阿部弁護士の頼み事

第288話 母と娘

羽田空港の第二ターミナルは朝から賑わっていた。

季節柄、受験生と思われる人々も多く、ターミナルの到着ロビーは大勢の人でごった返していると言って差し支えない。

僕は首都高速道路の湾岸線で羽田空港エリアを走り抜けたことは数限りなくあるが、空港内に車で乗り入れた経験が少ないため、パーキングを探すのに手間取ってしまった。

そのため、国内線の到着客の出口にたどり着いたときには、僕が迎えに来た人の到着予定時刻は過ぎており、僕は焦る気持ちを抑えながら到着口周辺にその人の姿を探す。

到着口の前で待っていますと言った手前、僕がいなかったためにその人が通り過ぎてしまい、慣れない空港ロビーで迷子になっているのではないかと心配したのだ。

幸い、到着口からその周辺まで探してもその人の姿は見えなかったので、僕はその人がまだ到着ロビー内にいると見込んで、到着出口で待ち構えることにした。

日本の各地から到着した旅行客が、次々と出口を通り過ぎていくのを見守るうちに、ついに僕の待ち人が現れた。

僕が気付くのと同時にその人も僕のことを認めてうれしそうな表情を浮かべる。

「徹君、迎えに来てくれてありがとう。忙しいのにわざわざ来てもらってごめんね」

その人は山葉さんの母、裕子さんだった。

僕は駆け寄って彼女の旅行用の小さなトランクを預かり、キャスターの取っ手を伸ばすと引っ張って運び始めた。

「いいえ、僕にとってもこれからしばらくの間は山葉さんの体調管理が最優先ですから、お義母さんに来てもらって心強いですよ」

裕子さんは、僕を見てコロコロと笑う。

「今時の若者は家庭を大事にするというのは本当なのね。流行りのイクメンになってくれそうで心強いわ」

裕子さんは僕の背中をバンバン叩きながら、キョロキョロと周囲を見回した。

「ここはまるで映画のスペースウオーズに出てくる宇宙港みたいね。チヨーバッカみたいなエイリアンがいても違和感ないと思えるわ」

「いいえ、流石に宇宙人はいないと思いますよ」

僕が指摘すると、彼女は悪びれずに答える。

「田舎者にとってはそんなものよ、ところで山葉は出産に向けて摂生しているかしら」

「もちろんです。産婦人科のドクターの指示通りにちゃんと健康管理していますよ」

裕子さんは相好を崩して僕に言う。

「本当? 山葉は妙に理屈っぽくて素直に人の言うことを聞かないところがあるから、不摂生なことをしているのではないかと心配していたの。お医者さんの指示通りにするなんて、少しは母としての自覚が出来たのかしら」

「そうだと思いますよ。おなかの赤ちゃんのための健康への気配りは、僕が見てもびっくりするくらいです」

僕は裕子さんに山葉さんお近況を説明しながら、WRX-STIを止めた駐車場へと案内する。

裕子さんが山葉さんの実家がある四国から上京したのは、山葉さんの出産に備えて身の回りの世話をするためだが、彼女は出産後もしばらくの間は赤ちゃんの世話を手伝ってくれるつもりらしい。

「お義父さんを一人で残してきて心配ではありませんか」

僕が尋ねると、裕子さんは片手をひらひらと振って見せながら言う。

「大丈夫、あの人は若い頃東京で一人暮らしをしていた時期もあるから自分で生活するくらいは何でもないの」

裕子さんは軽く答えると屈託のない笑顔を浮かべる。

WRX-STIを止めた駐車場に到着したので、僕は彼女につられて微笑みながら荷物をトランクルームに収めると、カフェ青葉への帰途に就いた。

僕がガレージに車を止めると、山葉さんは物音で気づいて既に待ち構えていた。

山葉さんと裕子さんの会話はご当地の方言で交わされたので、僕は不覚にも半分も理解できなかった。

山葉さんが心配そうに何か言うのを母親の裕子さんが「かまんかまん」と受け流しているのが印象に残る。

かまんとは、構わないとか気にしなくてもいいという意味合いで使われている言葉だ。

山葉さんは、二階にあった空き部屋に裕子さんを止めるつもりで準備したところで、裕子さんの手荷物を部屋に持ち込むと生活できる状態に整えているようだ。

裕子さんの部屋が整えられると、次は裕子さんが僕と山葉さんの居室に乗り込んできた。

裕子さんは山葉さんに出産に先立つ注意事項を説明しているのだが、母と娘のコミュニケーションは濃い上にスピーディーで僕はとてもついていけない。

僕は、お店の様子を見に行くと二人に言って階下に降りた。

カフェ青葉は今では山葉さんがいなくても機能できるように仕事のシフトが組まれており、専属スタッフの田島シェフと祥さんを中心にしてアルバイトの沼さんと木綿さんがフォローしている。

しかし、沼さんと木綿さんにかかる仕事のウエイトが重くなるにつれて、二人が学校行事で抜ける場合の穴埋め要員の確保が必要となっていた。

「ウッチーさん、今日はお休みでしょ。上でゆっくりしてくれればいいのに」

祥さんが僕の姿を認めて気遣ってくれ、オーダーの料理を受け取りに来ていたらしい木綿さんが厨房の入り口から顔を出す。

「ウッチーさん、教養部の学生にアルバイトの募集かけたら、どうにか三人ほど集まったのですけど、予定通りに金曜日の夕方に面接のセッティングをしていいですか」

「もちろんいいよ。どんな学生が来てくれるのかな」

僕は懸案事項が解決しそうな気配にホッとして尋ねたが、木綿さんはニヤリと笑って曰くありそうな表情で僕に告げる。

「そこはやはり今時の若者ですからね。使えるようになるまでにはちょっと教育する必要がありますよ」

僕は木綿さんがアルバイトを始めた頃を思い出して、君が言うセリフじゃないよと言いたくなったが、自分自身の初アルバイトの頃を思い出して口をつぐんだ。

木綿さんは物わかりのいい親父的にニコニコしている僕を見て小さくため息をつくと、お店のほうを指さした。

「お店の仕事は私たちで回せるから、ウッチーさんにお相手をしてほしい人がいるんですけど」

僕は怪訝に思って木綿さんに尋ねる。

「僕に相手をしろって一体誰のことなんだ」

「それは会ってみればわかりますよ」

木綿さんに代わって、祥さんが僕の手を引っ張って店内に導き、僕はカウンター席で忙しい木綿さんたちを世間話に引き込もうと頑張っている問題の人物と対面した。

「阿部先生、ご無沙汰しています」

僕が挨拶すると、細川オーナー時代からの常連客の阿部弁護士はホッとした表情を浮かべる。

「内村君、新顔の祥ちゃんや、木綿ちゃんは冷たいんやで。僕が話しかけても生返事をするだけですぐにどこかに行ってしまうんや」

「いやそれは、モーニングサービスの時間帯だから本当に忙しいんですよ」

本当のことなので、僕は当然のように祥さん達を擁護するが、阿部先生は引かなかった。

「やまちゃんだったら、忙しくても仕事の合間にちゃんと僕の話を聞いてくれたで。今日は特に彼女に相談したいことがあって来たんやし」

僕は阿部先生が山葉さんに相談があって来たと言ったことに、俄かに興味を覚えた。

阿部先生は今までに一度ならず、心霊がらみの案件を持ち込んで、山葉さんと僕がどうにか解決してきた経緯がある。

「彼女なら二階にいますけど、一体何の相談に来たのですか」

「やっぱり、内村君はちゃんと話に食いついてくれるな。話というのは僕の依頼者の子供が常識では考えられないような能力を示すことなんや」

僕は自分がすでに阿部先生の術中にはまったことを自覚していたが、そこまで聞いてしまったら続きを聞かないわけにはいかなかった。

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