22.新王太子の婚約者

アマーリアが王宮に上がるのは久しぶりだった。


 アドリアンから婚約破棄を言い渡された日以来なので、十日と少し前になるのだがもう何年ぶりかに訪れたような気がする。


 屋敷からの馬車のなかで、父公爵の存在を想像力でいないことにして、「ラルフと二人っきりの馬車の旅」という幸せな空想に浸っていたアマーリアだったが、王宮に到着して、その青と白のタイルで美しく飾られた床に足を踏み入れた瞬間、現実にかえった。

 

 馬車寄せにはすでにラルフの父であるクルーガー伯爵の馬車も止まっていた。

 馬車から降りてきた伯爵は、床のタイルの色に負けないくらい真っ青な顔をしていて、ラルフが手を貸さなければ危うくステップを踏み外して転げ落ちるところだった。

 

 無理もないだろう。父の公爵はともかく伯爵という身分では国王陛下の御前に出て、直々にお言葉を賜ることなど普通はまずない。


 しかも「娘が一方的に婚約破棄をされた被害者」であるクレヴィング公爵とちがって、クルーガー伯爵の立場は「王子の婚約者であった令嬢と、婚約が破棄されるがはやいかあっという間に婚約した男の父親」という実に微妙な立場なのだ。


 顔面蒼白になり、冷や汗が止まらなくても無理はない。

 伯爵がそんな立場に立たされたのも、もとはと言えば自分が引き起こしたことなのだと思うとアマーリアは申し訳なかった。


 王の間は人払いされて他には誰もいなかった。


 四人は順番に御前に進み出て礼をした。


 クレヴィング公爵と伯爵はそれぞれ身分に応じた貴族の例をし、ラルフは剣を両手で捧げる、騎士の最敬礼をした。


(ああ、かっこいい……)

 思わず見惚れてしまっていたアマーリアは、国王に

「いかがした? クレヴィング嬢」

と声をかけられてはっと我にかえった。


「も、申し訳ございません」

 慌てて貴婦人としての最敬礼である両膝をつき跪く形の礼をしたが、ふと見ると父が恐ろしい顔で睨んでいた。

 その顔を見たクルーガー伯爵が睨まれたアマーリア本人よりも震えあがっている。


「そんな顔をするな。ギルベルト。今日は余の方が謝るためにリアに来てもらったのだから」

 

固くなっている一同の緊張をほぐそうとしてか、国王が優しい声で言った。


「いいえ。滅相もございません。陛下。本日は我が娘の軽挙のせいで陛下と王家に多大なる御迷惑をおかけしたお詫びに参上いたしました。その席でまたさらに今のような失態をお見せするなど、父親として恥じ入るばかりです。申し訳もございません」


 深々と頭を下げる父の後ろでアマーリアもまた床に髪の先がつきそうなほど深く頭を下げる。


「もう良いというのに。まったくおまえは昔から頭が固い。クレヴィング公爵家からの詫びは今の言葉ですでに受けた。ここから先はアドリアンとアマーリア、互いの父親同士として腹を打ち割って話そうではないか。学生の頃のように。そう思って人払いをしておいたのだ」


 国王の言葉にクレヴィング公爵は、その鋭い目に涙を浮かべた。

「もったいなきお言葉にございます」


「リア。こちらへおいで」

 国王がアマーリアを手招いた。

 アマーリアが側へ行くと国王は手を伸ばして、子どもにするように淡い金色の髪を撫でた。


「この度はアドリアンが本当にすまぬことをした。皆の前でそなたの名誉を穢すようなことをしただけでなく、以前から随分とつらくあたっていたようだな。父として詫びを言う」


 アマーリアは慌てて膝をついた。

「そんな。とんでもございません。私こそ殿下のお心に叶わず国王陛下、王妃陛下のこれまでのご厚情を裏切ることになってしまい、申し訳ありません」


 国王は優しく首を振ってアマーリアに立つように言った。


「そなたは何も悪くない。非はすべてアドリアンとあれをあのように育てた余にある。許せとはとても言えぬ。勝手なことを申すようだが、せめて幸せになって欲しい」


 そう言うと国王は、後ろに控えているクルーガー伯爵に視線を移した。


「クルーガー伯爵」


「ははっ!」


「この度は王家の不始末でそなたにも随分と厄介をかけることになった。クレヴィング嬢をよろしく頼むぞ。そなたの誠実な人柄は耳にしておる。アマーリアのことを頼んだぞ」


「はっ。命に代えましても!!」

 クルーガー伯爵が床に平服せんばかりにして言う。


「そしてラルフ・クルーガー」

「はっ」


「アマーリアは我が親友ギルベルト・クレヴィングの娘にして、余も王妃も我が娘同然に思うておる。出来ることならば手元に置きたがったが、こうなっては仕方がない。不肖の息子にかわってアマーリアを世界一幸せにしてやって欲しい」


 ラルフは右手を胸に当てて深々と頭を下げた。


「畏れ多きお言葉。陛下のご恩情を胸に刻みます。このラルフ・クルーガー、陛下の御前にてアマーリア嬢を生涯かけてお守りし、終生その幸福のために尽くすことをここに誓います」



 両手を口に当て、真っ赤になっているアマーリアを見て国王がにやりと笑った。


「未来の婿殿はこう申しておるがアマーリア。そなたから言うことはあるか?」


「あの、もっと、落ち着けるところで心の底から噛みしめたいので、後ほど、声を大にしてあと三十回くらい言って欲しいです……」


 思わず言ってしまってから、国王の笑い声と父公爵の


「おまえというやつは……」


といううめくような声ではっと我に返ったアマーリアは真っ赤になって顔を覆った。


「申し訳ありません。つい」


「だそうだ。ラルフ・クルーガー。屋敷に戻ったら三十回。婚約者どのの耳元で言ってやれ。これは王命だ」

「は……はっ」


 ラルフも耳まで赤くなって頭を下げる。

 先ほどまで石像のように固くなっていたクルーガー伯爵も思わず吹き出し、国王への謝罪、挨拶、婚約報告の場は思いのほか、和やかな雰囲気のうちに進んでいった。



「それで挙式はいつ頃を予定しておるのだ?」

 しばらく歓談したあとで、国王が尋ねた。


「は。本来ならば数年の婚約期間をおくところですが事情が事情ではありますし、遅くとも来年の春頃までにはと考えております」


「そうか。それでは今度の立太子の儀とその後の祝宴には二人で出席するといい。ちょうど良い披露の場になろう」


 

 第二王子エルリックを王太子とする立太子の儀は、約一か月後の銀の月の10日に行われることがすでに決まっていた。


 アドリアンが本当に廃位されたことが改めて実感されてアマーリアは複雑だった。

 

 誰よりも注目されることが好きで、自分が人の中心にいないと気がすまない性格だったアドリアンが、弟王子にその座を譲ることになり、どんな思いでいるだろうかと思うと心配だったが、自分はもう彼のことを心配する立場にはないと思いなおす。


 アドリアンもそんなことは望んでいないだろう。

 彼も、親に決められた許嫁ではなく、真に愛する人と歩んでいく人生を選んだのだ。


 そのおかげで自分とラルフは結ばれることが出来たのだからと、アマーリアは感謝さえ覚えていた。



「その件でギルベルトに相談したいことがあったのだが良いかな?」

「は。私で良ければ何なりと」


 国政に関わる話になるならばと、クルーガー伯爵は自分たちは退室しましょうかと申し出たが国王は、


「良い。そなたたちにも少なからず関わることだ。一緒に聞いて欲しい」


 と言った。


「実は、立太子と同時にエルリックの婚約発表をしようと考えておる。王太子位移譲の経緯が経緯なだけにな」


「慶事を同時に発表して祝賀ムードを盛り上げようというお考えですな。良いと思います」

 クレヴィング公爵は頷いた。


「婚約者候補は、最終的に三人ほどに絞られてあとはエルリック殿下とロザリー王妃のご意向次第と聞き及んでおりますが」


「ああ。それが決まった。ザイフリート公爵家のカタリーナ姫だ」



「ザイフリート家の……」

 クルーガー伯爵が、はっと顔を上げた。


 ザイフリート家は、現在は伯爵の妻エリザベートの兄のニコラスが当主となっている。


 カタリーナはエリザベートには姪にあたる。

 妻の姪が、未来の王妃ということになれば確かにクルーガー伯爵家にもおおいに関係のあることだった。


 クレヴィング公爵は、内心驚いていた。


 最終候補のなかには、バランド公爵家の末娘セシリアの名前もあり、多くの貴族の間では彼女こそが最有力候補だと言われていた。


 ザイフリート家のカタリーナ嬢はアマーリアと同じ十六歳で、アドリアンの婚約者選びの時にも名乗りをあげていたが、目立った印象のない少女で、社交界でもあまり話題にのぼる存在ではなかった。


 野心家だと評判のニコラス・ザイフリートがこの千載一遇のチャンスを前に指をくわえているはずがないとは思っていたが……。


(そうか。次期王太子妃……ゆくゆくは王妃にザイフリートの娘が立つか)


 宮廷の勢力図が大きく変わっていく気がした。



「それで相談というのはだな。ザイフリート公爵は立太子の儀と同時にエルリックとカタリーナ嬢の挙式を行ったらどうかと申しておるのだ」


「挙式、ですか? 婚約発表ではなく」


「ああ。その……アドリアンがああいうことになったのも、長い婚約期間を置き過ぎたためだという意見でな。いっそのこと、婚約から間を置かず結婚させてしまうことで、エルリックも王太子としての自覚が出来、身辺が落ち着くのではないかと。ロザリーの父のマール辺境伯も、それに異存はないと申しておる。そなたはどう思う?」


「……成程」


 クレヴィング公爵は、ゆっくりと頷いてその猛禽類を思わせる目をすっと細めた。



 その頭のなかでは、宮廷の人間たちの関係や勢力図がめまぐるしく思い浮かべられていた。





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