第181話 額縁の向こう側

カフェの仕事が終わった後、僕はお店のバックヤードの階段を登った。

2階の廊下にはさまざまな大きさの段ボールや家具が所狭しと置いてある。春からカフェ青葉で働くことになった小沼さんが2階の使っていなかった部屋に住むことが決まり、荷物が送られてきたところなのだ。

彼女は交通事故で両親と姉を失ったが、祖父母は健在だ。孫娘が遠くに引っ越すことになったため、彼女の祖父母があれもこれもと買い揃えた気配が濃厚に感じられた。

僕は久しぶりに山葉さんの部屋に泊めてもらうつもりで彼女の部屋に入ってベッドに腰かけた。パステルカラーが基調の彼女の部屋には問題の油彩画が置かれている。

僕はすっかりなじみになったクマのぬいぐるみと並んでベッドに腰かけて、絵をじっくりと眺めてみた。

油彩画の少女の顔には少し緊張気味の表情が見て取れる。ポーズをとって油絵のモデルになったとすれば緊張するのは無理もないが、少し悲しげな表情にも見えるのが気になった。

「その絵には霊的な波動は感じられない。何故幽霊の話が伝えられているのか不思議な気がするね」

いつの間にか部屋に入って来た山葉さんが僕の脇に立って絵を見下ろしていた。

「霊ではないとしたら、この絵に描かれた少女の思念が残っているのかもしれませんね」

「ふむ、ウッチーがサイコメトラー能力を発揮したら、幽霊話の謎が解けるという事なのかな」

山葉さんは生真面目な表情で油彩画の少女の顔を見つめる。

ポートレイトの描き方も様々で日常を映し込んだように詳細に背景を書いたものもあれば、単色に濃淡をつけて表現する場合もある。

少女を描くのにダークブルーを基調にした寒色で背景を仕上げるのは意外な気がするが、僕は芸術には詳しくないので是非はわからない。

「ところで、私をウッチーの両親に紹介してくれる話だが、ご両親にどういう形で話をしているか教えてくれないか」

山葉さんは話題を変えて僕に質問した。

これまで、彼女の部屋にお泊りする時は実家には雅俊の部屋に止めてもらうと説明していたのだが、雅俊が卒業して就職するのでその口実は使えなくなってしまう。

僕は下手な嘘をつくよりもこれを機会に山葉さんの存在をカミングアウトする決断をし、明日彼女を両親がいる実家に連れて行くことにしたのだ。

「付き合っている人がいるので会ってくれと話しました」

僕の言葉を聞いて山葉さんが引くのがわかった。

「そんな単刀直入な言い方をしてしまったのか?私は一体どんな顔をして会いに行けばいいのだ。ご両親だって驚いたのではないか?」

山葉さんが難色を示すのを見て、その話をしたときの母親の反応を思い出した。

お茶を飲んでいた母は僕の話を理解すると、湯飲みを取り落としたのだ。

母の手をすり抜けた厚みのある陶器の湯飲みはこたつの天板に高台を下にして落下したが、木の特性のおかげで割れもしないでわずかに跳ね上がった。

跳ね上がった湯飲みは弾道の頂点に到達し再び落下するが、中身のお茶は慣性によってさらに上昇を続けて盛大に飛び出していく。

お茶が手にかかり、あち!あち!と大騒ぎする母。

そしてこぼれたお茶を拭くために布巾を取りに行く父。

二人が落ち着いて僕と話ができるようになるまでには少しばかり時間を要した。

「少し驚いたみたいですね」

僕は控えめな表現を選んで伝えたが、彼女は雰囲気を察したらしく、自分のお腹を押さえて体を折った。

「いてて、お腹が痛くなってきたでしゅ。明日のお出かけは中止にするのですう」

彼女は僕の隣に腰かけて腹痛を訴えるが、言葉遣いからして彼女に似つかわしくないし、どう見ても仮病だ。

「駄目ですよ。両親と面会時刻まで決めて予定を組んでいるから、欠席なんて不可能ですよ」

「ヤダ!」

山葉さんは抵抗を続けるが、僕は篭絡するべく彼女の背中に手を回した。もう片方の手であごに手を添えて彼女の顔をこちらに向かせて、自分の顔を接近させる。

「わがままを言わないで、つとめを果たしなさい」

僕に咎められる理由は何もないはずだが、彼女は観念したように目を閉じかける。

その時、彼女の視野に少女を描いた油彩画が入ったようだ。

「あの絵がこっちを見ているみたいでちょっといやだ」

僕は彼女がデリケートなことを言い始めたので苦笑しながら立ち上がると、油彩画をベッドに立てかけた。

「これで見えませんよ」

彼女が無言でうなずいたので、僕はゆっくりとベッドに腰を降ろすと続きに取り掛かった。

その夜、彼女と並んで眠りながら僕はいつしか夢の世界に入り込んでいた。夢を見ている時特有の頼りない気分で知らない家の中を歩いていると背後に人の気配を感じる。

振り返ってみるとそこには巫女姿の山葉さんが立っていた。

「ここはいったいどこなんですか」

僕の夢の中に登場するとき、山葉さんは高校生の姿に戻っている。退行しているのか、若返っているのか微妙なところだ。

「端的に言うと、僕が見ている夢の中だと思いますよ」

僕の言葉は状況の説明になっていないが、彼女は反論もしないで言葉を続ける。

「夜は熟睡しないと美容に悪いんです。むやみに私を呼ばないでください」

「ごめん。今度から気を付けます」

僕が謝ると、彼女は鷹揚にうなずくと眠そうにあくびをした。

僕たちは当てもなく家の中を歩き続けるが、

家の作りは洋風で古い洋館を思わせた。

そして趣味が良い家具調度が整頓して配置されている。

やがて、僕の耳に微かに人の声が聞こえ始めた。

歩くにつれて声は大きくなっていく。

それは小さな女の子が泣き叫ぶ声と、声高に怒鳴りつける大人の女性の声のようだった。

「子供の泣き声が聞こえる。助けに行かなければ」

山葉さんは巫女姿の袂から棒の先に式神を付けた御幣を取り出すと、両手で掲げながらそれがまるで探知機であるかのように、体ごと向きを変えつつ進んでいく。

僕たちはやがて、洋館の地下にある、殺風景な広い部屋にたどり着いた。

そこでは母親らしき女性が、小さな女の子を床に正座させて怒鳴り散らしていた。

女の子は僕たちの姿を認めて、助けを求めるように視線を向けてくるが、母親らしき女性は僕たちに注意を払わない。

「どうして私の言うことを聞かないで、違うことばかりするの。」

詰問された少女は正座したままで下を向いた。

「ごめんなさい、もうしません。ごめんなさい、もうしません。」

少女は呪文のように呟いているが、頭上から睨み付ける女性は少女の言葉を聞いて、更に逆上した。

「何がごめんなさいだ。ふざけているのか」

母親らしき女性は、正座した少女を足蹴にした。

彼女は腹を強く蹴られて、蛙の鳴き声のような音を漏らして床に倒れた。

「やめて、そんなひどいことをしないで。」

山葉さんは母親らしき女性が更に蹴りを入れようとした時、少女と女性の間に立ちふさがったが、女性は何の抵抗もなく山葉さんの体を通り抜けた。

「触れることができない?」

山葉さんは立ち上がると御幣を手にして何かつぶやき御幣を素早く振った。同時に女性は動きを止めて立ちすくんだ。

「急に気分が悪くなった。どうしたんだろう」

女性は片手で口を押えると、もう片方の手で壁に寄りかかり忌々しそうに少女をにらんだが、よろめきながら1階へと続く階段を登って行った。

「何をしたんですか」

僕が尋ねると、山葉さんは得意げに御幣を振って見せる。

「初歩的な呪詛を飛ばしてやりました。彼女は丸一日くらい吐き気とお腹の調子の悪さを感じて乱暴する元気はなくなるはずです」

僕は彼女がそんな技も使えることに感心するが、床に倒れた少女が苦しそうに身じろぎしたことに気が付いた。

山葉さんは床にしゃがんで少女をのぞき込む。

母親らしき女性は僕たちを見ることもできず通りぬけていたのに、少女は僕たちを視認していることが見て取れる。

「大丈夫かな?今のはお母さんなの?」

山葉さんの問いかけに少女は弱々しくうなずいた。

僕は夢の中で母親に虐待される少女を目の当たりにして、手をこまねいているだけだが山葉さんは行動を起こした。

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