第396話 グリークの調べ

三谷さんはカバン中からペンケースや書類ホルダーを取り出したり、再度ポケットをごそごそ探したりとずいぶん時間をかけた後に、やっと合い鍵を見つけた。

「開けてみます」

三谷さんは宣言して鍵をドアノブのカギ穴に差し込んだが、僕と山葉さんは待ちくたびれて気力を削がれていた。

三谷さんゆっくりと鍵を回すと、ドアノブのシリンダーが動く音に続いてドアのロックが外れたのがわかる。

三谷さんはドアノブを回すとゆっくりとドアを引き開けた。

ドアの内側の様子を垣間見た瞬間に、僕は内部に異変が起きていると感じた。

マンションなどのドアを開けると外部に比べると暗く見えるのは当然だが、壁や廊下の床などが見えるのが普通だ。

しかし、沼さんの部屋の内部は普通に見える情景を拭い去ったように漆黒の闇に覆われていたのだ。

「これは一体どうなっているのですか?」

三谷さんが訳が分からないと言った様子でつぶやくのを聞いて僕もドアの中を覗き込むが、当然あるべきワンルームマンションの手狭な玄関とか、壁紙を張った廊下の類は見えず、むしろ闇そのものが漂い出てくるようだ。

それでもドアの周辺をよく見ると壁や床は岩のような素材で構成されているように見える。

ワンルームマンションだと思ってドアを開けたら、いきなり洞窟に繋がっていたというシチュエーションなのだ。

漆黒の闇のように見える廊下の奥からはかすかに笛の音が響き、メロディーを奏でているようだ。

「今度はフルートを奏でる霊かもしれませんね。ドアの向こうは石造りの洞窟が続いているみたいです」

僕は振り返って山葉さんに話しかけたが、彼女は肩をすくめてから僕に答える。

「芸術の秋らしくて結構なことだ。ここまで来てそのまま帰るわけにもいかないから、その「洞窟」に入ってみよう」

山葉さんはスプラッタ系の映像やゾンビの類は苦手だが、妖や霊が巣食う場所には平気で乗り込んでいく傾向がある。

僕は、莉咲が一緒だからやめておくようにと説得を試みようとしたが、その時には山葉さんは僕の腕をつかんで沼さんの部屋のドアから続く洞窟に足を踏み入れていた。

洞窟の入り口付近は特に闇が深く感じられたが、奥へと進むとむしろどこからともなく差し込む光で洞窟内は仄かに明るい。

「あの、この奥に美智子がいるのですか」

三谷さんは足を踏み入れることを躊躇しながら入り口から僕たちに尋ねる。

「入り口のドアは彼女の部屋なのだからこの奥にいると考えるのが妥当なところだと思いますよ」

山葉さんは三谷さんに答えながらさらに歩みを進め、僕もそれに続いた。

三谷さんは一人で取り残されそうになり、意を決したように入り口から飛び込み僕たちに追いついた。

「やはり、洞窟の奥からフルートの音色が響いてくる。あれは何という曲でしょうね。ハイドンとかバッハあたりですか」

僕は山葉さんに尋ねながら、洞窟の奥から響くもの悲しい音色に耳を傾ける。

その曲はどこかで聞いたことが有るものの、曲名や作者までは知らないものだ。

僕は適当な作曲家の名前をあげたてが、山葉さんの返事は連れなかった。

「違うよこれは確かグリークの曲だ。ペールギュントという戯曲のために作曲された曲なのだ」

僕は山葉さんの博識さに感心せざるを得ない。

「凄いですね。どうしてそんなにクラッシックの知識が豊富なのですか」

僕はお世辞ではなく賛辞を送ったつもりだが彼女は気に入らなかったようだ。

別に。短大に通っているときに教養部の授業でクラッシック史を学んだだけだ。私の好みとしては、どうせ音楽を流すならば「天国への階段」とか「悪魔の招待状」みたいなヘビメタを奏でる幽霊がいて欲しいと思うのだが、一度もそんな霊に巡り合ったことがないのが残念だ」

彼女に影響されて僕もたまに古典的なロックを聞くようになったので、彼女が挙げたのがへビィメタルの草創期の名作だというのは理解できた。

呑気な山葉さんに影響されて僕も音楽に意識を向けてしまったが、横を見ると岩壁に手を当てたり叩いたりしながら、沼さんの居所を探す素振りの三谷さんが目に入った。

「音楽なんかより沼さんの居所を探すのが先ですよ」

僕は三谷さんのために、腰が引けている自分自身を叱咤するように山葉さんに言う。

「ふむ、それは極めて正しい指摘だな。私の提案として、あのフルートの音色をたどっていけばこの洞窟の主に最短でたどり着けそうな気がするがどうだろう」

ぼくは、その方法では待ち受けている敵の前に飛び込んでいくことになると危惧するが、なんだか口にすることが出来ないままに山葉さんの後に続く。

そんな状況なのに、山葉さんが抱えている莉咲はキャッキャと喜びながら手足を動かしているのが見える。

その時僕は、彼女の装束が白衣と緋袴の上に千早を羽織った巫女姿に変わっていることに気が付いた。

山葉さんは今まで見たことがない弓まで背負っている。

「山葉さん着ているものが巫女装束になっていますよ」

よく見ると彼女は太刀も帯びて袂はたすき掛けしており、祈祷というよりは戦いに臨むような出で立ちだ。

僕が指摘すると、彼女も驚いたように足を止めた。

「これは面妖な、私達はいつの間にか精神世界に引き込まれたのかもしれぬな」

彼女は自分の装束を見渡しながら感心したようにつぶやき、背中の弓にも気づいた様子でそれを手に取った。

「その弓はどうしたのですか」

「これは、私のおばあちゃんが大切にしていた弓だ。いざなぎ流の神楽には弓を持って舞うものもあるのだ。もっともその神楽は薙刀を持たせたらピタッと決まるような動きなのだけどね」

僕の頭には、四国に伝わる棒踊りという伝統芸能が思い浮かんだ。それは武術の基本の型を伝えていると言われるが、神社に奉納される踊りとして伝承されていたのだ。

「本来の武具から別のものに持ち換えることによって、カモフラージュしたのかもしれませんね」

「ふむ、文化人類学教室の大学院生だけあって真相に近づいているようだな。それはそうとウッチーも神主風に袴姿で、私の大刀を帯びているではないか」

ぼくは自分の腰にある刀や袴姿になっていることにやっと気づき、大いに慌てた。

腰の刀は彼女が言うとおり、別役家に伝わった刀身が三尺五寸に及ぶ大刀で素人では鞘から抜くだけでも一苦労する代物だ。

三谷さんは先ほどと変わらない普段着姿だが、僕たちの服装の変化を見て、さらに顔色が悪くなったように見えた。

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