第354話 紅葉狩りの女

「呪詛を返すというならば、早速それを見せてもらおう。わしらは一昨日より深い霧になやまされておるが、それは鬼女五月の仕業だと思われる。この霧晴らして見せたならそなたの言い分信じようぞ」

一繁公は山葉さんに告げ、山葉さんは不敵な笑顔でそれに答える。

「それでは榊の枝を一つと、そちらに供物を備えている三方を一つお貸しください。」

「うむ、好きに使うがよい」

一繁公の答えを聞いて山葉さんは自分のバッグを探り、和紙で作った式王子を取り出した。

「それ、いつも持ち歩いているのですか」

「旅行先で使えるように一つ携帯しておいたのだ。皺にならないようにパッケージするのが大変だったよ」

僕は彼女の準備のよさに驚かされたが、彼女は借りてきた三方を使って即席の「みてぐら」を作り上げた。

そして平一繁公が見守る前でいざなぎ流の祭文を詠唱する。

霧が立ち込める夜闇の中、かがり火の薄明かりで神楽を舞う彼女は浮世離れした雰囲気を醸し出す。

時間的な制約は気にしなくてよいシチェーションなので、彼女は省略なしで祭文を詠唱した。

一時間ほども経ち、居並ぶ武将達がしんとして見守るうちに、霧が立ち込めた一帯の上空から雷鳴が響き始めた。

雷鳴は次第に強くなり、時折稲光が辺りを照らす。

それとともに山葉さんの祭文の詠唱は終盤に差し掛かり、彼女が「りかん」の言葉で詠唱を締めくくった時、僕たちの近くで稲光が閃き大きな雷鳴が轟いた。

稲妻は平一繁公が陣を構える広場の脇にそびえていた杉の巨木を直撃し、辺りに響き渡る悲鳴が響いた。

そして、杉の巨木から何か黒い影がゆっくりと飛び立つとよろめくように夜闇に消えていく。

杉の巨木は、幹の中ほどから裂け、片割れが広場に倒れた

周辺にいた武士たちが逃げまどい、稲妻が直撃した幹からは小さな炎が上がる。

「今の悲鳴はいったい何者だ」

弥刀丸が警戒するように周囲を見ながら山葉さんに尋ね、彼女は額の汗をぬぐいながら答える。

「何者かがよこした使い魔の類です。霧はもうすぐ晴れるはずです」

彼女の言葉通りに、かがり火の明かりで見える範囲は広がりつつあった。

広場の端と森の境界となる木々が見え始めていたのだ。

地形から判断すると、僕たちがいるのは祥さんの実家の神社があった高台と同じ場所と思われるが、この時代にはまだ神社はなく森のはずれの空き地だった様子だ。

「おお、本当に霧が晴れていくではないか。そなたの能力とくと見せてもろうたぞ。」

一繁公は感心した様子で山葉さんに言葉をかけ、弥刀丸を呼び寄せると耳打ちした。

弥刀丸は僕たちに近づくと、気乗りがしない様子で告げる。

「殿がおぬしたちの力を認め、鬼討伐に同行して欲しいと仰せだ。勅令に従うわが軍と行動を共にするはこの上ない名誉と心得て同意して欲しいのだが」

山葉さんは気合の入らない雰囲気で彼に答えた。

「そうだな、他に行く当てもないからご一緒させてもらおうか」

弥刀丸からムッとした雰囲気が伝わってきて、僕は気をもんだが、弥刀丸はそれ以上何も言わずに無言でうなずいて立ち去った。

その横で一繁公は武将たちに下知する。

「兵を休ませよ。明朝に鬼女、五月が支配する里を襲撃する」

周辺にいた武将たちは自身の宿営地に戻り始め、中には山葉さんに軽く礼をしていく者もいる。

彼女が実力を見せつけたことで、早くも味方として一目置かれつつあるようだ。

しばらくすると、弥刀丸が僕たちの元に戻ってきた。

「山葉殿と徹殿こちらに来られよ。我が軍に女人は同行しておらぬ故、この地の民に宿を借りるように手配いたした。」

彼は、気乗りがしなくとも自分の役目は果たす性分らしく僕たちを丁重に案内する。

「すまないね。余計な仕事を増やしてしまったようだ」

「いや、得体のしれない霧に足止めされて兵の損害だけがじわじわと増えていた故そなたのことは有り難く思っておる。」

山葉さんが微笑しながら弥刀丸に話しかけると、彼はぶすっとした表情で答えた。

弥刀丸が案内した民家は、土間にむしろを敷いた粗末な家だったが、中央では囲炉裏に火が燃え僕たちは暖かく一夜を過ごすことが出来た。

翌日、僕たちは平一繁公が率いる鬼退治の軍勢と共に出立した。

「山葉殿はこちらに輿を用意したゆえ使ってくだされ」

昨夜の一件以来彼女は賓客扱いとなっているようだが、名前が挙がらなかった僕は弥刀丸に尋ねた。

「あの、僕はどうすれば?」

「徹殿は拙者と共に歩いてくだされ。何分都を遠く離れておる故ご容赦を」

それはある意味当然と言えたが、足止めが続いていた軍勢は先を急いでいる。

騎馬の武者にペースを合わせ、徒歩の雑兵は駆け足でそれに続いているのだ。

僕は弥刀丸と一緒に時ならぬマラソンをする羽目になった。

軍勢は平野部から山岳地帯に分け入っていく。僕たちが茅の輪をくぐったときは6月の末だったわけだが、周囲の気候は秋を感じさせるもので、周囲の山々には紅葉した木々が目立った。

軍勢は山の中で渓流を横切るところに差し掛かかり少しペースを落とした。

渡川地点を探すために物見が放たれ、僕たちはしばらくそこで待機することになった。

澄んだ水が流れる渓流や風に揺れる木々を見ながら待つ間に僕は弥刀丸に尋ねてみた。

「鬼女の五月とは何者なのですか」

弥刀丸はそんなことも知らないのかと言いたそうな表情で僕に説明する。

「五月殿は内大臣の平頼家公の側室として寵愛を受け男児を生まれたのですが、ご正室を亡き者にしようと祈祷を行ったとされて、この信濃の地に流されたのです。五月という女はそこもとの奥方のように妖の術を駆使するうえ、この地でも人望を得て里人を束ねて軍勢を作るに至ったのです。そして先ごろ京の町に上洛することを目指しているとうわさが流れ、討伐の勅命が下ったのです。」

話を聞いた限りでは妖術を操る怪しい女性で鬼女の名がふさわしいような気がする。

しばらくすると、先行した物見の兵が駆け足で戻ってくると弥刀丸に告げた。

「この先で高貴な身分とみられる女官が数人、紅葉狩りを楽しんでおります」

「紅葉狩りだと?信濃の国の山奥でどこの女官がそのような風雅な振る舞いをしているというのだ」

弥刀丸は怪訝な表情で問い返すが、物見の兵にそんなことを尋ねるのも酷な話だ。

「わかりませぬ。そこでは女官が数名で宴席を催しており武器を持った者はおりませんでした」

物見の兵が必死に報告し、一繁公は温厚な表情で言った。

「よいよい、その女官が宴を催している場所まで行ってみようではないか」

一繁公の下知に従って軍勢はしずしずと渓谷まで進み、女官たちが紅葉狩りを楽しんでいる場所に差し掛かった。

そこでは、華麗な衣装をまとった女官たちが、紅葉の下に筵を敷き、琴や笛を鳴らして渓流に舞う紅葉の風情を楽しんでいる。

「あなた方は都からおいでになったのですね。どうか我らと共に紅葉の風情を楽しんでゆかれませぬか」

一繁公は前に進み出ると、声を発した女性に答える。

「紅葉の風情がいとをかしいものよのう。兵も疲れておる故、しばしご一緒させていただこうか」

一繁公の言葉を聞いて、川を渡った武将達も馬から降り、雑兵たちも後ろに控えて休憩をとる体勢となった。

安全に川を渡れたので、休憩をとるのにちょうどよかったのだ。

武将たちは女官たちが奏でる調べに目を細め、勧められるままに酒や料理を口にして紅葉の風情を楽しんでいる。

武将たちは都からはるか離れた土地に遠征し、風雅なものに飢えていたのだ。

一繁公は、時ならぬ紅葉狩りの様子を眺めながら、女官たちを率いている女性に問うた。

「ここでも十分風雅を楽しんでおられるようだが、どうあっても京の都に戻られるつもりなのかな五月殿」

女性はフフと笑うと、一繁公に告げる。

「やはりわらわを憶えてお出でじゃったの一繁殿。遠路ご苦労だがそなたたちは都に帰ることはないと心得よ」

二人の会話を聞いていた弥刀丸は盃を投げ出して刀を抜く。

紅葉狩りを催していたのは鬼女五月本人だったのだ。

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