第149話 秘密の暴露

「僕も夢を見ていました。夢の中に山葉さんも登場していましたよ」

「そうなのか?おぼろげに記憶があるがなんだかはっきりしない」

山葉さんはパソコンを立ち上げながら、僕と他愛のない会話に興じている雰囲気だ。

「それが、山葉さんは女子高生の姿だったんです。セーラー服が初々しかったな」

「やめろ、それは寝る前に見た私の卒業アルバムの記憶とウッチーの嗜好の産物だ」

彼女は心なしか顔を赤らめながら振り返った。

「それだけではなくて、夢に奈々子さんの伯母さんの明日香さんが表れたのです。前に見た時と同じで部屋で僕が話をしている時に山葉さんが乱入してきたのです」

「ウッチーの夢だろ。私のせいみたいに言わないでくれ」

そこまで言って彼女は僕の言った内容に気が付いたようだった。

「明日香さんだって?」

「僕は彼女が奈々子さんを操って事件を起こしたのではないかと思っていました。でも彼女は違うというのです。明日香さんはこれまでに奈々子さんに乗り移って操っていたことがあると言っていましたが、事件への関与は否定して、さらに問い詰めようとしたら山葉さんがセーラー服姿で乱入してきたのです」

「私を沼ちゃんみたいに登場させないでくれ。それで結局どうなったのだ?」

山葉さんは起動したラップトップパソコンで、メールソフトの受信画面を開いたまま、僕に問いかける。

「その時、彼女の周辺の世界が赤黒い靄に覆われはじめて、彼女自身の姿も崩壊し始めたのです。明日香さんは、奈々子さんは周囲を巻き添えに自滅しようとする生霊にかかわっているから助けてやってくれと言っていました」

「ふーん。その状況を考えると、明日香さんは新しい命に生まれ変わろうとしていたのかもしれないね」

僕は、ため息をついて彼女に答える。

「夢の中に現れた山葉さんも同じことを言っていましたよ」

山葉さんはピクリと動いてから、僕の顔を見つめた。

「それでは、ウッチーの夢に現れたのは本当に高校生バージョンの私だったのか」

「そういうことだと思いますよ」

夢の中では、子供のころの自分になり切っていることがある。彼女もその例に漏れないようだ。彼女は咳払いをすると話を元に戻した。

「明日香さんは自分の生前の夢を叶えるために、奈々子さんの体を乗っ取る誘惑に駆られて実際にそれに近いこともしていたが、奈々子さんも巻き込んで犯罪行為までは行わなかったという事だな」

山葉さんは言葉を切ると、どうしても気になる様子で僕に尋ねた。

「高校生の私はどんな風に見えた」

「すごくかわいかったですよ」

僕がクスクス笑うと彼女は眉毛を下げた情けない表情で僕に言った。

「やめろ。その記憶を反芻しないでくれ」

「別にいいじゃないですか」

「いやだ。そのころの青臭い自分は決してウッチーに知られたくなかったのだ」

追及するのも面白そうだが、彼女が本気で嫌がっているようなので僕は話題を変えることにした。

「美咲嬢からはどんな資料が届いているんですか」

山葉さんはラップトップに向き直るとファイルを開き始めた。

「彼女が言っていた、統合失調症用に限定的に使われているモノアミン酸化酵素阻害剤の医療従事者向けの情報だな。投薬治療中にチラミンを含む食品を摂取するとチラミンの分解を阻害するため、中毒症状を起こす恐れがあると書いてある」

チラミンと言われてもなじみのない物質名だ。僕は彼女の肩越しにパソコンの画面をのぞき込みながら尋ねる。

「チラミンってあまり聞かないけど何に含まれているのでしょうね」

「美咲嬢がその答えを用意してくれたようだ。チラミンを含む物質一覧というファイルがあるよ」

山葉さんは同じメールに添付されていた表計算ソフトのファイルを開いた。

「なになに、チラミンを含む食品は、赤ワイン、熟成チーズ、チョコレート・ココアなどのカカオ製品、漬け物類、発酵食品、薫製魚・・・」

ファイルに記載された食品を読み上げていた山葉さんの声が途切れる。

僕もその中に含まれる食品を昨日野田先生のお宅を訪ねた時に聞いた覚えがあった。

「赤ワインと、チーズ」

僕が記憶に残る食品名を口にすると、山葉さんがうなずく。

「小島さんが倒れる直前に口にしたカレーライスにもチラミンが入っていたわけだな」

山葉さんが可能性の一つとして考えた薬物との食べ合わせによる中毒死の可能性はにわかに現実味を帯び始めていた。

「でも、小島さんがそのモノアミン酸化酵素阻害剤を服用していたかはわからないのですよね」

「もちろんそこから確かめよう。そしてもし問題の薬剤とチラミンの併用が彼女の死に結び付いたのだとしたら」

山葉さんはパソコンの電源を落としながら、僕の顔を見た。

「梓さんが、小島さんが服用している薬の情報を知りえたか、そしてカレーライスに故意にチラミンを含む食品を加えたかどうかが焦点だ」

僕は梓さんの穏やかな表情を思い出して、何かの間違いだろうと首を振った。

翌日はカフェ青葉の営業日だ。僕も朝からアルバイトに入り山葉さんも普段通り働いていた。しかし、彼女は仕事の合間に町田さんに連絡を取っていた。

自分たちが気付いたことをかいつまんで彼に話して、確認を頼んだのだ。

やがて、カフェ青葉のモーニングサービスの時間が終わろうかという頃に、山葉さんのスマホに着信があった。

彼女のスマホは接客中はマナーモードにしてあるが、近くにいるとバイブレーターの音でそれとなくわかる。

お店のバックヤードで通話して戻ってきた彼女は、僕に告げた。

「町田さんからだ。小島さんがモノアミン酸化酵素阻害剤の投薬治療を受けていたことが確認できたそうだ」

「それでは、次は梓さんに事情を聴くのですか」

僕は食器を洗っていた手を止めて尋ねる。

「ああ、今日の午後彼女のお宅を訪ねるが、その時に私たちにも立ち会ってほしいと要請が来た」

山葉さんは平板な口調で告げるが、僕は少し意外だった。

「何故、僕たちにも要請が来るのでしょう」

「彼が言うには、昨日の会話が糸口になりそうだから同席してほしいという事だ」

僕たちが断わるわけもなく、急遽出かけることになった。そしてお店のフォローのために午後の時間帯のアルバイトが招集された。

急な話なのに、駆け付けてくれたのは沼さんと木綿さんのコンビだ。

僕たちは細川オーナーと後輩二人にお店を頼んで、再び脚本家の野田先生のお宅を訪ねることになった。

午後1時を回ったころに、町田さんが僕たちを迎えに来た。今日は同僚の女性刑事も同行している。

僕たちが、覆面パトカーに乗り込むと、町田さんは運転しながら山葉さんの連絡を受けてからの顛末を語った。

彼は、小島さんの精神科の治療履歴を調べて問題の薬剤を服薬していたことを確認し、監察医にも照会したという。

「検察医からあなたが言った通りの中毒の可能性もあると聞いて驚きましたよ。まさか薬と特定の食べ物の組み合わせで人が体調を崩すことがあるとは思いもよりませんでした」

その時、町田さんが急ブレーキを踏んだので、後部座席にいた僕たちは衝撃で前のシートの背もたれに叩きつけられた。

「いったいどうしたんだ」

山葉さんが頭をさすりながら町田さんに聞くと、彼は怪訝な表情で周囲を見回した。

「すいません。道路わきから人影が飛び出したような気がしてブレーキを踏んだのです」

「私は前を見ていたが、そんなものは見えなかったよ」

山葉さんに指摘されて、町田さんは首をひねりながら再び車を走らせる。

町田さんは首都高速道路に乗って目的地を目指したが、山手トンネルの右側車線を走行している時に、僕はあり得ないものを目にした。

「町田さん前から対向車が」

高速道路は一方通行なのでトンネルを対向車が来ることなどありえない。あるとすれば間違って進入した逆走車両なのだ。

正面から接近する乗用車のヘッドライトはあっという間に目の前に迫っていた。

ぶつかる寸前まで来た時、町田さんは素早くハンドルを切る。

タイヤが甲高い音を立て、僕たちは右に左にと振り回されたが、覆面パトカーは並走する車両と逆相車両のわずかな隙間をすり抜け、再び元の車線に戻って姿勢を立て直していた。

町田さんは素早く周囲を確認して舌打ちをする。

「Uターンして追うには後続車両が多すぎる。松村、高速隊に緊急通報しろ」

「はい」

助手席にいた女性刑事は警察無線で通信を始めた。テキパキと状況を伝える彼女の声を聴きながら僕は山葉さんにつぶやいた。

「高速道路の逆走車両って本当にいるんですね」

「町田さんがうまくかわさなかったら、全員即死だったかもしれない」

いつもは物事に動じない山葉さんが、茫然とした様子で答えた。

高速道路をおりた町田さんは脚本家の野田先生のお宅の近くで、駐車場に車を入れようとしたが、入り口で従業員に制止された。

「すいません。タワーの機械が不調なので少しお待ちいただけませんか」

「いやいいよ、他をあたるから」

町田さんはパーキングを出ると、直接野田先生のお宅に向かう道をたどり始めた。

「松村、悪いが邪魔にならないところで待機していてくれ。」

「了解です」

町田さんが同僚に指示する。どうやら野田先生のお宅まで乗り付けて、事情聴取の間は彼女が車で待機することになりそうだ。

野田先生のお宅の前で僕たちを降ろすと、松村さんが運転する覆面パトカーは走り去った。

町田さんは玄関先に向かおうとして、ふらついたようにして立ち止まった。

「どうしました、大丈夫ですか」

僕が声をかけるのを、町田さんは片手をあげて制止する。

「大丈夫だ」

町田さんは額に汗を浮かべながら玄関のインターホンを押す。

野田先生の奥さんの梓さんは昨日と変わらぬ様子で僕たちを迎えた。

僕たちは応接間に通されたが、今日は町田さんが主導権を持って話を進めようとする。

「実は新しい事実が判明しました。死亡した小島さんは精神科で投薬治療を受けていたのですが、その薬を服用中は特定の成分を含む食品の摂取は制限されるのです。誤って摂取してしまうと重篤な副作用が生じる場合がある。あなたはそのことをご存知ですか」

梓さんは町田さんの質問に平然とした表情で答える。

「いいえ、小島さんがチラミンの摂取を制限されているとは知りませんでした。そもそも、他人に精神病院に通院していることを率先して話したりしないでしょう」

彼女の言い分はもっともだと思えた。

「そうですか。小島さんは食事制限には気を付けていたはずなのですが、あなたの作ったカレーに制限のある物質が多く含まれていたのが体調を崩した直接の原因のようです。要するにカレーの味にごまかされてその中に問題のある成分があることまで思い及ばなかったのですね」

「ですから、私にそこまで気を回せと言われてもそれは無理というものでしょう」

梓さんは迷惑そうに首を振る。実際、自分が作った料理で人が死んだと言われたら少なからず気分を害するはずだ。

その時山葉さんが口を開いた。

「待ってください。今あなたはチラミンという言葉を使いましたね。町田さんは特定の成分という言い回しを使っていたのだから、すくなくともあなた自身がチラミンと中毒症状の関連を知っていたのではありませんか」

町田さんがぎょっとしたように振り返った。

「あらそうだったかしら。私の義母がパーキンソン病を患っていたのでその治療薬のせいでチラミンを含む食品の摂取を制限されていたの。その話と一緒になってしまったのね」

彼女は平然と釈明するが、今度は町田さんが質問する。

「それでは、あなたはチラミンを含むと知っていてカレーにチーズなどの食品を加えたのですね」

梓さんは沈黙した。町田さんは静かな口調でさらに彼女を問い詰める。

「あなたは何らかの方法で小島さんがチラミンの摂取を制限される薬の投与を受けていることを知ったうえで、彼女に気付かれにくい調理方法で食べさせようとしたのではありませんか」

町田さんは具合が悪そうに汗を浮かべているが、彼女を自白に向けて追い詰めようとしていた。

それ以上決め手がないので、否認されたらそれまでなのだが、彼は勝負をかけたのだ。

うつむいて黙り込んでいた梓さんは、ゆっくりと話し始めた。

「あの娘は私の夫と肉体関係がありました。演技指導を受けると称して尋ねてきては私の目を盗んで夫との関係を重ねていたのです」

「どうしてそのことに気付かれたのですか」

山葉さんが、静かな口調で尋ねる。

「あの娘はどこか雑な性格だったのですね。セリフの読み合わせに使う部屋や応接室にそれとわかるゴミを残していくのですぐにわかりました。いつか現場に踏み込んでやろうかと思ってる時に、彼女が残したごみの中から錠剤の包装を見つけたのです。それは私の義母が飲んでいるものと同じ薬品名が書かれていました」

山葉さんがため息をついた。

「やはり、小島さんが中毒になる可能性があることをご存知の上で、チラミンを多量に含んだカレーライスを作られたのですね」

梓さんはゆっくりとうなずいた。

僕は、昨日訪ねた時に『魔が差してチーズを入れた』と言った時の彼女の顔を思い出す。今思えば、その時僕が考えていたのとは全く違う意味合いで魔が差したのだ。

「野田梓さん、署までご同行願えますね」

町田さんが立ち上がって告げると、梓さんはゆっくりとうなずいて誰に言うともなくつぶやく。

「私も演劇を志したことがあったから、あんな方法で主役の座を自分のものにしようとする人が許せなかったのよ」

その時、家の中がガタガタと揺れ始めた。壁にかかっていた絵が床に落ちて大きな音を立て、本棚からは何冊かの本が転げ落ちる。

「ポルターガイスト現象だ。生霊があきらめきれずに暴れているのだ」

山葉さんがつぶやいた。

やがて、彼女が浄霊を行うまでもなく家の中の騒音は静まり、町田さんは梓さんを任意同行の形で鮫洲署まで連れて行った。

数日後、僕は山葉さんとカフェの雑用に明け暮れていた。忙しいとはいえ、夏休みは彼女と一緒に過ごせる時間が多くなるのがうれしい。

「2回目に野田先生のお宅に行こうとしていろいろなトラブルに見舞われたのは生霊の仕業だったのですか」

僕は食器洗浄機から出したカップを仕上げ拭き師ながら山葉さんに聞く。

「おそらくそうだろう、健康優良児みたいな町田さんが体調を崩して青い顔をしていたのもそのせいに違いない」

「生霊というのは本人の意思とは関係なく動くものなのですね」

山葉さんはラテマシーンの掃除をしていた手を止めた。

「生霊とは人間の潜在意識と欲望が顕在化したものかもしれない。そしてそちらの方が往々にして力が強いのだね」

その時、カフェ青葉の入り口から見覚えのある二人連れが入ってきた。

殺人事件の嫌疑が晴れた奈々子さんと坂田警部だった。

「本当にお世話になりました。おかげさまでこうして一緒に出掛けることができます。」

坂田警部が堅苦しい雰囲気で礼を言う。

山葉さんは笑顔で答えた。

「大したことはしていませんよ。それよりも、事件のあおりで奈々子さんが出演する予定だったドラマが制作中止になったのは残念ですね。」

奈々子さんはフフッと笑うと、楽しそうな表情で言う。

「いいえ、安定期に入るまではドラマ撮影は無理だったと思うからもうあきらめがつきました。」

彼女は自分のおなかに軽く手を添えて見せる。

僕と山葉さんは数日前に見た夢に現れた明日香さんを思い出して顔を見合わせた。

「おめでとうございます。いつごろの予定ですか」

山葉さんは明るい表情で彼女に聞く。

「来年の春頃です。でもおなかが目立つ前に式も挙げたいですね」

奈々子さんの言葉に坂田警部が照れくさそうな微笑を浮かべた。

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