第29話 くだらない理由
サンドイッチをあらかた食べ終えて、アリシアの空腹はすっかり満たされていた。むしろ、少し食べ過ぎてしまったくらいだ。レースを控え、体重にも気にかけていたアリシアだったが、『愛情』を隠し味にされてしまっては食べないわけにもいかなかった。
「ごちそうさま、ミナリー。すごく美味しかったわ」
「お粗末様でした。いい食べっぷりだったねぇ、アリシア」
「し、仕方がないでしょ! お腹が空いてたんだもの!」
「空腹は最高のスパイスとも言うもんね。美味しく食べてくれたみたいで、わたしも嬉しいよ」
「ふ、ふんっ……」
ミナリーが愛情を込めてくれたから、ついつい食べ過ぎてしまった。……なんて、言えるはずもなく。アリシアは鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「アリシアは、すごいね」
「……なによ、急に」
「だって、こんな遅くまで飛んでたんでしょ? 頑張っててすごいと思う」
「別に……これくらい普通よ、ふつう。褒められるようなことじゃないわ」
「そうかなぁ。こんな時間まで飛んでるのはアリシアくらいだし、アリシアはすごく頑張っていると思うよ」
「……あたしが頑張るのは、勝ちたい人が居るからよ」
「勝ちたい人って、お姉さん?」
「そ。あたしは、姉さまに勝つためだけに飛んでるの」
「じゃあ、やっぱり家がどうとか、競技魔術師になりたいとか、そういうのじゃないんだね」
「あんた、それどこで聞いたのよ」
確かミナリーには、バルキュリエ家が競技魔術師の家系だとは言っていなかったはず。気になって尋ねると、ミナリーは「実はね」と少し申し訳なさそうに答える。
「食堂でロザリィと偶然隣の席になって、聞いちゃったの。アリシアの家のこと」
「そう、ロザリィからね……」
同じ王国七大貴族の生まれ。ロザリィなら知っていても不思議ではない。ミナリーとロザリィが少し仲良くなっているような気がしてもやっとしたが、アリシアは胸の内にとどめることにした。
「ロザリィから聞いた通りよ。バルキュリエ家は代々競技魔術師の家系。お父様もお母様も、お爺様もお婆様も競技魔術師だった。だから、将来的にはあたしも競技魔術師になるんだと思うわ。でも、今はそんなことどうだっていいのよ」
競技魔術師の家系に生まれたこともあって、アリシアは幼い頃から姉のアリスと共にウィザード・レースに慣れ親しんできた。けれど将来、競技魔術師になりたいかと聞かれるとそうでもなく、そもそも国家魔術師への興味もそれほどなかった。
アリシアが王立魔術学園の門をくぐったのも、ウィザード・レースに固執するのも、全ては姉であるアリスに勝つためだ。
「勝ったことがないのよ、一度も。ウィザード・レースにおいて二歳程度の年の差なんてあってないようなもの。それなのに私は、姉さまに勝てたためしがないの」
「だから、こんな遅くまで練習するの?」
「そういうこと。姉さまと同じレースに出るのは三年ぶりだもの。次のレースであたしがこの三年間でどれだけ成長したか見せてやるの。そんでもって、次こそ姉さまに勝つわ」
そのためだけに、飛んでいる。幼いころから、今までずっと。
ふと、アリシアは昨夜のことを思い出した。ミナリーと二人で一本の箒に乗って、夜空を飛んだ時のことを。
「昨日、飛ぶのが好きかってあんたに聞かれたわよね。……あたしが飛ぶのはそんな理由。姉さまに勝ちたいから。好きとか、そういうのじゃないのよ。くだらない理由でしょ?」
ミナリーのように、飛ぶのが好きだと思ったことは一度もない。
くだらないと、心の底からそう思う。
ずっと幼い頃から姉に勝ちたい一心で飛んできた。高尚な理由も、壮大な夢も、具体的な目標も、何もない。姉に勝つというちっぽけな目的しかない。
むしろウィザード・レースがそのための道具のようにも思えてきて、こんな気持ちでレースに出て良いのかと、感じてしまうことも幾度となくあった。
だから心のどこかで、「そうだね」と言って欲しかったのかもしれない。ミナリーにそう言われたら楽になるのではないか。
そんな希望も、ほんの少しだけあったから、
「そんなことないっ‼」
ミナリーの張り上げた声と、その剣幕に、アリシアは驚きを隠せなかった。
「み、ミナリー……?」
「そんなことないよ、くだらないなんて言っちゃ駄目だよ、アリシア」
ミナリーはまっすぐこちらを見つめてきて、その瞳に吸い込まれそうになる。
ふと、右手に温かな何かが触れた。ミナリーがアリシアの手を、両手で優しく包み込むように握ったのだ。
「やっぱりアリシアは凄いと思う。真っすぐに目標に向かって頑張って、努力してて、凄く、すごく、めちゃくちゃカッコいいと思う! だから、くだらないなんて、今までのアリシアの頑張りを否定するような、悲しいこと言っちゃ駄目だよ」
「…………ぁ」
なんて言えばいいのか、わからなかった。真っすぐな瞳に見つめられて、力強い言葉に励まされて、胸がカーッと熱くなっていくのがわかる。
面と向かって頑張りを認められる機会なんて、今までほとんどなかった。努力することは当たり前のこと。アリシア自身はそう思い込んでいたし、彼女の周囲はその努力に見向きもして来なかった。
頑張りを認めてくれる人が傍に居る。たったそれだけのことが、アリシアの心を温かく包み込む。
「わたしには応援することしかできないけど……。アリシアの頑張りを一番近くで、見ていたい。ダメかな、アリシア?」
「…………ううん」
尋ねられて、アリシアは首を横に振る。
「ありがとう、ミナリー。あんたが傍で見てくれていたら、あたしはいくらでも頑張れちゃいそうよ」
「ほどほどにね、アリシア。それで無理して魔力切れになったら大変だよ」
「その時はミナリーが介抱してくれるのよね? なら安心だわ。膝枕と、添い寝と、夕飯にミナリーの手作り料理を食べさせてくれたら復活すると思うから」
「えぇー……」
冗談よ、と言ってアリシアは笑う。その笑顔は何か憑き物が取れたかのように晴れやかだった。
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