16.クルーガー伯爵家の家庭の事情

まさか本当に「では三日間お試しで」というわけにいくはずもなく、ラルフはしばらくの間、アマーリアと交際することを承諾した。

 この際、お嬢様のお気のすむまで付き合うしかないと腹をくくる。


 そうは言ってもクレヴィング公爵がたかが一介の騎士と愛娘との交際を許すはずがない、とたかをくくっていたラルフの予想は大きく外れた。


 後日、ラルフの父であるクルーガー伯爵に宛てて、クレヴィング公爵家から正式にアマーリアとラルフの今後について話し合いの場を持ちたいという申し出があったのだ。


 騎士団の宿舎にその知らせを持ってきた伯爵家の執事バートラムは、狼狽えきっていた。

「と、とにかくすぐに一度、お屋敷にお戻り下さいとのことです」


 ラルフが実家に戻ると、父のハンス・クルーガー伯爵は青ざめた顔で息子を迎えた。その父の隣りに険しい顔で座っているのは継母のエリザベートだ。


 エリザベートは、ラルフの母が亡くなってから数年後に父が迎えた後妻で、ラルフの異母弟レイフォードの母であった。


 長男でありながらラルフが家を出て騎士団に入団し、寝泊まりも騎士団の宿舎でして滅多に実家に帰らないのは、この継母がひどくラルフを嫌っているためだった。


 父や使用人たちのためにも争いごとを避けたかったラルフは家から離れ、家督も爵位もレイフォードに譲っても構わないと思っていた。


 だが、今年十五歳になるレイフォードが家督を継ぐにはまだ時間がかかり、親族のなかには「なぜ、後妻の生んだ次男をわざわざ後継ぎにするのか」と難色を示す者もいて、父はどちらとも答えを出せずにいる。


「いったい何がどうなっておるのだ。先日の宴の席での話は噂で聞き及んでおるが、おまえは『ただのアマーリア嬢の冗談だ』と言っていたではないか……」

「そうですわ。それなのに本当はあの時、すでにアマーリア嬢と想いを交し合っていたということですのね? あなたは父上とこの私に嘘をついたのですか、ラルフさま!」

 父の言葉尻に被せるようにしてエリザベートも金切り声をあげる。


「嘘ではありません。あの夜の時点では私はアマーリア嬢のことは、近衛騎士団のヴィクトール殿の妹君としか認識しておりませんでした。二人きりで言葉を交わしたこともありません」


「ではアマーリア嬢の方が一方的にあなたを見初め、公の場でいきなり愛を打ち明けたというのですか?」

「……」

 事実はその通りなのだが、自分の口からそう言うのは躊躇われ、ラルフは口をつぐんだ。


 だがそれは継母の目には、都合が悪くなって口をつぐんだように見えたらしい。


「ほら。ごらんなさい。アマーリア嬢は公爵家の令嬢で、それだけではなく王太子殿下の婚約者であられたというではありませんか。そのような方が、たかが一介の騎士のあなたを見初めるなどあり得ませんわ!」


「一介の騎士などと……ラルフさまはこの家のれっきとしたご嫡男。伯爵家の御令息でいらっしゃいます。公爵家のご令嬢とご縁があったとしても不思議はないかと」

 

 執事のバートラムが口を開く。

 控えめな言い方ではあったが、礼儀を弁えている古参の執事のバートラムが主人の会話に口をはさむなど本来ならばあり得ないことであった。


 バートラムはラルフが生まれる前からこの家に仕えてくれている。

 当然、ラルフの母の故伯爵夫人のこともよく知っているので、そのラルフがエリザベートに侮辱されるのを黙ってきいていられなかったのだろう。


 気持ちは有難いが、それを聞いたエリザベートはますます興奮していきり立った。


「まあ、執事風情が主の話に口を出すなど、立場を弁えなさい! それもこれもラルフさまが、古くからの使用人たちに私に楯突くようにと裏でけしかけているせいですわ! ねえ、旦那さま。ご覧になりましたでしょう。バートラムのあの無礼な態度を。それに私を見るラルフさまの目のあの冷たいこと! 私のことなど、とるにたらない継母と蔑んでおられるのですわ!」


「そんなことは決して。それに私は父上にも義母上にも嘘をついたことなどありません」

 ラルフは辛抱強く言った。


 この継母がこういうことを言いだした時は、理屈で説明しても決して分かってはもらえない。

 そもそも、分かり合おうという気が向こうにはないのだ。


 彼女にあるのは、ただ自分の生んだレイフォードが可愛いということ。

 そのレイフォードに爵位と財産、この屋敷などをすべて受け継がせるためにはラルフの存在が邪魔だという一念だけなのだろうから。


 ラルフは継母を相手にするのを諦めて、敢えて父の方だけを見て言った。


「それであちらは何と仰っているのです」


「うむ。その『貴家の御令息ラルフ殿と、当家の長女アマーリアとの今後について折り入って一度、ご相談申し上げたく会席の機会を設けさせていただきたい』と」


 父が差し出した公爵家の一角獣の紋章の入った便箋を受け取ってラルフは目を走らせた。


「つきましてはクルーガー伯爵及び、ラルフ殿を当家にご招待したく……日時は……はあ、明後日、公爵邸で今後のことなどを話し合いたいと申されていますね」


「まいったな。明後日か。何を着ていけばいいものか。王宮の正式な行事のときの礼装では仰々し過ぎるかな」


「まさかお出かけになるおつもりですかっ!」

 エリザベートが目を吊り上げて叫んだ。


「いやだって、おまえ。まさか公爵閣下からのご招待をお断りするわけにはいかぬだろう」


「だってあなた、ラルフさまは事もあろうか公爵家のご令嬢──それも王太子殿下の婚約者であられた方に横恋慕をなさって、お二人を婚約破棄に追い込まれたのでしょう? そのため、王太子殿下は廃位の憂き目にあわれたとか……ああ、なんて恐ろしいこと!」


「何を言っておるのだ。ラルフがそのようなことをするはずがない! 公爵閣下もこの度のことはアマーリア嬢のわがままから起こったことで、ご迷惑をおかけして申し訳ないと、ここにこうして書いておられる」


「もう結構です。結局、あなたは私やレイフよりもラルフさまの方がお可愛いんですのねっ!!」


 なぜそうなるのかという論理の飛躍を見せるのは、継母の話のいつものパターンだ。


「もう結構です。私は知りません。勝手になさるがよろしいわ!!」

 そう言い捨てるとエリザベートは立ち上がり、足音も荒く部屋を出て行った。


 あとには疲れきった表情の伯爵とラルフが残された。

 その顔は父子だけあってよく似ていた。



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