第427話 箱庭の世界

僕は、紗希さんに取り憑く死霊の服装を山葉さんとツーコさんに伝えて二人の感想を聞くことにした。

「紗希さんに取り憑いている霊の雰囲気が紗希さんとよく似ているけれど、着ている物の雰囲気が少し違うのですよね。ベルトやボタンが派手だったり、肩パッドが入っていたりで」

ツーコさんは僕の説明を聞いても、ピンとこないようだが、山葉さんは自分自身も眉間にしわを寄せて霊を見つめている。

彼女も霊視能力を持っているが、僕とは違うメカニズムで霊の姿を捉えているため、彼女は霊のディテールまでは視認できないのだ。

「それは昭和の時代に流行していた服ではないかな。いわゆるバブル期のファッションというのは私の母が若かりし頃に流行していた訳で、ウッチーが話すような特徴があったように思う」

山葉さんがつぶやくのを聞いて、僕は彼女の推定が正しいことを悟った。

近年バブル期のアイドルのファッションが人気となり、なりきりで80年代アイドル的な扮装をする人々も現れている。

しかし、僕が目にしているのは真似をしているのではなく、当時の雰囲気をそのままに伝える死霊なのだ。

「それでは、あの霊は年齢的に紗希さんのお母さんと同世代である可能性が高いのですね」

僕の言葉を聞いて、ツーコさんは慌てて自分のタブレットパソコンを開いた。

「紗希さんから聞いたところでは、雪ちゃんのお祖母さんは九十年代に亡くなっています。紗希さんはまだ小さかったので、彼女の祖父母が世話をしてくれたということでした」

ツーコさんは雪ちゃんの面談の際に詳細な聞き取り調査を行ったらしく彼女のタブレットパソコンの画面には膨大な量のテキストが表示されている。

周辺の状況はその霊が紗希さんの母親ではないかと思わせるが、ことが心霊現象だけにそれを確認する手段は少ない。

僕たちが見守る前で、美咲嬢は雪ちゃんに箱庭を使って遊ぶように指示し、その間に紗希さんと問診を始めた。

「お正月早々から、カウンセリングしていただきありがとうございます。私としても雪が健常者と一緒に暮らしていけるように今年も頑張っていきたいと思います」

カウンセリングルームから聞こえる紗希さんの声がツーコさんの表情を硬くするが、美咲嬢は穏やかな雰囲気で紗希さんに問いかける。

「今日は担当の二宮の代わりに私が対応しておりますが、雪さんの様子についてはお気づきの点はありませんか?」

「そうですね、発達障害的な失敗がないように親子で気を付けていますけど、いまだに忘れ物は多いですし、日差しをまぶしがったり、大きな音が苦手だったりすることが多いです」

カウンセリングルームで交わされている会話は、僕たちが聞いたところでは当たり障りなく感じられるし、雪ちゃんは箱庭セットを使って家を中心にたくさんの人や動物を配置して可愛らしい世界を作りつつあり、特に問題があるとは思えない。

しかし、ツーコさんは厳しい表情のままで、美咲嬢と紗希さんの会話に聞き耳を立てている。

「初めて相談に来られたのが夏ごろで、その後二宮のカウンセリングを受けられたわけですが、雪ちゃんの状況には改善が見られましたか?カウンセリングを受けられてよかったと思う点を教えていただきたいのですわ」

美咲嬢が質問すると、紗希さんはしばらく考えていたが明るい表情で口を開いた。

「雪が発作を起こす機会が減ってきたと思います。昨日も親類と短時間顔を合わせたのですが、雪が脳に重い障害があるから治療していると話すと、みんなが雪のことを、障害に負けないで頑張っていると言って褒めてくれました」

僕は医学的な知識は持っていないが、疑問に思えてツーコさんに尋ねる。

「ADHDで発作というような症状を起こすことが有るの?」

ツーコさんは硬い表情でカウンセリング表情を見ながら答えた。

「いいえ、てんかん発作とADHDを併発する病気があり、その場合はてんかん発作が主症状の一つとなりますが、一般的なADHDでは発作と呼べるような急性の症状は有りません」

カウンセリングルームにいる美咲嬢は無言で紗希さんの言葉を机の上のボードに書き留めると今度は箱庭で遊んでいた雪ちゃんに向き直った。

雪ちゃんが作った箱庭は中央に川が流れ、川岸には家や教会なども配置され、様々な人形が配置されていた。

小学校低学年の児童が作るものなので、キリスト教の教会の前に古代エジプトのアヌビス神がいたり、牧場の柵の中で、ライオンと羊の群れが仲良く並んでいるがそれは問題にならないはずだ。

そして箱庭は全体として活気のある村を形作っているように見え、その端には虹もかかっている。

僕も箱庭療法のことを少しは知っており、自由に作った箱庭の配置にはその人の心理状態が反映されるというのは聞いたことが有った。

それゆえ、たくさんの人形が配置され、活気のある様子は良い傾向なのではないかと素人目には思える。

僕の考えとは関係なく、美咲嬢は雪ちゃんに尋ねた。

「雪ちゃん上手にできましたわ。この中で雪ちゃんは何処にいるのかしら」

雪ちゃんは川を挟んで配置された家や教会のうち他の建物とは川を挟んだ反対側にある建物の横に置かれた人形を指さした。

その人形は膝を抱えてうずくまった姿勢の小さな女の子で、川向こうの他の人形が醸し出す賑やかな雰囲気を遠目に眺めているように見える。

その時、僕たちと並んで椅子に座っていたツーコさんが急に立ち上がった。

「私は気が付かなかった。この前もあの女の子の人形を配置していたのに」

僕と山葉さんは顔を見合わせて困惑するばかりで、ツーコさんが無言のままなので僕が遠慮がちに尋ねる。

「あの位置に雪ちゃんを示す人形が置かれていることに何か重大な意味があるの?」

ツーコさんは口惜しそうな表情をにじませながら、僕にゆっくりと話す。

「箱庭の解釈に正解というものはありませんが、それを通じて作った人の心理状態を覗くことが出来ます。前回箱庭を作ってもらった時は、沢山ある人形の意味を一つ一つ聞いていたのですが、時間足らなくてあの女の子が雪ちゃんを意味していることを聞き出せていなかったのです」

ツーコさんが言葉を切ったので、今度は山葉さんが尋ねる。

「あの人形が雪ちゃんを意味していると判ったら、そのことで全体の解釈が変わるものなのか?」

ツーコさんはマジックミラー越しに雪ちゃんが作った箱庭を見ながら答えた。

「あの箱庭は一見活気があって楽しそうに見えます。でも雪ちゃん本人が川を隔てた家の傍でそれを見ているとしたら、活気のある社会に参加したいのに川が象徴する何かに遮られてそこに加わることが出来ないことを示しているように思えるのです」

僕と山葉さんは、半信半疑で彼女の言葉を聞きながらカウンセラールームの岩本さん母娘の様子を眺めた。

そして、岩本さん母娘が美咲嬢のカウンセリングを受けている部屋の隅には相変わらずバブル期の姿をとどめる死霊が無言でたたずんでいた。

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