妖が生きる術

第483話 連休中の七瀬カウンセリングセンター

 僕と山葉さんは強い日差しの中を下北沢の市街地を歩いていた。

 例年よりも早い梅雨明けを迎えた関東地方は最高気温が三十度をはるかに超える真夏日が続いており、今日も例外ではなさそうだ。

「オリンピックの開会式は無観客で寂しい雰囲気かと思ったけれど、入場行進で各国の選手団を見られたので救われた感じだったね」

 山葉さんは日傘を片手にテレビで見たオリンピックの開会式の感想を口にする。

「僕は入場行進の時にロールプレイイングゲームとかシューティングゲームのテーマソングが流れたので一気に気分が明るくなりましたよ」

 他愛のない会話をしながら僕たちは七瀬カウンセリングセンターを目指していた。

 山葉さんが美咲嬢に妖の知識を教えてもらいたいと頼んだところ、美咲嬢は振替休日の連休は暇なのでいつでも来てよいと返事をくれたのだ。

 僕たちが知りたい妖とは、困っている人に願いをかなえると持ち掛けてその魂を乗っ取りアシダカグモの姿に変えて自分に隷属させてしまう存在のことだ。

 美咲嬢が運営する七瀬カウンセリングセンターはカフェ青葉から徒歩十分ほどの距離に有り、そこは彼女の住居も兼ねているのだった。

 一見すると古い洋館風の七瀬カウンセリングセンターの玄関で呼び鈴を押すと、聞き覚えのある声が僕たちを迎えた。

「いらっしゃい。すぐロックを開けますね」

 玄関から小さな庭を挟んだ建物からはパタパタと軽い足音が響いている。

「今の声はツーコさんだったみたいですね」

 僕がつぶやくと、山葉さんも首をかしげる。

「そうだね、休日なのになぜ彼女がいるのだろう」

 ツーコさんは僕と同じ大学の同学年で一緒にアルバイトしていたクラリンの友人だったため僕たちも親しくしていた。

 ツーコさんは大学の学部生の時に七瀬カウンセリングセンターでインターンシップを体験したのだが、七瀬カウンセリングセンターが気に入ってしまい、修士課程を修了し臨床心理士の資格をとってから七瀬カウンセリングセンターに採用されて正規職員となったのだ。

 それだけなら普通かつ順調にキャリアを歩み始めている話だが、ツーコさんの場合美咲嬢と黒崎氏の正体を知っていながら彼女たちと一緒に仕事をすることを選択したのだから、もはや変わり者と言ってもいいだろう。

「おはようございます。最近は不要な外出を控えていたのでご無沙汰していましたね」

 ツーコさんは屈託のない笑顔で僕たちを迎えたが彼女の出で立ちは七分丈のショートパンツにゆったりとしたTシャツを合わせたもので、どう見ても部屋着だ。

「もしかしてここに住んでいるのですか」

 僕がおそるおそる尋ねると、彼女はあっさりと認めた。

「ええ、丁度今年の春にそれまで住んでいたマンションの契約期限が来たのですが、契約更新に結には結構お金がいるのでもったいないなと思っていたら、美咲先生が空いた部屋があるから引っ越してもいいと言ってくださったのです。私としてはそこまでしてもらっては申し訳ないと思ったものの、背に腹は換えられないので引っ越すことにしたのです」

 僕の頭には美咲嬢たちが実は猫又であることや、それを押してツーコさんが黒崎氏と付き合っているという記憶が渦巻いたが、彼女の楽しそうな顔を見てもう深く考えないことにした。

 美咲嬢の住居に入ると、美咲嬢もツーコさんと同じく七分丈のパンツにノースリーブのトップス姿で大きめのサングラスまでかけている。

「お休みでくつろいでいるところに押しかけてしまって申し訳ないな」

 山葉さんが恐縮した雰囲気で美咲嬢に告げると、美咲嬢は口角をあげて答える。

「あら、気にすることはありませんわ。他ならぬ内村夫妻が妖の類のことで相談があるなんて、面白い話としか思えませんもの」

 どうやら美咲嬢たちは連休中自宅から外出しないでごろごろすることに決めていた様子で、美咲嬢は僕たちの相談を格好の暇つぶしと受け止めたらしい。

 そこに、黒崎氏がアイスコーヒーを乗せたトレイを持って現れたが、彼も他の二人と同様で、部屋着姿でいつものダーク系のスーツ姿と趣が違った。

「ツーコさんが僕たちの外出を許可してくれないのですよ。たまに家から外に出ても新型コロナウイルスに感染することを警戒して人の姿が多い場所では車から外に出さない徹底ぶりなのです」

 黒崎さんが情けない表情で僕たちに訴えるが、ツーコさんは拘泥しない様子でむしろ諭すように話す。

「仕方ありませんよ。新型コロナウイルスが黒崎さん達の身体にどんな影響を及ぼすかわからないのですから。ワクチンだって副反応が怖くて使えないので、お二人には新型コロナウイルス感染症が収まるまでは用心してもらう他に対処方法がないのです」

「なるほどそれで最近ランチタイムに姿を見かけないのだな。私の店はウーバーイーツと契約したから使っていただきたいものだ。テイクアウト用のメニューが中心だがご要望があれば日替わりランチをデリバリー用にパッケージすることも可能だ」

「本当ですか。最近お昼のメニューを考えるのが面倒くさくなっていたから助かりますよ。でも、スープカレーとか汁物の類は配達が難しいのではありませんか」

 何故か、美咲嬢たちの食事を黒崎氏が作っている雰囲気で、彼は本気で喜んでいるのがわかる。

「密閉可能な保温性の高い使い捨て容器を準備しているよ。お客さんは戻ってきつつあるが、テイクアウトにも要望があるものなのだね」

 美咲嬢は黒崎さんが喜ぶ様子を見て微笑を浮かべながら僕たちに尋ねた。

「そろそろ本題に入りませんこと?あなた方がわざわざ聞きにに来るからには、現実に妖の類に遭遇したのだと思えて、私としましても大変気になるところなのですわ」

 美咲嬢に促されて山葉さんは来訪の目的を思い出した様子だった。

「そうだった、私達は立て続けにアシダカグモの妖に遭遇したのだ。それも生身のものではなくて、困難に直面している人の魂を取り込んで自分たちの手下にしてしまい、犠牲者の霊魂はアシダカグモの姿に変えられて意のままに操られていた」

 美咲嬢は山葉さんの話を聞いて表情を険しくした。

「私はアシダカグモが大嫌いですわ、やたら大きくて動きが早いので家の中で見つけたら外に追い出すのが大変ですもの」

「そうなのだ、私も実家で生活している時は脅かされたのだが家人に殺してはいけないと言われて対応に苦慮したものだ」

 アシダカグモは見た目が派手なので美咲嬢と山葉さんの話題は本物のクモの話に移ってしまい、僕はため息をついた。

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