第11話 巣唯一通(スイーツ)は群がる

 月曜日、透は新学期初めての登校となった。

 透は奈々の少し後ろを歩いて付いて行くと、少し遅れてから三年A組の教室へと参る。

 結構ギリギリの時間になっていた様で、ほぼクラス全員が揃っているのではないかと思われる。

 入口で突っ立っていると、待ち構えていた様に幹太が声を掛けてきた。

「お~透、やっと登校してきたか」

 幹太が近づいて来て透を席へと案内する。

 周りの生徒の視線を一斉に浴びながら席に着く。

 廊下側から二列目の一番前の席だった。

 多分、窓際の前から数えて出席番号順に座っているだけなのだろう。六列あって窓際から二列分だけ七番目の席がある。六掛ける六足す二で三十八人か。透は二十七番だと聞いていた。

 透が居なかった一週間で既に仲良しグループが出来上がっているのだろう。そこかしこで纏まった囲いから、遠巻きに透を覗う。

 初登校の透に、まだ馴染んでいない疎外感が浮き上がる。

 窓際からくぐもった会話が聞こえる。

「土夏がやっと登校してきたぞ」

「家族の誰が死んだんだろうな」

「結局、教えてはくれなかったか」

「俺、知ってるぜ、お姉さんらしいぞ」

「へぇ~ でも、お姉さんの忌引きで一週間も休むか?」

「さあ、どうなんだろ」

「そんなに気になるなら、久里洋にでも訊いてこいよ」

「別にそこまでは興味ねえよ」

 隣の女子グループからは黄色い声が漏れる。

「見て見て、土夏君がいるよ」

「キャ~ やっぱりカッコイイ~」

「良かった同じクラスになれて、今年一年、幸せだね」

「そうそう、三年で同じクラスだから、同窓会とかでもチャンスあるし」

「でも、土夏君って、彼女作らないらしいよ」

「そうそう、女子の名前を覚えようとしないぐらい、興味ないみたいよ」

「え~ それって、男が好きってこと?」

「違う違う、中学の時の噂だけどね、色んな女と付き合っていたらしくて、すぐに飽きちゃうらしいよ」

「え~ そういう男なの? でも高校では全然そんな噂は聞かないよ」

「それが不思議なのよね、不誠実な男ではないらしいから、嘘なのかも?」

「そんなに気になるなら、久里洋君にでも訊いてみればいいじゃない、同じ中学出身らしいから」

「私、訊いた。でも、教えてくれなかった」

「私は、そんな事どっちでもいいわ。それよりも、自己紹介してくる」

「あっ! わたしも~」 

 透が醸し出す近寄りがたい空気にもお構いなく、数名の女子生徒が透の方に駆け寄って行く。

 透の間近まで迫った時、丁度、教室の前扉が開き担任の寺見先生が登場した。

 一人の女子生徒から舌打ちが聞こえると一斉に席に戻る。

 寺見先生が教壇に着くと真っ先に透を見て微笑んだ。

 透だけに向けられたアリススマイルに、男子が一斉に嫉妬の視線を注ぐ。

 透が苦笑いで教壇を見返す。

「皆さん、おはようございます」

「おはようございます」幾分、男子の方が元気が良い。

「土夏君が登校してきてやっと全員揃いましたね。今週一週間も頑張りましょう。それでは出席を取ります」

 寺見先生により三十八人の点呼が取られる。

「今日は特に伝える事はありませんのでこれでホームルームは終わりにします。それでは、先生は土夏君に色々お話する事がありますので、土夏君はこのまま一緒に来てください」

 寺見先生が退出しようとすると、一人の女子生徒が手を挙げた。

「先生!」

「はい。何、萬豪寺(まんごうじ)さん」

「土夏君の自己紹介がまだですけど?」

「そうね。さすがに委員長、いい気配りです。けど、今日は時間がないので各自で休み時間にでも行って下さい」

「え~」女子生徒の不満が一斉に重なる。

 寺見先生がアリスノーム(※ノーム≒NO有無→有無を言わせないの造語)で黙らせる。

 美人が柳眉を逆立てると効果覿面となる。美人は正義とは正に至言である。

「さっきの点呼で顔と名前は解ったから、それでいいでしょう。ねぇ、土夏君?」

 透は他の生徒の顔など全く見ていなかったのだが―――

 透はアリススマイルによる美人ハラスメントのアサインにイエスマンになるしかなかった。

 別に自己紹介がしたいほど虚栄心がある訳でもないし、面倒臭いから逆に有難いとさえ透は思っている。

 教師の仮面を被っているアリスさんに、初めて生徒として対面した透は、喜んで生徒の仮面を被り頷いた。

「それでは、後は自習でお願い」

 立ち去る寺見女史の後ろに透が付き従う。




ナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナ




 透の姿が消えると、奈々は無意識に左を向く。

 隣の男子生徒を飛び越えた先に真音の席がある。

 心が通じている様に真音が右を向く。

 縋る視線の奈々と賢母の視線の真音が目で語り合う。

 挟まれた男子生徒、塩幡(しおばた)久月(くつき)は何を勘違いしたのか顔を赤くして緊張に固まった。

 真音の真後ろにいる幹太が、よく判るその状況に笑いを噛み締める。

 漏れた失笑を合図に、真音が振り返る。

「何が可笑しいのよ?」

 真音は昨日の奈々の嫉妬の件を揶揄(からか)って甚振(いたぶ)ってきたと思ったのか、険しい表情で睨みつける。

 奈々も同様に振り向いていた。

「いや、塩幡が見られてると勘違いして照れてるからさぁ」

「え!?」塩幡が振り向く。

 幹太が揶揄う様に口角を上げて見返す。

 真音と奈々が勘違いに気付き、勘違い男子へ視線が変わる。

「いや、別に照れてる訳じゃなくて、もしかしたら二人には気付かれていたのかなって思って、それで見詰められてるのかもって思って身構えてただけだよ」

「気付かれたって、何をだよ?」

「俺、土曜日にポカロの[サイダール」で昼飯を食べたんだよね」

「おう、それで?」

 塩幡久月が両脇を交互に見る。

 いつの間にか奈々が隣に移動していた。

「言ってもいいのかな?」奈々と真音の顔を覗う。

 奈々と真音が不安を引きつらせ頷く。

「結構、混んでたから、入店待ちの待機席にいたんだよね。そうしたら、倉瀬さんが泣きながら飛び出して来たんだ」

 真音の「あっ!」と奈々の「えっ?」が被る。

「その少し後で、今度は、小さい女の子を抱いた千横場さんと土夏君が出てきて、俺は、見ちゃいけないものを見ちゃったんだと思ったんだ。だって、その子、千横場さんにそっくりだったから、その前に倉瀬さんが何で泣いて飛び出したのかを合わせて考えるとさぁ、危険な香りがぷんぷんしたんだ」

 塩幡久月がすっきりした顔をする。

 真音が新たな勘違いに、困った顔で奈々を見る。

 奈々は首を傾げ右手中指を左顎先に充てた。

 幹太は口出しできずに待つ。

 塩幡久月の顔が薄ら笑いを浮かべ、応えを待つ。

 真音が慌てて教室を睥睨(へいげい)する。

 運良く周りで話を聞いてそうなのはいない。一人だけ幹太の後ろの席にいる女子生徒は必死にスマホを弄りメールか何かを入力している。ホームルームの自習なんて云ったら、授業ではないので勝手に席を立って歓談となってしまうのは当たり前だった。時間も大して無い事だし。

 奈々が口を開いた。

「塩幡くん、あのねぇ。別に言ってはまずいことじゃないんだけど、土夏君に許可を貰わないと事情は説明できないのよね。だから、もう少し待っててくれるかなぁ」

「うん、解ったよ。でも、別に言えないなら言えないでもいいよ、俺はね」

「その言い方は、もしかしてその場には、まだ誰かいたの?」真音が口を挟む。

「ああ、俺の彼女がね……」

「塩幡の彼女って、誰だよ? うちの生徒か?」幹太が口を挟む。

「そうだけど……」言いづらそうに口篭る。

「何だよ、言えない相手なのか? それとも、秘密にしないとまずい相手か?」

「べ、別に、そんな事はないけど……」

「じゃあ、誰だよ」

「……E組の沢出(さわいで)さんだよ」

「うんなぁ~ あの、沢出郁代(さわいでいくよ)かー」幹太の嬌声。

「ああ、これはもう駄目だわ。選りに選って、あの歩く広告塔だなんて」真音の呟き。

「別に、彼女は悪い人じゃないよ。ちょっと噂話が好きなだけで……」彼氏の弁護。

 幹太を囲む輪が一斉に沈黙する。

 丁度、一時限目の教師が入ってきた。

 教室の全員が散って席に着く。

 奈々が席に着くと自然と笑がこぼれた。

 ―――これは奈々の不可抗力だ。奈々に落ち度はない。透のバレたら仕方ないの言葉が響く。晴れて公認のカップルとなれる。

 透はまだ、帰って来ない。

 奈々は透を待ちわびる。




********************




 一年H組にて


「ねえ~ 聞いて聞いて! お姉ちゃんから、等々来たんだよ」

「え? 何が来たの? ミゾレちゃん」

「何言ってるのよ! そっちからお願いしてきたことじゃないの。土夏先輩が今日から登校したって、梓季(あずき)姉ちゃんからメールが来たよ」

「えっ! あっ、そうだった、ありがとう、ミゾレちゃん」

「もしかして、忘れちゃうほど、どうでもよかったってことなの?」

「ううん、違う違う。全然そんなことないよ。ただ、余りにも長かったから、待ちくたびれちゃっただけなの」

「ふ~ん、たった一週間なのに? それで、次はどうするの?」

「お昼休みにでも、様子を見に行ってみる……」

「解った。私も付き合うよ」

「べ、別に、そこまでしてくれなくてもいいよぉ~」

「何言ってるのよ。一年が三年の教室には入りにくいでしょ? 私だったらお姉ちゃんがいるんだし、少しは気が楽になるよ」

「ありがとう。じゃあ、お願いするね」

「その代わり、後でちゃんと説明してよね。土夏先輩との関係」

「う、うん。解った」




トトトトトトトトトトトトトトトトトトトト




 透が連れられて行き着いた先は調理室だった。

 入って真っ先に向かったのが脇の料理部部室だった。寺見先生は料理部の顧問だ。

「元気そうだね、透くん」

 着席するなりアリス先生が言う。

 対面に向かった透が元気に「はい」と返事をしながら座る。

「それで、何があったら、そんなに元気に変われるのかな? あっ! 今は担任としてじゃなく、天女の友達のアリスとして訊いてるからね、何も心配いらないから、隠し事はなしだよ」

「そうですか。解りました、アリスさん」

「それで、何があったの?」

「実は……天女の親戚に偶然なんですが同級生がいたんですよ」

「え? 誰よ!」

「千横場奈々さんです」

「あの可愛い子」

「はい。天女の祖父の姪が千横場家に嫁いだらしく、その娘が千横場さんだったんです。だから天女とは再従姉妹だそうです」

「へ~ それで?」

「俺一人じゃ鈴の面倒が見切れないって知ったら、自分がやるって言ってくれて、炊事洗濯掃除を全部やってくれる事になりました」

「それ、押しかけ女房って言うんでしょ?」

「そうですね」

「透くんは、それを受け入れたの?」

「はい、鈴が相当懐いていますので」

「そうなんだ、じゃあ、私の出る幕はもうないのかな?」

「そうですね、千横場さんは、とっても優しくて、明るくて、元気な子で、お陰でこれだけ元気に登校出来る様になりました」

「そうなんだぁ」

「それから、前にアリスさんが料理を作ってくれた事が分かった時なんか、それはもう嫉妬しちゃって、私がいるんだからもう来させないでみたいな態度をとるんです。だから、アリスさんには、家に来る事を、ご遠慮願えれば……面倒臭い事にならなくて済むんです」

「そう…… 本当に彼女が支えに成ってるんだね。それなら、よかったわ…… でも、彼女、毎日来られるの? 年頃の娘を男の部屋へ通わせて親御さんは何も言わないの?」

「今の処は毎日来てますね。それと、母親には了承を得ているみたいです」

「父親は? そこが重要なのよ」

「父親は……判らないです」

「知らないのだとしたら、もしかして、反対させるかもしれないね。そう成ったら、うふふ、私の出番だわ!」

「一応、聞いた話では箱入り娘らしいです」

「そうなんだ~ じゃあねぇ~透くん? 彼女が来れない時には、真っ先に私に連絡しなさい! すっ飛んで行ってあげるから。私ねぇ、鈴ちゃんがひもじい思いをしてるなんて我慢できないのよね、天女に対しても申し訳ないじゃない」

「え! はぁ~」

「私はね、透くんをとやかくしようなんて考えてるんじゃなくて、ただただ、鈴ちゃんが心配なの。だって、鈴ちゃんに不憫な思いをさせると助清が悲しむじゃない。だから、何か用事が出来て鈴ちゃんを預かって欲しい事態が起こったりしたら、何時でも構わないから言って頂戴、面倒見てあげるから。一人でも二人でも大して変わらないんだもん」

「え! それは悪いですよ」

「ダメぇ~ 遠慮なんかしない! これは担任としての命令です」

「それ、完全に職権乱用ですよ」

「何か言ったかな?」

 透はアリスハラスメントに退避ぐ。

「透くんはさぁ、まだ高校生なんだよ。料理や洗濯も満足にできない男の子なんだから、大人の女の私にもっと頼ってもいいんだよ。もっと、甘えてもいいんだよ」

 透がアリススマイルに魅了される。

「それからね、育児放棄なんかしたら、鈴ちゃん取り上げられちゃうよ。そんなの、私、我慢できないわよ! 見てられないわよ! 死んでから天女に合わせる顔がないわよ! 透くん一人になったら、ちゃんとできるの? まともなご飯を食べさせられるの?」

「育児放棄なんか絶対にしませんよ。それに、真面(まとも)とはいかなくても、出来合いを買うとかで何とか食わせていく事はできます」

「出来合い? 鈴ちゃんがそれでぶくぶくの肥満になってもいいの? 鈴ちゃんって結構大食いだよね?」

「そうですね……」

「ここにちゃんとした食事を作れる人がいます。方や、何の材料を使っているのか判らない危ない出来合いの料理を食べさせる人がいます。さあ~ 鈴ちゃんにとってどちらが幸せでしょうか?」

「勿論……」

「もちろん何? よ~く考えてね、天女が託した大事な忘れ形見なんだよ」

 アリスハラスメントが極まる。

「うっ! 解りました。奈々がいない時はお願いします」

「えっ! 今、奈々って言った? 下の名前で呼ぶって、あなた達、そういう関係なの?」

「いえいえ、違います。家には俺と鈴の土夏が二人居て呼びにくいから名前で呼び合ってるだけですから」

「ふ~ん、そうかぁ、一見、筋が通ってるようだけど、それじゃあ、千横場さんを奈々って呼ぶ理由にはなっていないわよね」

「うっ! そうですが、俺達は不純異性交遊なんかしてませんから、信じて下さい」

「あらあら、そんなに慌てちゃって、ちゃんと責任取れるなら別に責めたりしないわよ」

「だから、そんな関係ではありません」

「まあ、それはどうでもいいけど、ご飯作る人がいなくなったら、すぐに連絡すること、解ったわね?」

「はい」

「よろしい。それでは学校側から幾つか確認したいんで、本来の要件に入ります。まずは、授業料。どう? ちゃんと払えるの?」

「はい。両親が残してくれた蓄えがあるので問題ありません」

「解った。それから、透くんは進学だったわよね。大学資金なんかは大丈夫なの?」

「はい。それも蓄えで賄えます」

「そう、じゃあ、今年は受験生だけど、鈴ちゃんの面倒を見ながら受験勉強なんてできないでしょう? どうするの?」

「別に、どうもしませんよ。空いた時間でやるだけです」

「そうよね、やっぱり普通の高校生よりは時間が割けないわよね。それでね、提案があるんだけど、受験が終わるまで、鈴ちゃんを私の家に預けない? 別にお金とかは取らないから」

「へぇ??」 

「そうすれば、たっぷり受験勉強の時間が取れるじゃない。そうすれば、塾にも行けるわよ。あと、ゼミとか色々自分の都合で好きな時に行けるようになるわよ。どうかな、人生の中で高校三年生は今年の一年間しかないんだから、検討する余地はあると思うの」

「そんなぁ~ 鈴を預けるなんて―――」

「遠慮はいらないわ! 本当に迷惑でも何でもないんだから、さっきも言ったけど、一人も二人もそんなに変わらないのよね。何だったら、大学卒業するまででもいいわよ。あっ! そうだ、鈴ちゃん助清のお嫁さんに成りたいって言ってるからさぁ、そのままお嫁に貰っちゃおうかしら、きゃ!」

「ちょっと待って、アリスさん、変な妄想に入らないで下さい。遠慮なんかじゃないんです。はっきり言いますけど検討の余地はありません」

「え! 検討の余地もないの?」

「はい! 鈴は誰だろうが絶対に手放しません! 鈴は俺の娘です。天女の忘れ形見です。例え、自分の時間が割かれようが、娘の為なら何の悔いもありません。それで受験が失敗したとしても、全く悔いはありません。だって、俺の娘なんですから!」

「え! 私、何か勘違いしていたみたい。正直に言うけど、鈴ちゃんって、血縁的には透くんの姪じゃない。実の娘とは違って結構、煙たがっている節が見受けられたのよね。だって、透くん、私が押しかけた時、鈴ちゃんのこと、全く構っていなかったよね。一人で落ち込んでて鈴ちゃんのこと、全く眼中に無かったわよね。私、本当は、毎日にでも行きたかったんだから、鈴ちゃんのこと、育児放棄でもするんじゃないかって気が気じゃなかったんだからね。でも、所詮は他人なんだからって、遠慮しちゃって、今でも凄く後悔してるんだから……鈴ちゃんを、何度連れて帰ろうかと思ったか……」

 身に覚えがある透は、アリスさんの真剣な潤んだ表情に身を固くする。

「それが、どうしちゃったの? 何か別人だよね?」

「確かに……俺は天女を亡くして、絶望を味わって、鈴に全く気を回せる状態じゃなかったです。それを変えてくれたのは、全て奈々のお陰なんです。料理を作ってくれて、洗濯をしてくれて、鈴の精神的養護をしてくれて、そんな奈々の姿が凄く凛々しくって、このままじゃいけない、頑張って生きて行こうって気持ちにさせてくれたんです」

「へぇ~ 透くんは弱ってる処を慰められて、ころっと落ちちゃったんだ」

「別に、惚れた訳じゃありませんよ。俺はまだ天女を忘れてません、天女を愛してます」

「そうかぁ~ でも、その様子だと千横場さんには悪い気はしてないんでしょ?」

「そうですね、如才なく気配りをしてくれて、甲斐甲斐しく面倒を見てくれて、健気に好意を寄せてくれて、本当に有難く思っています。こんなだらしない俺には勿体無いです。だから、何て言うのかな、大事にしてあげたいなとか、無碍には扱えないなとか、出来ることは何でもしてあげたいなとか、期待には応えてあげたいな何て、思ってます」

「ふぅ~ん、ねぇ透くん、それはもう恋だね。相手から好きですって好意を寄せられると、無関心じゃなければ好きになっちゃうてこともあるんだよ。だって、私がそうだったんだから」

「そうなんですか」

「でも、そのあと、結婚まで行くかは、その後の付き合い方次第だけどね」

「何となく解ります」

「それで、もっと言うとね、天女との恋は、もう、記憶だよ」

「え!」

「相手は死んだんだから、もうこれ以上、進展はないんだよ。老人じゃないんだから思い出に生きていく歳でもないんだし、まだまだ若いんだから、次の恋を見つけても良いと思うんだ。天女に義理立てして不倫みたいに考えてたら、天女も喜ばないよ。勝手に天女の代弁をしちゃうけど、天女も草葉の陰で見届けてくれると思うよ」

「そんなのは解っています。天女の性格からしたら、多分、そう言うだろうなってのも理解してます。けど、駄目なんです。そう簡単には忘れられないんです。鈴を見てるとその後ろに必ず天女の影がちらつくんです」

「そうか~ 私ね、形だけはクリスチャンなんだけど、仏教のことも色々研究したことがあるんだよね。その教えの中でね、死んだ人は仏になって新たな修行の旅に出るんだって。それでね、残された遺族が死者のことをくよくよ考えていると、修行の妨げになるんだってさ。これって、結構、理に適(かな)っていると思うんだ。残された者には残された人生があるんだよ。決して死者に左右されるものじゃないんだよ」

「それでも、です。そんなに簡単な事じゃないんです」

「そっかぁ~ ごめんね、酷い言い方しちゃって。ちょっと早計だったかな、ゆっくり考えて行く方が良かったわよね」

 色々厚かましく世話を焼こうとするアリスさんに、透は年上女性の優しに包まれて、お節介を超えた親愛の情にひたひたと癒されていく。

 ドーナツホールをティラミス風味アイスが冷やす。

 天女を謂う透の熱を、冷めろ冷めろと醒ます。

 溶けて残った甘い匂いがドーナツリングを絡め取る。

 天女の残滓に限りなく近づいてくるその匂い。

 透が甘えた笑を湛える。

 アリスがもっともっと甘えろと蕩けた笑を返す。

「千横場さんって、良妻賢母の才能があるのかな? じゃあ、安心して任せられるのかな?」

「あ~あ、私がまだ独身なら、その役目やってあげたかったな~ 透くんって、何か凄く庇護欲が湧くのよね。母性をくすぐられるというか、黙って見ていられないのよね」

 透が言う。

「天女、妊娠してたらしいんです」

「え!!」

「死んでから見つかったバースデイカードにその事が書いてありました。胎児の写真もありました。本人の口からは聞けませんでした。天女と一緒にいなくなっちゃいました。俺と天女の子が一時ですがこの世に存在していました。俺、本当の父親になったんです。残った鈴がお父さんて抱きしめてくれました。鈴がその子と重なりました。その子の魂は鈴の中にいます。だから……鈴は、俺の本当の娘なんです」

 アリスは口を手で覆って絶句する。

 甘えた透の口からぽろぽろと飛び出した娘に変わった真の経緯。

 吐き出した透は悲しみを隠さない。

 アリスが震えながら言う。

「そ、そんな悲しみまで……抱えてたの?」

 アリスが立ち上がり、透の目前に迫る。

 透に覆いかぶさり頭を胸に掻き抱く。

「透くん、あなたは凄いね。その歳で精神的に立派な父親になっているんだ。男は子供ができると、人生の迷いがなくなるって言うけど、そんな感じなのかなぁ…… 鈴ちゃん、透くんの本当の娘になったんだね」

 アリスが透の頭に手を伸ばすと、撫で始めた。

「偉い偉い! よく頑張ったね」

 透から嗚咽が漏れる。

 透は何故か、全く似ていないアリスさんに、天女に抱擁されている様な錯覚に包まれた。

 

 次に連れて行かれたのは事務室だった。そこが本来の目的地であったらしい。

 透は次々と色々な手続き書類を記入させられた。今までは天女が保護者だったから、既婚者の本人に書き換える。引き落とし口座も自分になるが、印鑑がなかったから、そこだけ後日に回す。

 特に結婚した事で必要な書類はなかった。死別したし、苗字が変わった訳でもないからだ。緊急連絡用の書類で鈴が姪から子に変わったくらいだ。

 渡された文書に年間行事スケジュールやクラス名簿等があったので、ざっと目を通す。

 最後に教科書等の文具と名札、生徒手帳を受け取る。体操服、上履きは継続使用で構わないと説明される。

 会計は見越して多めに持って来たので、そのまま支払う。

 寺見先生がお金の事を言うのを忘れてたと可愛く謝る。何故か立て替えるつもりだった様だが。

 そこまで分かっていたのに、銀行印の件は本当に忘れていたと言う。

 如才なさそうな完璧女教師が慌てる様が、とても可愛い気があり新鮮だった。


 透は教室に戻る。

 一時限目の途中だった。教科書を抱え教室の後ろから入る。

 真っ先に奈々と目が合った。何かを訴えたい視線だ。

 真音と幹太も見ている。何か嫌な雰囲気が伝わる。

 当然、出席扱いにしてくれていた授業は静かに片付けをしている内に終わった。

 透が奈々を見ようと振り向く。

 何か言いたそうだった奈々はこちらに来れなかった。

 それは、土夏透の初登校に女子生徒の自己紹介の洗礼が待っていたからだ。

 走って集まる女子生徒の群れが透を取り囲む。邪魔扱いされた周辺の男子生徒達が追いやられる。

 十一人が取り囲む。

 さながら女子サッカーチームの様にフォーメーションを組んでいる。

 唐突に、チームスイーツのスターティングメンバーの発表が始まった。

「伊達(だて) 麻紀(まき)で~す」

 GK/元気あふれる健康美女、とっても可愛い。

「町家(まちや) 千代子(ちよこ)です、よろしくね」

 CB/色気があってとっても綺麗なお姉さん。

「護摩符(ごまふ) 凛(りん)です。よ、よろしく」

 CB/目の下のほくろがチャームポイントでとっても可愛い。

「瞑安堂(つぶあんどう) 菜津(なつ)です」

 SB/少し太めの度ブス、ちっ!

「郡(こおり) 梓季(あずき)です、今年一年よろしくぅ」

 SB/突き出したアヒル口がとっても可愛い。

「前財(ぜんざい) 萌奈香(もなか)です。よろ~」

 DMF/ギャル風のイケイケお姉さん。

「今川(いまがわ) 欅(けやき)です。よりピク」

 DMF/団子っ鼻をぴくりとさせて可愛い。

「鉈手(なたで) 心(こころ)です、ココちゃんって呼んでね~」

 OMF/小柄で小動物の様、とっても可愛い ココちゃん<ココにゃん。

「羽仁(はに) 華照(かてら)よ」

 WG/双子の片割れ、メガネが似合う、とっても可愛い。

「羽仁(はに) 主照(すてら)よ」

 WG/同上。

「萬豪寺(まんごうじ) 由礼(ゆれ)、よろしくお願い致します」

 CF&キャプテン/良家のお嬢様風、とっても可愛い∧綺麗∧奥ゆかしい。

 透は主観で第一印象を心の中で垂れ流す。

 内心では勢いに戸惑いながらもポーカーフェイスを維持している。

 勿論、名前など憶える気もない。

「ご丁寧にどうも、二十七番・土夏透です。今年一年、よろしく」

 キャプテンが言う。

「私くし、今年度の委員長をすることになりました。何かお困りでしたら何なりとご相談してくださいね」

「あ、はい」

 キャプテンの代表挨拶を皮切りに周りが一斉に話しかける。 

「土夏君は彼女いないの?」「土夏君は彼女作らないって本当」「今、付き合っている人いますかぁ~」「土夏君って、ホモなの?」

 透は怒涛の全員攻撃に退避ぐ。

 その時――― 

 スタジアムにチームドーナツからサポート選手があらわれた。チョコバナナの登場だ~!

 堅いフォーメーションにカウンターを仕掛け、破って入って来たのは奈々。

「ちょとお~ 千横場さん?」

 奈々が透の目前に割り込む。

「おはよう、と・お・る・くん」

「へ? 挨拶はもうしたよね?」

「透くん」

「え~とぉ」

「透くん!」

 名前呼びは家でだけの筈じゃなかったのかと思いながら、仕方なく返した。

「はい……奈々さん」

「透くん!」

(あ! これ、正しい答えをしないと、無限ループのパターンだ)

「奈々」

「はい!」

「おはよう 透くん」

「おはよう、奈々」

 周りが一斉に静まり返る。

 スイーツイレブンの後ろから眺める観客達までも。

 気が付くと、クラス全員の視線が集まっていた。

 恐る恐る、キャプテンが言う。

「千横場さん? これはどう云う事なんですの?」

 奈々が振り返り後ろ手に透を掴む。

「透くんの……彼女になりました!」真っ赤な女の子、奈々。

 教室中が響(どよ)めく。

「土夏君、本当なの?」

「ああ、そうだよ」

 萬豪寺由礼が崩れマンゴージュレになった。

 嫉妬の嵐が舞う。

 女は二大美人の奈々に対して、男は二大イケメンの透に対して。

 スイーツイレブンは一斉にスタジアムから去っていった。

 奈々が透の手を引いて廊下に出る。

「突然、ごめんね」まだ顔は赤い。

「どうしたんだよ、奈々」不快な顔で言う。

「実はね、バレちゃってたの。真音以外にあの日目撃していた生徒がいたの。だから、もう手遅れなんだ。詳しい話は後でするね」

「そう云う事か……解った」

 透と奈々が教室に戻ると、少し静まった場に一人の女子生徒の言葉が響く。

「あの二人ならお似合いのカップルじゃない」真音の声だ。

 影の委員長の声に皆が納得した顔になる。

 嫉妬の雰囲気が賛同の雰囲気に変わる。

 席に着いた奈々に真音が話しかけた。

「奈々どうしたの、今日は凄く積極的じゃない」

「わたし、腹を括ったんだ」

「え、なして、指を咥えて見てただけの奈々は、奈々は何処に行っちゃたの?」

「女子三日会わざれば刮目してみよ、だよ」

「それ、男子だから」

「しょうがないじゃない。わたしの男子は一週間も女々しかったんだから」


 次の休み時間、違うクラスの女子生徒までが透の所に来る。

 勇者が現れた。勇者は二人の共を引き連れていた。

「千横場さんと、付き合ってるんですか?」勇者がいきなり先制攻撃を放つ。

 透は天女一筋で全く学校の女子に興味がなかった。だから名前も覚えてない。

「いきなり初対面で、失礼じゃない? それより君は誰?」透がひらりと避ける。

「生唐(なまから) 萌瑠(める)です。キラキラネームは親が勝手に決めたことなので、私に責任はありません」

 序でにと二人のお供も自己紹介した。

「薄川(うすかわ) 安寿(あんじゅ)です」

 勇者パーティの僧侶かな?

「安間(あんま) 華音(かおん)です」

 こっちは魔法使いか、いや遊人だ。

 透は淡々と答える。

「付き合ってるよ」会心の一撃。

 勇者パーティは逃げ帰った。


 またまた次の休み時間。

 透は奈々に連れられて塩幡久月に弁明をさせられる。

 証人となり喚問の席に立たされると、弁護人奈々がこれまでの経緯を説明する。

 真音は透へ一任させる腹積もりなのか、黙って傍聴席にいる。

 隣には同じく幹太。

 その後ろには傍聴を装う新聞記者。何食わぬ顔で予習をしている女子生徒は、朝に必死とメールしていた郡梓季だった。梓季お姉ちゃんは耳をそばだてる。 

 透は淡々と供述する。

 但し、天女は妻ではなく姉として、奈々はその再従姉妹で真音はそれを気にかける親友と云うのは事実のまま。少女の鈴は遺児で、奈々がその面倒を見てくれていたのを、丁度あの場所で見かけたんだと説明する。 

 透は思う。

 ―――別に奈々と付き合っていると公言する必要はなかったのではないか。

 ―――密接な関係は親戚だからと云う理由だけで充分だったのではないか。

 ―――本当の奈々は、もしかしたら腹黒いのではないのか。

 ―――否、奈々に限ってそれはないだろう。勘違いか早とちりか、少し天然な処があるし。

 奈々がスッキリした顔で言う。

「その子、鈴ちゃんって言うんだけど、血のつながりがあるから、よく似てるって言われるのよ」

 判事の塩幡久月は納得したと頷く。

 と思われたが、質問が帰る。

「それで、倉瀬さんが泣いていたのは何で?」

 この件に関しては透に答える義務はない。否、答えられない。逆にその事実を初めて知って、こちらが知りたい程だ。

 透と真音の席が入れ替わり、今度は透の側が傍聴席になる。

「私、泣いてなんかいないよ」真音は全面否定する。

「え! あれはどう見ても泣いてるように見えたよ?」

「あっ! 思い出した。丁度、目にゴミが入ったんだった。だから、多分それを勘違いしたのよ」

「でも、普通、目にゴミが入ったら、擦ったりするんじゃないの? 拭う仕草もしてなかったけど?」

「私は目に傷がつくから、擦らない様にしてるの」

「そ、そうなんだ」

 真音にしては在り来たりで無理があると言えなくもない言い訳だ。

 透は思う。

 ―――真音の強引な言い訳に泣いていた事は真実ではなかったのか。

 ―――あの嫌われ劇は道化で、心では泣いていたのではないか。

 ―――あの時から、真音は透に好意を寄せていたのではないか。

 ―――透の悲しみに対する共感は、知ったか振りなんかではなかったのではないか。

 ―――真音は、やっぱり本当に優しい子なんだ。

「それでは塩幡君、沢出さんにはちゃんと説明しておいてよね」

 等々、判事にもなった真音が、判決を言い渡す。

 丁度、四時限目の教師が現れる。

 塩幡久月が強引に納得させられた形で弁明は終わる。

 奈々が確固とした恋人の席を確保した結果が燦々(さんさん)と残った。

 

 そして、昼休みを迎えた。

 奈々の導きで透は真音の宴に参加する。

 透を誘おうとした幹太は、真っ先に動いた奈々に察して何処かへ消えた。

 一人知らない女子生徒が真音の隣で待っていた。

 真音が紹介する。

「こちらは衣地(ころもち)さん。奈々とも仲がいいのよ」

「衣地杏(ころもちあん)です。土夏君、よろしくお願いします」

 そばかすが目立つ顔に照れながら、赤毛おさげの髪を揺らし、丁寧に頭を下げる。

「よろしく、衣地さん」

 隣の奈々が弁当を取り出すと透に渡す。

「はい、ど~ぞ」新妻の笑みを浮かべる。

「ありがとう、奈々」受け取る透に、周りから痛々しい視線が刺さる。

「本当に付き合ってるんだ」杏が茶化す。

「そうなの、付き合ったばかりだから、報告もできなくてごめんね」奈々がウキウキと答える。

「そんなこと、気にしなくていいよ」

 紹介が終わると、一斉に弁当箱を開帳する。

 奈々の作った弁当は彩が鮮やかで立派だった。若干昨日の残りの唐揚げも見える。基本奈々と同じだったが一点だけ違う箇所がある。透の分だけハート型に切り取られた人参が散りばめられている。

 奈々が悪戯を仕掛けた様に笑う。

 透が苦笑いを返す。

「凄い、奈々。頑張ったじゃない」真音の賞賛。

「とっても綺麗。宝石箱みたい」杏の誇張。

 そんな二人の弁当箱はとても質素だ。

 真音の弁当は茶色一色だ。肉巻き野菜とか揚げ出し豆腐で手間が掛かりそうな物ばかりだ。

 杏の弁当は―――何だかわからないおかずが一品のみでとても小さい。

 透は思う処を飲み込んで箸を取る。

 その思いを汲んでくれたのか、奈々が質問する。

「杏ちゃん、それはなに?」

「これは、蕎麦粉を練って揚げたものなの」

「ふ~ん、美味しそうだね。そういえば、杏ちゃんの実家はお蕎麦屋さんだもんね」

「え? そうなんだ。俺、蕎麦大好きだぞ。今度、食べに行かせてよ」

「ごめんなさい。今、お父さんの調子が悪くて休業中なんだ」

「そうなんだ、それは残念だな」

 暗い間が一瞬過ぎる。

「じゃあ、元気になったら皆で行くか?」

「やったー! 透くんの奢りだ」真音が調子に乗る。

「もちろん、鈴ちゃんも一緒だよ~」奈々も乗る。

 鈴が出てきたので、透は駄目と言えなくなる。何が倹約家だよと恨みながら。

 奈々が沈黙は肯定だと頷く。

「鈴ちゃんって?」

「あっ、透くんの―――」

「俺の娘だよ。亡くなった姉の子で五歳の女の子なんだ。今、俺が引き取ってる」

「え~! 土夏君、子育てしてるの!」

「ああ」

「ご飯とかはできるの?」

「そ、それは―――」

「わたしが作りにいってるの。それが付き合うことになった馴れ初めなんだ」

「ふ~ん、何か、もう夫婦みたいだね。阿吽の呼吸でお互いが直ぐにフォローし合ってるし」

「え?」土夏夫婦が被る。

 お互いが見詰める。奈々は嬉しそうに。透は気まずそうに。

 真音が言う。

「ほら、皆んな早く食べないと、休み時間終わっちゃうよ」

 特に遅い奈々は、しかし、気分上々でおしゃべりを止めない。 

 奢りの返礼と云う訳ではないが、奈々がもう一つの透の思いも汲んでくれた。 

「真音もすごく美味しそ~」

「でしょ? どう透くん、私のお弁当も欲しくなっちゃった?」

 真音まで透の思いを汲んできた。

 隣の奈々が泡を食っている。

「え! 真音ちゃんも付き合ってるの? 今、透くんって言ったよね?」杏は別の意味で慌てる。

「あっ! それね。付き合ってる訳じゃないけど、奈々の親友じゃない、だから、私のは親愛を込めてって処かな」

「そうなんだ、びっくりした~ 二人同時に付き合ってるのかと思っちゃった」

 無難な答えの真音に、透は安堵した。

「そうだよね~ 付き合ってる奈々ちゃんが許す訳ないもんね」

「そ、そうね」奈々が曖昧に肯定する。 

 返答を誤魔化せたと思っていた透に、真音が言う。

「それでどうよ? 私のお弁当、ほしい?」

 誤魔化せていなかった。本心を言う訳には行かない透が苦し紛れに言う。

「機会が有ったらな」

 真音が意味ありげに微笑む。

 隣の奈々が割を食う。

 その後は女三人が取り留めのない話で弾む。

 気が付くと透の弁当箱は空になっていた。

 奈々は半分も進んでいない。泡や割を食っていたからと云う訳ではないだろう。

 真音と杏も大差ない。

 少し苛々(いらいら)しながら眺める透に、何故か奈々の二人で三人の言葉が過ぎる。



 

ナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナ

 

 


 奈々には周りから偵察する様な視線をひしひしと感じていた。

 隣で嫉妬の泉を囲む井戸端がある。

 女四人は以下のメンツだ。

「矢田(やだ) 環那(かんな)」

「今市(いまいち) 依音(よね)」

「宇佐美(うさみ) 瑞希(みずき)」

「塩田(しおだ) 麻里(まり)」

 話の内容こそ聞こえないが、いやらしい視線が時折注ぐ。

 離れた処にも有った。

 嫉妬の炎が燻っている。

 その焚き火を囲む囲炉裏に炎が影を具現させる。

 そこに参加しているのは以下四名の男。

「原井(はらい) 泰蔵(たいぞう)」

「久佐(くさ) 一平(いっぺい)」

「阿部(あべ) 礼司(れいじ)」

「瀬羽(せは) 卓郎(たくろう)」

 透を睨む視線が、また、いやらしい。

 奈々は努めて平静を装う。

 なかなか弁当の中身が減らない奈々。

 仙人奈々は霞を食う。

 透の弁当は既に空だった。

 それを待ってた様に一人の女子生徒が近づいて来た。

 奈々が顔を向けると、郡梓季だった。

 自分の席に戻るのかと思ったら、どうやら違うらしい。後ろに女子生徒二人を引き連れている。

 奈々の学校は一目で学年が判る。制服のネクタイの柄が違うのだ。奈々達三年はシルバーに青の斜線が一本、二年は二本、一年は無地だ。今の三年が卒業すると新入生が一本線になると云う塩梅だ。

 後ろの二人は無地だから一年生だ。

 郡梓季が透の後ろに立つと声を掛けた。

「土夏君、お食事はもう終わった? ちょっと合わせたい人がいるんだけど、今、いい?」

「ああ、構わないよ」透が振り向く。

 郡梓季の後ろから一人の一年生が前に出る。

 透の顔が驚愕に変わる。

「緒乎奈!」透が呟いた。

「お久しぶりです、透先輩!」 

 透は緒乎奈の手を取り教室を飛び出して行った。

 緒乎奈の名が奈々の頭の中を響き渡る。

 奈々は立ち去る二人を、呆然と眺めるしかできなかった。




トトトトトトトトトトトトトトトトトトトト




 人気(ひとけ)のない処を探して辿り着いたのは、屋上の隅。無人ではなかったが充分距離は離れている。

「あっ! ごめん」透が慌てて手を離す。

「ううん、昔は平気で繋いでくれたじゃないですか」手を胸に抱え、顔を赤らめる。

「そうだったな。それより、緒乎奈はこの学校に入学してたんだ、知らなかったよ。緒乎奈の学力でよく入れたな?」

「ひど~い! 透先輩、ひどいです。私、必死で受験勉強したんですから」

「そ、そうか。それは御苦労様」

「ご苦労さまって、透先輩と同じ高校に行きたいがために、本当に命懸けで頑張ったんですからね」

「そ、そうなんだ」

「そうですよ。真っ先に報告しようと思ったのに、一週間も来ない―――」

 緒乎奈の勢いが急に削がれた。

「そ、それでですね…… 天女お姉ちゃんが死んじゃったって、本当ですか?」

「ああ」

「な、何で死んじゃったんですか?」

「何でって、病気だよ」

「何の病気だったんですか?」

「くも膜下出血」

「そ、それって、突然死ってやつですよね」

「そうだな」

「くぅ、苦しんだんですか?」

「否、多分、そんな事はなかったと思う」

「そうですか。さすがに何故連絡してくれなかったのとは言わないですけど、せめて、お線香くらいは上げさせて下さい」

「そうだな。緒乎奈と天女は一時期とは云え、姉妹の様な関係だったもんな。解った、今度家に来てくれ」

「ありがとうございます、透先輩。それじゃあ、連絡先、交換しましょう」

 緒乎奈がスマホを取り出し操作すると、突き出した。

 透も倣う。

 終了すると、緒乎奈の待ち受け画面が目に入る。見せびらかす様に目に入る。

 透と緒乎奈のツーショット。場所は土夏邸。撮ったのは確か天女。

「先輩は、まだ、天女お姉ちゃんのこと、好きなんですか?」

「ああ」

「死んじゃっても?」

「ああ」

「そうなんですね、私が振られてからは……どうなったんですか?」

「……最初は、相手にされなかった。兄貴が忘れられないって、告白は断られた。一年掛かったかな、やっと恋人同士になれたのは。死ぬまでの二年間は本当に幸せだったよ」

「良かったです、幸せになれたんですね。私も、振られ甲斐があったってもんです」

「振られ甲斐って…… あの時はごめんな、緒乎奈」

「嫌です! 謝らないでください。私が惨めになるだけですから。それに、天女お姉ちゃん、なら、諦めもつきました」

「そうか、緒乎奈はその後どうしてたんだい?」

「私は、なんとか生きてます」

「……」

「諦めたなんて、嘘です。本当は全然、諦めがつかなくて、透先輩が院叡寺に入ったって聞いて。なら、私も追っかけようって、それしか考えられなくて、無我夢中で勉強して、気がついたら学年十位にまでなっていました。一年の時は百位だったんですよ、私、凄いですよね。私、やればできる子だったんです。どうです先輩、頭を撫でてくれたっていいんですよ?」

 緒乎奈は尻尾を生やし盛大に振る。

 感心した透は鈴を撫でる様に、無意識に緒乎奈の頭を撫でた。

 本気にされた緒乎奈は唖然と赤面し、上目遣いに見詰める。

「頑張ったんだな。それで元気になったんなら、何よりだよ」

 緒乎奈が手を払う。

「いいえ、全然、元気なんかじゃありません! ポッカリ穴は空いたままです」

 透の酷い勘違いに緒乎奈は尻尾を毅然と立てる。

「やっぱり、そうだよな…… 今の俺なら、その気持ち痛い程解るよ。俺も、天女の穴がポッカリ空いてるからな」

「それなら! じゃあ、透先輩。二人で穴を埋め合いましょうよ。私、何でもしますから……」

「そんな簡単に、女の子が何でもしますなんて言っちゃ駄目だろ」

「なに言ってるんですか。全然簡単になんかじゃありません。至って本気です」

「そ、そうか…… 緒乎奈は、まだ、俺の事、好きなのか……」

「相変わらず、思い込みが激しいですね」

「え? 違うの?」

「いいえ、違ってません。けど、違います」

「どっちなんだよ」

「わたし、透先輩のこと、好きじゃないです」

「そうか」

「いいえ、好き、じゃないんです。大好きなんです!」

「……」

「わたし、振られてから気づいたんです。好きなんてものじゃなかった、大好きだったんだって」

「……」

「多分、この世の女の中で、透先輩のことが好きだって言う思いは、私がぶっちぎりで一番だと思います」

「……」

「私が振られた理由、覚えてます?」

「ああ」

「天女お姉ちゃんの方が好きだからでしたよね」

「ああ、そうだ」

「じゃあ、天女お姉ちゃんがいなくなったんですから、よりを戻しましょうよ」

「簡単にいなくなったなんて、言うなよ」

「ご、ごめんなさい……」

「実はな、俺と天女、結婚したんだ」

「え~っ! 結婚!」

「俺の誕生日、覚えてるだろう。十八になったその日に籍を入れた」

「四月六日ですよね。えっ! 天女さん死んだのって、いつですか?」

「四月七日だ」

「うっ! たった一日……」

「天女に対する思いはそれだけ重かったんだ、だから、躊躇わず結婚した」

「……」

「死んだからって、簡単には消えたりしないんだ。だから、簡単に縒(より)を戻そうなんて言わないでくれ」

「そんな…… わたし、簡単になんて思ってません。だから、なんでもするって言ったのに……」

「だから、他の女の事なんか、今は、全く考えられない」

 緒乎奈が透を見詰める。

 その眼光が射すくめるように変わった。

「もう一度訊きます。先輩は、まだ、天女お姉ちゃんのことが好きなんですよね?」

「ああ」

「じゃあ、千横場奈々さんと付き合ってるって、どう言うことなんですか!」

「……」

「答えてください」

「……」

「もう、美男美女のカップル誕生って、噂になってますよ」

「そうか……」

「騙されてるんですか? 弱みを掴まれてるんですか? そうとでも考えないと可笑しいですよね?」

「そんな事はない」

「じゃあ、好きなんですか? 千横場奈々さん、美人ですもんね、私と違って。ころっといちゃったんですか? そう言えば、なんとなく天女お姉ちゃんに似てますもんね!」

「そう云う事じゃなくて、何となく成り行きで、いつの間にかそうなっちゃったんだよ」

「なんとなく!? そんなことで付き合ってるんですかぁ? ちゃんちゃら可笑しいです。それなら、私とだって問題ないですよね?」

「否、何となくじゃなくて、運命的な出会いだ」

「え! なにそれ?? 透先輩からそんな言葉がでるなんて」

「それに、俺には、緒乎奈を好きになる資格はないよ」

「なに訳の分からないこと言ってるんですか。はいと言ってくれれば、私は成就するんですよ。そんな資格なんて問う訳ないじゃないですか」

「そうじゃない、俺の方の問題だ。俺の心の問題なんだよ」

「もっと、訳が分からないです。結局のところ、なにが言いたいんですか?」

「俺は、緒乎奈と付き合うに値しない、最低な男だって事だ」

「な~んだ、そんなくだらないことですか。私は全然気にしませんよ。何も知らない昔の無邪気な少女とは違うんですから」

「そこだよ、俺が気にしてるのは。結果的に、幼気(いたいけ)な少女を騙したみたいな形になったんだ、責任を取ってあげたい気持ちで一杯なんだ、本当だったら緒乎奈に会わせる顔もないんだぞ」

「だから、くだらないっていったんです。先輩だってその時はいたいけな少年だったじゃないですか。だから、それはお相子(あいこ)です」

「そうか、そう思ってくれたんなら、少しは気が休まるかな」

「それじゃあ、責任取って下さい」

「え?」

「千横場さんと別れて、わたしと付き合って下さい」

「なぁ!」

「私の方が、透先輩の穴を埋めることに向いてると思うんです。ぱっと出のどこの馬の骨か分からない人よりも、先輩を知り尽くしてる私の方が、ずっと適任だと思うんです」

「否、それは違うな。奈々は着々と俺の穴を埋めていってくれてるよ」

「な、なんでよ~そんなの嘘です。私だったらもっと上手にできる筈です」

「緒乎奈、もう遅いんだ、遅かったんだ。今更、奈々とその役目を交代しても、例えもっと上手だとしても、俺の気持ちは既に奈々に傾いていて、誰かに代わって貰おうなんてこれっぽっちも思わないんだ。だから、奈々と別れて緒乎奈と付き合うなんて、もう無理だ」

「そんなぁ……」緒乎奈が驚愕に目を見開く。

 その目にみるみる涙が貯まる。

「なんでですか! なんで私のとこに来てくれなかったんですか!」

「天女さんいなくなったんなら、それ、私の役目ですよね?」

「私じゃいけなかったんですか!」

「……わたしじゃ、いけないの?」

 涙を零して、運命を呪う。

「わたし、必死で追いかけてきたのに、天女さんに負けない女になれるように、がんばってきたのに、大人の女になったら、振り向かせられると思って、がんばってきたのに……」

「緒乎奈偉いぞって、褒めて欲しかったのに……」

 ぽろぽろと零して、本音が漏れる。

「わたし、どうしたらいい? 何度忘れようとしてもダメだったんだよ、どうすればいいの?」

 緒乎奈が縋る目を向ける。あの時と同じ―――

 透は無言で佇む。

 緒乎奈が呟く。

「なんで、なんでなんだろ…… わたしが好きな人って、なんでもう相手がいるんだろう。なんで私が好きになる時って、もっと好きな相手が邪魔するんだろう……」

「ねえ、透先輩……わたし、どうしたらいいか、わかんないよぉ……」

 透は無言で佇む。

 何とか言うべき言葉が見つかった。

「緒乎奈の事が好きだったのは、嘘じゃなかったよ」

「好き、だった……」

 緒乎奈の尻尾がしな垂れる。

 見回りの先生が屋上に現れた。昼休み開放時間の終了だ。

「ゴミはちゃんと片付けてるな。放置してたら、即、使用禁止だからな」

 追い払う無常な声が三年前の二人を掃う。

 退場する生徒の後ろを二人は無言で連なる。




ナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナ




 奈々は緒乎奈の件に一切触れなかった。

 それよりも放課後になるまで会話もしていない。

 戻った透の雰囲気が絶望的に暗かったからだ。近寄るなオーラがありありと伝わってくる。

 奈々は何となく判っていた。告白は振る方だって辛い。特に人が良さそうで悪からず思っていた人なら尚更だ。勿論、振られた方がもっと辛いんだが。そういう経験を幾度となくしてきた奈々には、透の気持ちを察するに有り余る。まさか、透が告白して振られた何て、絶対に有り得ない事だろう。

 加藤緒乎奈ちゃんの件の詳細は、久里洋君から先の休み時間に聞いていた。家族公認の仲だった事まで。それ程の仲だった二人だ。気を配るのは仕方ない事だろう。

 真音は早々と部活へ行った。これからの行動は既に打ち合わせ済だ。

 奈々が透の席に向かう。

 努めて明るく声を掛ける。

「透くん、それじゃあ、帰ろっか」

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