2.おはようのちゅー ⑦

◇◇◇◇


 昨日、どんな飲み会だったの。


 それだけなのに。

 その一言がでなくて。


 突然子どもの話がでてきたのも関係しているのでは?

 なんて疑ってしまって。

 嫌な女。


 背中に乗っている旦那さん。

 重たいよっていいながら抜け出そうと身体を反転させれば、組み敷かれるような形に。

 少しでも身体を起こせば鼻同士がふれあってしまいそう。

 いつかの夜を思いだしてしまい、顔が熱くなる。

 胸の音が聞こえてしまうのではないか、そんな不安も。

 鷹雪くんの吐息がかかる度、ますますどきどきしてしまう。



「あ、ごめ……」



 赤い顔をした彼。

 手を伸ばせばあたたかい頬に触れる。

 驚いたように私を見つめている。


 ねえ、本当のことを教えて。



「あ――キス」

「ちょっと、まって」



 おはようのちゅー。

 しようとした彼から顔を背け、その唇を手で塞ぐ。


 こんな気持ちのまま、できないから。

 きっと後悔してしまうから。


 口を塞がれながら私を見下ろすあなたは、

 いつものやさしい瞳。


 こんなに愛してくれているあなたが、裏切ることなんてありえないのに。


 どうしても疑ってしまう醜い私がいる。


 こんなわたしはきらい。

 こんなわたしじゃあなたは愛してくれない。

 ごめんなさい。醜い私で。



「たかくん、昨日、なにかあった?」

「昨日――は、仕事して、ちょっと飲んで、帰って、それから亜子ちゃんと」

「……ほんと?」

「ほんと。」



 いつものやさしい瞳は澄んでいて、まっすぐ私を見つめている。力強く頷いてくれた。


 うそはつかない人だって知っている。

 人を傷つけるようなうそは、絶対に。


 いやな沈黙が流れて目をそらせば、彼が「あ」とつぶやく。



「もしかして、なんか、俺が変なこといってたやつ」

「……うん」

「あれは――うーん……酔ってたと思う、ちょっと。酒だけじゃなくて、雰囲気とかにも? うん……でも、全部本音だから。亜子ちゃんのこと好きだし、身体きれいって思ってるし、あ、愛……して、る」



 だんだん声が小さくなって、

 それと同時に鷹雪くんの顔がますます赤に染まった。

「亜子ちゃんのばか」とつぶやくように言って私の胸に埋まった朱茶色の頭。耳まで真っ赤になってる。


 私はというと、鷹雪くんの言葉にただただ赤面して彼を受け止めていた。

 なんでもないときにそんな言葉を言われるのは経験がなくて、どうしたらいいのかわからない。

 それは鷹雪くんも同じみたいで、なかなか顔があがってこない。

 ふたりで赤面をして、ただじっとしている。


 ゆっくり、ゆっくり時間が流れていった。

 お互いの鼓動、体温、呼吸、それだけを感じて。

 お互い顔の熱がとれたころ、視線を交わらせる。

 ごはんを待ちきれない犬のように目を輝かせた彼が尋ねる。


 少し乾燥した唇。


 私に愛をささやき続ける愛しい唇。



「ちゅーしていっすか」

「……うん」

「もう昼だけど……おはよ」

「おはよう」



 寝転がったまま。

 ゆっくり近づいた彼の顔。

 きれいな顔。

 赤い顔。

 かわいい。

 愛しい。


 ちょっとだけ、ニンニクのにおい。

 たぶん私も。お互いさまだね。



「えへへ」

「亜子ちゃんがたまに小悪魔に見える」

「?」

「なんでもねえっす」



 さあ今日のご予定は。

 手を差し伸べた彼が聞く。


 手を掴みながら、私はごろごろすることしか考えていない。

 あなたと一緒の休日は、あなたとふたりきり、ふたりだけの時間を楽しみたいから。



「一緒にごろごろしてくれますか」



 そのうち活動を始めた愛猫たちもやってきて、一緒にごろごろ。

 しあわせだね。


 陽のあたる窓際で体育座りの格好をしながら日なたぼっこをしていると、後ろから旦那さんが抱きついた。



「亜子ちゃんあったかい」

「鷹雪くんもあったかいね」

「へへへ」

「浮気しちゃやだよ」

「!? いつした!?」

「……あ、これからも、ずっと。」

「……ん。なにか不安にさせちゃったなら、ごめん」

「ううん。私の方こそごめんなさい。鷹雪くんはずっと、私のこと」



 自分で言って、自意識過剰ではないかと黙り込む。

 ん? と首をかしげながら私の顔をのぞき込む彼と目が合った。


 やだ、私、絶対に顔が赤い。

 慌てて顔を背けても彼に捕まって、耳に唇が触れた。



「ひゃ……」

「ずっと亜子ちゃんのこと考えてるし、ずっとみてる」

「……うん」



 ありがとう。

 そうつぶやいて彼に背中を預けた。


 私もあなただけを見てる。



「亜子ちゃんあったかいから眠たくなっちゃった」

「寝ていいよ」

「亜子ちゃんの膝でも……!?」

「いいよ、どうぞ」

「俺死ぬ……!?」



 どうしてそうなるの、おもしろい人。


 一緒にいると、こころが休まる気がする。

 ぽかぽかあたたかくて。

 あなたの隣は、そばは、心地がいい。

 私の膝に遠慮がちに頭を乗せる旦那さん。

 緊張したように目をきょろきょろとさせている。

 私は手を伸ばして、そっとメガネを外した。



「おやすみなさい」

「おやすみ」

「すてきな夢をみてください」

「いい夢みれそうだよ。あー……今度からさ、おやすみのちゅーも導入しない?」

「鷹雪くん、ちゅーしたいだけでしょ。えっち」



 はは、バレた、と笑いながら眠たそうな目をする。

 頭をなでてあげると、とろんとまどろんでいるよう。


 甘えんぼさん。


 いいよ、今日は特別に。


 ちいさな寝息を確認してから、

 愛する旦那さんへ、

 そっと。

 目を瞑って唇にふれる。


 おやすみなさい。


 慌てて離れれば深緑色の瞳と目が合った。


 やられた。

 寝たふり。

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