定すると、他人のプライバシーや人間の尊厳といったものへの配慮など一切なく、その人間が世界中どこにいても監視カメラや通信情報により位置が特定されるようになっている。


 だがここで働いている社員たちにとっては、それは単に一般企業と比べてもはるかに高収入が得られる『素晴らしいビジネス』に過ぎず、良心の呵責など感じることのない『日々のオフィスワーク』に過ぎなかった。


 突然、若い男性スタッフのひとりの興奮気味の叫び声が室内に響いた。

「TPT=最優先標的(トッププライオリティ・ターゲット)、遂に発見しました!」

 その声で周囲からどよめきが起こり、複数のスタッフが集まってくる。

「今度こそ間違いないか?どこだ?」

「もう間違いじゃ済まされないぞ、ジミー?」

 ジミーと呼ばれた若い黒人青年は目の前の大型3Dスクリーンに日本地図を出現させると、まるでベテラン指揮者のように見事な手さばきでぐんぐんと拡大させ、点滅する地点から数枚の写真を拡大させた。

「ここです、ヒロシマのすぐ手前の小さなサービスエリアですが、ここの監視カメラの映像にTPTらしき人物が映し出されています。ビッグマムーースーパーコンピューターの愛称ーーの判断によると、映像の人物のターゲットとの適合率は実に98%です」


 それは、変装してヒッチハイクを続けていたジョシュアが二人組の女性をナンパするのに普段の服装に戻った瞬間を捉えた映像だった。


「この映像の人物が乗り込んだ車が、ヒロシマのオノミチに到着したのが道路沿いの監視カメラの映像から確認されました」


 誰かが口笛を吹いた。

「やったな、臨時ボーナス確定だ!一杯奢ってくれよ」

「テスラの新型EVがゲットできるわね!」


「実は、サプライズがもう一つあるんです」

 ジミーは白い歯を見せて笑って地図上のもう一箇所ーー広島県の尾道周辺ーーをクローズアップした。

「このTPTに連動してビッグマムがマークしているCMT=継続的監視標的(コンテニュー・モニタリング・ターゲット)が、先ほどの画像から数時間後、すぐ近くのポイントに現れてるんですよ!これって査定アップになりませんか?」


 こちらはごく短い動画であったが、尾道駅の駅前広場の芝生の上で見事な空手の型を披露しているアンの姿だった。

 おおーっという歓声が上がり、拍手が一斉に巻き起こった。

「おいおい、Wボーナスじゃないか!」

「このカンフーガールに感謝しないとな!」


 だがジミーは上司らしき男性に向かって微笑むと、思いもかけない言葉を告げた。

「来週から休暇をいただけませんか、ボス?ボーイフレンドと長年憧れてたカリブ海クルーズに出かけようと思うんです、スイートルームで」

「こいつ、この忙しい時に!仕方ない、思う存分甘いバカンスを楽しんでこい!」

 ボスと呼ばれた男が苦笑しながら大げさなポーズで答えると、室内に笑い声が広がった。

「さあさあみんな、そのまま仕事を続けておいてくれ。私は上の部署に報告に行かねばならん」

 立ち去ろうとする背中に向かって。ジミーが声をかけた。

「そういえばボス、このターゲットってどこの誰なんですか?」


 男は振り向くと、肩をすくめた。

「さあな、知らんよ。今まで通り、ここで得られた何処かの誰かの情報がどう使われようと、ノット・マイ・ビジネスーー我々の知ったことじゃないーーそうだろ?」

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