15.若き社長さん
料亭を去るとき、ご主人と女将の夫妻がそろって見送ってくれた。
着物姿の凜々しいご夫妻。あの凜然とした佇まいは一朝一夕では得られない尊いもの。日々鍛錬し意識して己を律してきたから得られた美しさを教えてもらえましたと、潔も御礼を述べる。
「親方の魂送り。私もここで共にお祈りさせてください。出来上がったら是非、ご披露を――」
「はい。勉さん。本日は貴方に会えた幸運に感謝しております」
この制作を終えたら、次にやりたいことは『茶道』だとも告げると、嬉しそうにご主人が目を細めてくれる。
「こう言ってはなんですが……。今日は弟が、連れてきた気がしていましてね……」
うっすらと勉の瞳が濡れたのを見てしまった。
ここにも亡き人を『居る者』として想う人がいた。
最後に花南が『密かな義理妹』として、勉と女将とひっそりと言葉を交わし別れを惜しんでいた。その時間は、潔は少し離れ、庭木を眺めてそっと見守っていた。
なさぬ仲。しかし、血縁の子供を挟んで密かに繋がる者同士。そこに耀平は居ないが、彼はこの縁を認めてくれているのだろう。
航が受け入れられているのも、金子の兄と末弟にとっても、亡くなった金子氏は大事な兄弟だったからだと窺える。
長兄の勉が跡を継いで滞りなく役目を果たせるよう、影ながら支える役割を次男が担っていたと、花南から聞かされる。跡取り長男では手が出しにくいことに対して、代わりに冷酷な対処役を担っていた男性だったとか。
長兄の彼もほろりとこぼしていた。『弟の死は、倉重だけでなく金子も守っていたことになりますから』と――。その奥の奥に、耀平に任せた男児を守るためであったことが透けて見えてくる。子供の守護は耀平に任せ、金子氏は家を守ったことになるのだろうか。
だからとて、堂々と清々しく面と向かえる関係とまではいかないようだった。当然か。花南と金子長兄夫妻の静かな別れを見守って、潔はそう感じた。
その通りなのか。長兄夫妻がすっと料亭の建物へと姿を消した途端に、目の前に航の車が到着した。
「お待たせ~。道の駅とかで買い物して遅くなっちゃったかな」
運転席から眼鏡の凜々しい青年が笑顔で現れる。
潔にはどこかから伺って、差し支えないタイミングで登場したようにしか見えなかったが、素知らぬふりをして花南と車の中へと乗り込む。
助手席に座った花南が、シートベルトを締めるなり運転席の甥っ子へと問う。
「お祖母様、お元気だった?」
「うん。元気だった。うちの温泉料亭の抹茶きんつばと、生ういろうがお好きだからお土産に持っていたんだ。一緒にお茶をしてずっとおしゃべりしてきた。いつもどおり、女将さんなお祖母ちゃんだったよ。カナちゃんの小さなフラワーベース、めっちゃ褒めてたよ。さすが花南さん、センスが光っているってね」
「そうなんだ~。よかった~。見る目が厳しいお方だから緊張するけど、金子のお祖母様にそういっていただけると自分の感性を信じられるよ~」
「今日は遠慮したけど、また勉伯父さんの茶室にお茶点てにおいでって言われた。楽しみ~。金子の和菓子も一品なんだよなー」
会うなりぽんぽんと軽快に会話を交わす花南と航の変わらぬ姿に、潔もやっと気が抜けるかのように後部座席でふにゃっとリラックスできた。
やがて航の車が山口へと向けて発進する。料亭が小さく遠のき、古い街並みの小道を抜けると、海辺の車道へと出て走り出す。
また優しい春の瀬戸内の海が車窓に流れはじめる。
「ああ、緊張したなあ。お茶は素敵だったけど、なかなか精神統一の世界だね~」
気の抜けた潔の声に、花南が笑い声を立てる。
「ねえねえ、聞いてよ。航。親方ったら、勉さんの素晴らしいお手前に感銘して、小樽の帰ったらお稽古をはじめるとか言いだしたのよ」
「ええぇ!? 遠藤親方が!? ガラスひと筋の親方が!?」
運転をしながらでも、航の目が驚きで見開いた様子がフロントミラーに映っている。
「それだけ勉お義兄様のお点前が美しかったのよ」
「俺も高校の時から茶道を習ってきたけど、勉伯父さんはお手本だもん。わかる!」
そうか。この青年も茶道を嗜んでいたと潔も思い出す。
「やっぱり小樽に帰ったら習おう。いつか航君とおなじお席になりたいな」
「ほんとに!? 俺、親方の初めてのお点前披露のときに同席したいな」
「いいね。航君と約束しちゃおうかな」
「約束しちゃいましょうよ!」
楽しみがまた増えそうで、そして花南も『そんないきなりすぎ』と笑い出している。
そんな楽しい帰り道だったが、茶道の話題が途切れたところで、花南が真顔になって、唐突に航へと告げる。
「航社長。お願いがあります。小樽への出張を許してくれませんか」
フロントミラーに映る航の表情が一変した。
細いフレームの眼鏡をかけている青年の視線が、そのミラーから潔へと注がれる。
「なに。どうかしたの。なにかあった?」
「遠藤親方も、魂送りの時がやってきたの」
叔母で義理の母親である花南の言葉に、航が黙り込む。
彼はそのまま、運転を続けている。少し空かした窓から海辺の風が入り込んでくる音、そして潮の香。窓には、空とおなじ色合いの海。
紺のスーツだった航は午後になって暑くなったのかジャケットを脱いでいる。白シャツに、若いのに渋めの小紋柄銀鼠色のネクタイ。しばらく運転に集中しながら、ずっと前を見据えて黙っている。
少し経って、航がやっと口を開いた。
「親方。制作はすぐにはじめるんですか」
「うん。でもまずは切子模様の図案を作りたいんだ。一ヶ月ほしいかな。その後から、ベースになるオブジェの制作を花南と富樫に頼みたい。私は切子に集中したい。メインは図柄を切り込むこと。でもベースのオブジェも技巧がある者でないと実現しないものになりそうなんだ」
「もう……頭の中では出来上がっているんですね」
「花南のマグノリアとおなじになるかもしれない。昔の拙い作品を最上級に引き上げるんだ」
「なるほど――。いま、なんですね。わかります。叔母が、マグノリアを制作した時、そばにいましたから。ほんとうに『この時だ』が突然やってきて、数日間、それだけに集中して叩き込んでのめりこむ職人の姿を見せつけられましたからね。でしたら、急いだほうがいいですね」
驚いた。ほんとうにこの青年は父親譲りで、『職人を一発で理解する力がある経営者』へと成長を遂げている。この子は間違いなく倉重の子で、耀平の子であると実感できた。そして花南の息子でもあるのだと――。
「山口に帰りましたら、急いで調整します。叔母を、いえ、母をよろしくお願いいたします」
「ほんとうに……。いいのかい。山口の工房のご迷惑にならないだろうか」
「なに言ってるんですか。カナちゃんの恩返しの時じゃないですかあ」
急におどけた青年が、よく知っている『航君』へと戻った。
「そもそも、お嬢さんな職人カナさんは、普段から製造ラインを外れてふらふらしてますしね~。山口工房にいなくてもなんとかなりそう~」
「ふらふらってなに!? わたしもちゃんとヒロに言われたとおりのノルマをこなしてるよ!」
「最低限じゃん。閃いたらすぐにラインから外れて勝手に創作はじめるしさ」
「でもでも、ヒロ親方からも航社長からも『ノルマこなせばOK』って許されてるじゃない」
「そりゃあ、作家さんとしての商品も欲しいからさあ。いまこのときとか言われたら、いいもの作ってくれるなら許すよ。売り物にもならない駄作だったら許さんけど。そのために余裕ある行動を許しているのは、カナちゃんが金賞作家だからだよ。でも、たまにふらっとスケッチに消えちゃうのはやめてくれる?」
なんて口が立つ青年になったことでしょう……。潔は呆気にとられる。いや、しかし『若き工房主、社長さん』が仰ることは正論でもあって、潔は成長した青年に目を瞠るばかり。
また花南が甥っ子に敵わなくて、運転席の甥っ子に食ってかかる。
「なに、もうっ。なんで耀平お父さんとおんなじこと言いだすの。言うことまでそっくりになってきてなんなの! お父さんにも昔おなじこと言われた!!」
「え、マジ? 俺、耀平元社長さんに並んできた? マジ! かなり嬉しい!!」
やはり航は耀平が育てた息子だなと、潔も顔が綻ぶ。
これからもあのお父さんの息子として彼は生きていけるだろうと安堵もする。
「でも、カナちゃん。行きたいんでしょ、小樽」
ストレートな問いに、花南も神妙な面持ちで答える。
「うん。手伝いたい。親方の願いなら、そばにいたい」
そばにいたい。そう言ってくれる弟子――。
娘のような言葉に、潔の目頭が熱くなってくる。
「数日なんてことはないでしょうから。せめて一ヶ月、二ヶ月滞在ということでよろしいですか。遠藤親方?」
また経営者らしい提案を、凜々しい青年が潔へと投げかけてくる。
「申し訳ないけれど。そうだね。せめて一ヶ月、できれば二ヶ月……。そこで納得できなかったら一度、この制作は置くことにする」
「承知いたしました――。あ、……」
経営者の青年が承知したすぐあとに、なにか気になる点を思い出したようだった。なにか支障があるのかと潔も気になり、ミラーに見える航の視線を見つめる。
「千花……、どうするんだよ」
「あ……、えっと、つ、連れて行く……かな?」
「え、千花と二ヶ月、母と娘ふたりの生活を小樽で? 職人業務に集中していたら、千花がひとりで留守番とか? ちょっと危ないなあ」
「でも、私がいない山口で航ひとりで千花の面倒みられるの? 耀平お父さんだって豊浦の会社を離れられないと思うし」
「俺は見られるよ。成人しているから、妹の世話ぐらい。ヒロ君も舞ちゃんもいるんだし、お祖母ちゃんたちもいるし、なんとかなると思う。そうじゃなくて、千花自身がママから離れていて大丈夫かってこと」
「ううん、ムリかな。できれば連れていきたい」
潔も我に返る。そうだった。航がすっかり成人した大人になったので、花南も立派な母親になったなあと安堵していたが。彼女はまだ小学生女児の母親でもあったと、潔は思い出す。
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