秘密の花園

第128話 失踪

四月も半ばになると、大学のキャンパスは新緑があふれるようだ。

僕は、キャンパス内にある学生生協に行くと、大学の公式サイトからダウンロードしたPDFファイルが入ったSDカードをコイン式のコピー機にセットし、プリントアウトを始めた。

今日は僕が受けている二時間目の講義が休講なのだ。僕は暇つぶしを兼ねて自分の学科の大学院の推薦試験の要綱をチェックしようと思ったのだ。

コピー機から出てきた要項を取り出すと、僕はキャンパス内にあるカフェテリアで10ページを超える入試要項に目を通し始めた。

それによると推薦が受けられる要件としては前年度の成績の指定科目のGPAが3以上必要らしい。

GPAとは大学で履修した科目別の段階評価相当の数値に習得単位数をかけた数字の累計を登録科目で割ったものだ。

僕はおもむろに、鞄の中から3回生の成績表を取り出して、この場で計算を始めるか悩んだ。計算が面倒くさそうなので、帰ってからじっくりやろうかと思ったのだ。

その時、僕は背後に人の気配を感じた

「何してるのウッチー」

後ろに来ていたのは、クラリンだった。その横には雅俊もいる。

同じ授業を履修している学生は僕と同じように時間をつぶそうとウロウロしているのだ。

授業一コマが休講になると、キャンパス外に出て何かするには時間が短すぎるし、ボーッとして待っているには長すぎるので絶妙に暇を持て余す。

雅俊は僕が持っている推薦入試要項を目ざとく見つけた。

「ウッチーって推薦受けられるような成績なのかいいなあ」

「いや、推薦入試でも書類審査と口頭試験はあるよ。それに成績も計算してみないとわからないし」

僕は机の上の成績表にちらっと目線を投げた。

「ちょうど時間があるんだから計算してみればいいじゃない。かしてかして」

雅俊とクラリンは僕を挟んでカフェテリアの椅子に腰を下ろすとそれぞれが書類を見始める。

「ちょっとこれに書き込んでいい?」

僕がうなずいて見せると、クラリンは僕の成績表の必要な科目にチェックして、アルファベットで示された成績を4段階評価に換算した数値に取得した単位数をかけた結果をメモし、最後に彼女はスマホのアプリで数字を合計して、科目数で割る。

僕が面倒くさがっていた処理はあっという間に終了していた。

「うっちー、GPA3以上なんて余裕でクリアしているじゃないの」

「するとウッチーは推薦枠でほぼ無試験で進学できるわけだな」

クラリンと雅俊は口々に言う。

「いや、研究テーマをしっかり考えておかないと口頭試験ではねられるらしいし」

「そんなん、試験がある7月までにしっかり考えればええやない」

僕はもごもごとこれから大変だと思っている課題の部分を話すがクラリンは一蹴する。

「せやな、あとは学部の教官の推薦書が必修やろ。丁度暇やから今から一緒に行って栗田准教授にお願いしようか」

雅俊は勝手に話を進めようとする。

僕はゼミの分属が決定してから頼もうと思っていたので、後日にしようと口を開こうとしたが、クラリンはその気配を察して先回りする。

「ウッチー、先生方に文書を書いていただく時はぎりぎりに持ち込むと大変やから、できるだけ早くお願いしておくほうがええんやで」

どうやら僕は雅俊とクラリンの格好の暇つぶしのネタにされてしまったらしい。

スマホでゼミの事務室に問い合わせたら栗田准教授は対応可能と言うことで、僕は二人に引っ張られるようにして、栗田准教授の部屋にいくことになった。

三人で研究室のある建物まで歩き、オフィスを尋ねると栗田准教授は気さくに僕たちを招き入れた。

栗田准教授のオフィスは雑然としていた。執務机はもとより、四つの椅子が配置された、協議用テーブルの上にも英文の書籍や日本語の古書籍が山積みになっている。

栗田准教授は書籍類を片隅に押しのけてテーブルのスペースを開けながら僕たちに言う。

「みなさんは分属が決まったらここの研究室に出入りするのだから、わざわざ事前連絡をしなくてもいいですよ。今日は何の用なのかな」

「内村君が推薦入試の推薦書のお願いに来たんです」

僕の代わりにクラリンが告げる。

「ああ、ウッチー君なら良く知っているから推薦書を書くのもお安い御用だ。修士課程に進んでくれるなら僕もうれしいよ」

多分、悪い評価はされていないはずだと思っていたが、担当学科の教官に当たる栗田准教授のコメントを聞いて僕は安どした。

「それでは、推薦書はゼミが始まってからお渡しするということでいいかな」

「もちろんです」

僕は慌てて返事をする。出願は6月なのでまだまだ余裕はあるのだ。

栗田准教授の部屋を見回すと、本棚の上の方に見覚えのある和紙の造形があった。細長い和紙を切った細工で、先端部分はドラゴンの顔のように見えなくもない。

僕の視線に気が付いた栗田准教授は笑顔を浮かべた。

「ああ、それは山葉さんにお願いして作ってもらった龍神の式神です。なかなかいいでしょう」

式神は他の栗田准教授の収集品、ニューギニア原住民のお面やブータンヒマラヤのマニ車と並んで独自の存在感を醸し出していた。

栗田助教授にお礼を言ってからキャンパスにもどると、雅俊が僕に話し始める。

「そういえば、木綿ちゃんがウッチーに何か相談したい事があるらしいよ」

「相談ってなんだろう。三日前にも一緒にアルバイトをしたばかりなのになぜその時に話さなかったのかな」

僕はスマホを取り出してカフェ青葉のアルバイトの勤務日程表を呼び出した。

その勤務日程表は、雅俊が作ったものでスマホを使って関係者が各自で入力して日程を調整しているものだ。

「僕は今夜もアルバイトに入る予定だけど、夕方の早い時間は木綿さんがアルバイトに来ているので、交代する時に会えるはずだ」

「それならその時に話を聞いてやってよ。割と深刻な顔をしていたから」

僕は最近会った時の彼女の表情を思い出して首をかしげる。

「特に悩んでいる様子はなかったと思うけど」

「きっと山葉さんとイチャイチャしていて気が付かなかったのよ」

クラリンがニヤリと笑う。

「失礼だな、そんなにイチャイチャしているわけではないよ」

僕は少しむっとした顔をしながら「少なくとも仕事をしている時には」と心の中で付け足した。

夕方になり、僕は下北沢にあるカフェ青葉に向かった。気候が良くなり自宅からバイクで通学していたので、バイクで行くつもりだ。

ジーンズにセーターの大学の授業用の服装の上にMA-1タイプのジャケットを羽織るとそれなりにバイクに乗れる格好だ。

最近愛用しているライディングブーツはスニーカータイプで大学のキャンパスで履いていても悪目立ちしない。

僕のバイクは年代物のGSX-400Sだが、セル一発で始動した。

キャンパスを出てゆっくりと走らせるがエンジンは機嫌よくふけあがる。夕方でやや混雑した都内の道路もバイクで走るとさほど時間をロスしない。

程なくして、僕は下北沢のカフェ青葉に到着した。

店の裏のガレージの隅にバイクを置かせてもらい、2階で着替えてから店内に入ると、カウンターで洗い物をしていた木綿さんと目が合う。

「何か相談事があるって聞いていたけど」

それとなく声をかけると、彼女は真顔でうなずく。

「すいません。ウッチー先輩と山葉さんにお願いしたいことがあるのです」

相談ではなくてお願いになっているのが少し気がかりだ。お店の中からトレイを片手に戻ってきた山葉さんも彼女の言葉が耳に入ったようだ。

「妙に改まった雰囲気で、どうしたんだ」

木綿さんは店内の様子をチラッと見た。

夕食の時間帯が終わって、少し閑散として来ているのでスタッフが立ち話をしても、差しさわりがない雰囲気だ。

「私の弟は高校生で一緒に実家で住んでいるのですけど、この3日間消息が不明なのです」

彼女は深刻な表情で話す。

「弟さんは普段、友達の家を泊まり歩いたりするタイプなのかな」

「いいえ、外泊なんてめったにしないし、もしお泊りで出かける時は着替えとか歯ブラシとか大騒ぎするタイプなんです」

彼女は俯いて床を見つめる。心配で仕方がないようだ。

「私達よりも友達に聞いてみるとか、警察に捜索願を出すとかしたらどうかな」

山葉さんが常識的なところから話をするが彼女は俯いたままで首を振った。

「親しい友達にはみんな電話をしてみました。警察にも、朝になっても戻ってこなかった時に捜索願を出しています。でも友達はみんな普通に家に帰ったと言うし、警察も何の手掛かりもなくて、該当者が見つかったら連絡してくれると言ったきり音沙汰が無いのです」

僕は、そのケースで警察から連絡があったら、事故か不審死で発見された時で、稀に家出人探しの不審尋問に引っかかる場合がある程度だと思い出したが黙っておくことにした。

「営利誘拐でもないな。もしそうなら何らかの連絡があるはずだし」

山葉さんも首をひねる。

「山葉さんとウッチー先輩は霊能力があるのですよね。弟の持ち物を見せますからそれを手掛かりに、今いる場所を探してもらえませんか」

僕は山葉さんと顔を見合わせた。持ち物のにおいをかいで臭跡をたどるなら、警察犬の方が向いている気がする。

「あいにく、そんな方法で人を探したことはないな。でも、ウッチーなら彼の持ち物から失踪直前に考えていた思念を拾えるかもしれない。」

僕に振らないでくださいよと言いたくなったが勿論、口には出さない。

木綿さんは思った通り、僕にすがるような目を向けてきた。

「ウッチー先輩、お願いです。弟を探すための手掛かりが欲しいんです。協力してもらえませんか」

後輩にそこまで言われて僕が断れるわけもない。

「僕にできることなら協力はするよ。でもあまり期待はしないでくれ」

僕が、自信なさげに表明すると、山葉さんも口を開いた。

「私もできることがあれば手伝おう」

僕たちの言葉を聞いた途端に木綿さんの表情が明るくなった。

「ありがとうございます。明日にでも私の家に来てください」

山葉さんは僕の顔を見てつぶやく。

「明日は土曜日だ。クラリンと雅俊君にお店を頼んで出かけるしかないな」

僕は自分が木綿さんの力になれるか疑問だと思いながらうなずいた。

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