第131話 アールグレイの香り

「それにしても見事なバラですね」

山葉さんは平静な顔で女性に話しかける。

「ありがとうございます。主人が亡くなってからこれだけが楽しみなものですから」

女性は穏やかな笑顔を浮かべた。

自分が丹精したバラを褒められて悪い気がする人はいない。

「私は須崎陽子といいます。この家に一人住まいなんです。よかったらラジコン飛行機を探す前にお茶でも召し上がりませんか」

彼女は一人住まいなので、話し相手が欲しいのかもしれない。

「せっかくなので頂きます。私は別役山葉と申します」

僕は無意識のうちに持っていた大きな植木鋏を背中に回して彼女の視線から隠していた。それを持っているところを見られたら、鋏を使ってバラを盗もうとしていたと思われそうな気がしたからだ。

僕は案内してくれる陽子さんの後姿を見ながら、彼女が俊樹さんを封じ込めてしまったのだろうかとひそかに考える。

僕達は洋館風の家の中に案内され、リビングルームに通された。

陽子さんが居室として使っている部屋らしいく、フローリングの上に趣味の良いソファーやローテーブルが置かれ、すっきりと片づけられている。

しかし僕はその光景に違和感があった。

違和感の原因を探して、僕は部屋のあちこちに視線を投げる。

レースのカーテンが開けられた窓の外には先ほどまで僕たちがいた赤いバラが咲く庭園が見ていて、フロアには観葉植物の鉢植えが見える。

リビングルームの壁際には、小さな本棚とオーディオラックが置いてありその上には32インチくらいの小ぶりなテレビが置いてある。

僕はそのテレビに目を止めて、それがブラウン管テレビだと気が付いた。液晶のスクリーンタイプのテレビに比べると、奥行きのあるフォルムが特徴的だ。

テレビの下の棚には録画用のデッキが見えるが僕の記憶が正しければそれはVHS形式のビデオテープデッキだ。

陽子さんはお茶を用意すると言い残して奥にあるキッチンに行き姿が見えない。

「山葉さんあのテレビ」

僕は低い声で山葉さんに囁いた。

「私も気が付いていた。あれは地上波デジタル放送に切り替わる前に使われていたアナログ放送用のブラウン管テレビだ。」

僕は春の穏やかな気候なのに頭の芯から背中にかけて冷たく感じる。

「地上波の放送がデジタルに切り替わったのはいつでしたっけ」

「2011年からだ。ウッチーが中学生の頃ではないかな」

僕と山葉さんの会話を聞いて木綿さんは表情を硬くする。その横で山葉さんはソファーから立ち上がると庭園が見える窓際に歩み寄った。

彼女は床まであるアルミサッシに手を触れてさりげなくロックを外す。

「何故ロックを外したんですか」

僕の質問に対する彼女の答えは不可解なものだった。

「私がここを開けておかないと、さっきの私たちが窓を開けられないような気がしたのだ。」

彼女は謎めいた微笑みを浮かべて再び窓の外を眺めたが、その時彼女の顔から微笑が消えた。

「木綿ちゃん。あそこにいるのは俊樹さんではないのか」

山葉さんの声を聴いた木綿さんは弾かれたように立ち上がった。

窓際まで駆け寄った木綿さんは叫んだ。

「俊樹」

木綿さんの声が大きかったので、僕はキッチンにいる陽子さんに聞こえたのではないかと思い振り返るが、陽子さんが戻ってくる気配はない。

僕自身も椅子から立ち上がって窓際に行こうとしていると、木綿さんは窓のアルミサッシを思い切り引き開けた。

そして木綿さんが窓から顔を出した瞬間、周囲は白い光に覆われた。

僕は光が薄れてからも、自分の目がおかしくなったのかと思って目をこする。

周囲が急に薄暗くなり同時に何もかもが白っぽくなったと感じたからだ。

やがて僕は、白っぽいのが家具やフローリングを覆ったほこりのためだと気が付いた。

つい先ほどまできちんと片づけられて掃除が行き届いていた部屋は、全ての物が厚いほこりに覆われている。

椅子から立ち上がった僕は自分が靴を履いていることに気が付いて愕然とする。

ほんの少し前に、陽子さんに案内されて玄関で靴を脱いでスリッパを履いてリビングルームまで歩いた記憶があるからだ。

しかし、僕の足もとにはスニーカーの足跡が残っていて、それは庭に面した窓まで続いていた。

足跡が続く窓際にはレースのカーテンがかかり半分ほど開いたカーテンの横に山葉さんと木綿さんがたたずんでいた。

僕は椅子から立ち上がって、窓際の二人の横まで移動した。

窓の外には荒れ果てた庭が見える。

「もう帰りたい」

僕がぽつりとつぶやくと、木綿さんが振り返って僕の顔をキッとにらんだ。

「先輩、俊樹がいるのが見えたんですよ。助け出す方法を考えてくださいよ」

彼女は僕の胸ぐらをつかんでセリフに合わせてゆっくり揺らすので、僕の頭はグラグラと前後に揺れる。

「悪かった。何か方法がないか考えよう」

僕が慌てて謝ると、彼女はやっと僕のシャツから手を放す。

思案顔で庭を眺めていた山葉さんは平板な口調で言う。

「この窓がカギになりそうだな。一度庭に出てみよう」

僕達は窓ガラスを開けると、庭に降りた。そこにはぎっしりと雑草が生えていて僕たちが植木鋏で切り開いた道が残っている。

僕達は3人とも靴を履いたまま窓からリビングルームに侵入した格好だった。

山葉さんは一度窓ガラスを閉めると庭に向き直る。

「ここから繋がるどこかの時空間に俊樹さんがいることだけは、はっきりしたわけだ。他の場所を捜索しても彼が出てくる可能性はない。」

彼女が総括するようにつぶやいている横で僕は何気なく家の方を振り返った。

つい先ほど家の中まで案内してくれた陽子さんの紫色のワンピースの小さな花柄の模様や、履いていたスニーカーのブランドマークまで記憶に残っているので、そこにいそうな気がしたのだ。

しかし、僕の目に入ったのは別の存在だった。

僕達が半分開けていたカーテンの隙間から長い黒髪と白いドレスの女性がこちらを覗いている。そして、その眼は赤く輝いていた。

「山葉さん、またあいつが」

僕は山葉さんのワンピースの袖を引っ張りながら言う。

「やはり出たな」

彼女は予期していたようにつぶやいて、リビングの窓に向き合うと躊躇なく開けた。

最初の時と同じように赤い目の女性はユラリと動いて僕たちの方に向かってくる。

「さあ、もう一度俊樹さんがいるところに案内してもらおうか」

山葉さんが今度は恐れる風もなく女性の肩に手を置く。

その時、周囲が白い閃光に満たされ、次の瞬間、家の中から出てきた赤い目の女性の姿は消え失せていた。

僕達が無言で異形の女性の姿が消えたあたりを眺めていると、背後の庭の方から声が響いた。

「うちに何か御用ですか」

僕たちは声の主の方を振りむいた。

そこには手入れの行き届いた大輪のバラの花が咲き乱れる花園が広がっていて、陽子さんが、両手を腰に当てて僕たちを見つめていた。

「すいません。実は高校生の弟がラジコン飛行機で遊んでいてここに落ちたというもので探させていただこうと思っていたのです」

山葉さんが先ほどと同じように言い訳をするが、ドローンの文言はラジコン飛行機に言い換えている。

「ああ、それでしたら探していただいてもかまいませんよ。ただし花壇には入らないでくださいね」

陽子さんは先ほどと同紫色の小さな花柄時のワンピースにエプロン姿で、足元はスニーカーだ。

しかし、僕たちを家の中まで案内したことは記憶にないらしい。

「それにしても見事なバラですね。」

山葉さんは何食わぬ表情で陽子さんに話しかける。

「ありがとうございます。主人が亡くなってからこれだけが楽しみなものですから」

陽子さんは再び穏やかな笑顔を浮かべた。

「私は須崎陽子といいます。この家に一人住まいなんです。よかったらラジコン飛行機を探す前にお茶でも召し上がりませんか」

山葉さんは待ち構えていたように答えた。

「せっかくなので頂きます。私は別役山葉と申します。」

僕も彼女に習って先ほどと同じように大きな植木鋏を背中に回して隠すと、陽子さんが家の中に案内する後に続いた。

リビングルームに案内された僕たちはソファーに座り、陽子さんはお茶の用意をしてくると言ってキッチンがある廊下の奥に下がった。

その瞬間、木綿さんは立ち上がって庭に面した窓に走っていた。

彼女は、窓のロックを開けると乱暴に引き開けて叫んだ。

「俊樹」

その時、僕たちは白い光に包まれ、次の瞬間には僕と山葉さんはほこりまみれのソファーに座っていた。

窓際には木綿さんが茫然とたたずんでいる。外に見えているのは俊樹さんがいるバラの咲き乱れる庭ではなくて、僕たちが侵入してきた荒れ果てた庭のようだ。

「木綿ちゃんだめだよ。もう少し引っ張って次のシナリオに入らないと、彼を救出することはできない」

山葉さんはロールプレイイングゲームの攻略法を教えるように木綿さんを諭した。

「どうすれば良いのですか」

木綿さんは泣きそうな表情で山葉さんに聞く。

山葉さんはソファーから立ち上がると、パンパンとおしりのほこりをはたいてから言った。

「もう一度庭に出てからやり直そう」

山葉さんの提案で僕たちは再び窓から庭に降りた。そこは雑草が生い茂った荒れた庭だ。

僕達が自分たちが出てきた窓を振り返るとそこには、赤い目をした異形の女性の姿があった。

山葉さんは窓に近寄るとガラッと勢い良く開ける。

慣れてきた僕たちは、家の中からユラリと出てきた異形の女性を3人で取り囲んだ。

「早く俊樹の所に連れて行きなさいよ」

木綿さんがぐいと異形の女性の手を掴むと、周囲が白い光に満たされ、次の瞬間家の中から出てきた赤い目の女性の姿は消え失せていた。

僕達が窓ガラスに向かってたたずんでいると、背後の庭の方から声が響いた。

「うちに何か御用ですか。」

僕たちは声の主の方を振りむいた。

そこには手入れの行き届いた大輪のバラの花が咲き乱れる花園が広がっていて、陽子さんが、両手を腰に当てて僕たちを見つめていた。

「すいません。実は高校生の弟がラジコン飛行機で遊んでいてここに落ちたというもので探させていただこうと思っていたのです。」

山葉さんが先ほどと同じように言い訳をする。

「ああ、それでしたら探していただいてもかまいませんよ。ただし花壇には入らないでくださいね」

陽子さんも同じように受け答えをする。彼女の出で立ちは先ほどと同じ、紫色の小さな花柄のワンピースにエプロン姿で、足元はスニーカーだが、僕たちが三度同じことを繰り返していることを意識している様子はない。

「それにしても見事なバラですね」

山葉さんはシナリオを読むように陽子さんに話しかける。

「ありがとうございます。主人が亡くなってからこれだけが楽しみなものですから」

陽子さんは穏やかな笑顔を浮かべた。

「私は須崎陽子といいます。この家に一人住まいなんです。よかったらラジコン飛行機を探す前にお茶でも召し上がりませんか。」

山葉さんは間違うことなく答えた。

「せっかくなので頂きます。私は別役山葉と申します。」

僕は庭の椅子にある俊樹さんのカバンを見つめる木綿さんを促して、陽子さんが家の中に案内する後に続いた。とりあえず、植木鋏は背中の後ろに隠している。

リビングルームに案内された僕たちはソファーに座り、陽子さんはお茶の用意をしてくると言ってキッチンがある廊下の奥に下がった。

「今度はどうしますか」

僕が緊張して尋ねているのに、山葉さんは微笑を浮かべると落ち着いた様子で答えた。

「とりあえず陽子さんのお茶をいただこう。この香りはアールグレイだな」

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