第6話 ヘルメットバッグ

 はじめての原付通学をした小熊は、いつも通りの時間に教室に入った。

 特に挨拶をするような友達も居ない。真ん中やや後ろ寄りの席に座った小熊を見た同級生は、すぐに視線をそれまでお喋りしていた友達の顔や携帯の画面に戻す。

 いつもと変わりない朝。変わったのは自分の通学手段だけかもしれないと思いながら、小熊はバッグを教室机の横にブラ下げた。

 変わった物がもう一つ。黒革の学生鞄からディバッグになった。特に目を惹くようなブランド物でも何でもない。放浪の天才画家が背負っていたような生成り木綿布の地味なディバッグ。誰も気付いていない。

 小熊は今すぐ席を立ち、わたしバイクで学校に来たの!と言ったらどうなるのかな?と思ったが、たぶん原付での通学なんてバスや自転車、あるいは家族の車と同じ通学の一手段で、特に注目されるようなものではないんだろうと思った。それに小熊は人目を惹くことが苦手だった。


 本鈴が鳴り朝のホームルームが始まる。それからいつも通りの授業。ノートを見る程度の予習でついていけた。この高校の偏差値や進学率は山梨県内でも決して低くないが、小熊はどうやら努力しても怠けていても並の成績を取れるように出来ているらしい。平凡な点数、目立たない生徒、田舎ならどこにでもある軽トラ、あるいはスーパーカブのような存在。

 授業を受けながら意味の無いことを考えているうちに昼休みの時間が来た。周りの生徒たちがお弁当やパンを取り出したり購買部に駆け出したりしている、小熊はディバックから弁当箱を取り出した。

 大きなタッパーに詰められたご飯に、スーパーでまとめて買ったレトルト親子丼の封を切って掛ける。奨学金頼りの慎ましい暮らし。お金と手間を両立させるにはこれが一番いいと思い、ずっとご飯とレトルトの昼食にしていた。

 弁当を温めるため教室の後ろに置いてある電子レンジを見たが、既に列が出来ていたので、小熊はそのまま食べることにした。幸い中華丼は冷めてもレトルトカレーほどひどい味にはならない。

 誰とも一緒に食べることのないお昼ご飯。教室には他にも一人で食べている子をちらほら見かける。小熊は弁当を隠しながら食べるほど社会性に乏しいわけでもなかったが、単調な食事には少し溜め息が出た。

 昨日のスーパーカブ購入と夕べのガス欠、今朝の原付通学と、ここしばらく縁の無かった事件が立て続けに起きたことで、今まで繰り返してきた日常に対する小熊の気持ちも少し変わったのかもしれない。


 昼食を終え暇つぶし以外に意味の無い授業の復習をしている間に昼休みが終わり、五時間目の授業が始まった。今日は家庭科で裁縫の実習をするという。小熊は雑巾縫いが出来る程度だけど、今のアパートには無いミシンを使えるのは楽しそうだなと思った。

 授業が始まる。家庭科実習の内容は巾着袋を作ること。小学校高学年の家庭科でやった事の復習みたいな内容。高校の家庭科なんて教師も生徒も気が抜けたもの。半分くらいの生徒は他教科の内職をしたり、こっそり携帯をいじったりしている。

 家庭科教師が自分の教卓に積み上げられた布を指し、好きな布を取って教科書に書いてある通りの巾着袋を作ってくださいと言う。後は生徒達が完成品を持って来るまで放置すると決めたらしく、自分の膝の上に乗せていた編み物を始めた。

 クラスの皆が次々と布を取っていく。一応は可愛い柄の布を選んでいる子も居れば、手間をできるだけ少なくするため小さい布を取っている子も居る。小熊の順番が来た。

 少し考えた小熊は、積み上げられた布の中でも特に大きいものを手に取った。手作り小物の材料というよりトラックの幌にでも使うような固い厚手の木綿布で、色は地味なオリーブグリーン。後ろに並んでいた子たちが笑いながら肩を叩いた。

「やっぱり貧乏してると少しでも大きいのを取ろうってなるの?」

「親が居ないってのも大変だねー、それ夜逃げの準備?」


 小熊には休み時間に仲良く喋ったり放課後に遊びに行く友達は居なかったが、このクラスの居心地は悪くない思っていた。噂の伝わるのが早い田舎の高校。自分の境遇についてはみんな知っているけど、今さらそれを腫れ物扱いするような子は居ない。

 しかしながら、自分を下に見られるようなことを言われるのは気に入らない。そう思う自分が不思議だった。少なくとも小熊がこの布で大きな巾着袋を作ろうとするのには、明確な目的があるから。

 小熊は軍隊で使うような厚手の布を引っ張ったりして強度を確かめながら言った。

「ヘルメットとグローブを入れようと思って、バイクの」

 小熊の周りに居た子たちが驚きの声を上げた。

「バイクとか乗れるの?」「免許いつ取ったの?」「盗んできたんじゃないでしょうね?」「何乗ってるの?」「後で見せてもらってもいい?」と質問攻めにする。

 小熊は自分の席に向かいながら答えた。

「スーパーカブ。中古の」


 同級生たちの表情が変わる。一度は高まった興味が醒めた顔。

「なーんだカブかー」「バイクっていうか原付だし」「やっぱり見せてもらわなくてもいいわ。お爺ちゃんも乗ってるから」

 小熊はミシンに布を置き、足踏みスイッチを押して縫い物を始めた。巾着袋を作るだけならすぐに終わるだろう、それでわたしのヘルメットバッグが出来上がる。それもタダで。これで毎朝あの使いにくいヘルメットロックに苦労することも無くなる。

 同級生が小熊の乗っているバイクがカブと聞いて興味を失くしたのは、小熊にとって安心できるものだった。ちょっと自慢したくて言っちゃったけど、やっぱり自分は目立つのが似合わないと思った。

 今までと同じ無名の女の子に戻った小熊。巾着袋を縫い上げようとする彼女をクラスの隅から見ている女子生徒が居た。

 女子生徒は席を立ち、小熊の席に向かって歩き出した。

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