第95話 日本刀に宿る霊
別荘は高台の上にあった。
きっとオーシャンビューが売り物の分譲地なのだろう。
道なりに接近すると相手方の見張りがいたら見つかってしまうので、僕たちは迂回して別荘に近づいた。
僕は通りの角から顔をのぞかせて様子をうかがう。
「国産セダンが2台と外国製のスポーツカーが一台止まっていますね。敵の人数は最大10人程度かな」
「アヴェンタドールはお嬢様の愛車です。お嬢様が以前読んでいた臨床心理士が登場する小説でヒロインがガヤルドに乗っていたから自分もランボルギーニに乗るんだって言って聞かなかったんですよ」
微笑ましいのと同時にうらやましいエピソードだが、今はそんな話をしている場合ではない。
山葉さんと上門さんも素早く顔をのぞかせると、状況を見定める。
「岡村さんを拉致するのが目的なら定員フルには乗っていないはずだ。せいぜい五、六人だろう」
「セダンの運転席に残っている人がいるみたいです」
上門さんの指摘に山葉さんは何か作戦を考えたようだった。
「私が歩いて行ってそいつに話しかけるから、上門さんは少し時間をおいて接近して銃で狙ってください。ウッチーはその間に後ろに回り込んで、私が車外に引きずり出したところで頭を殴って気絶させる」
上門さんがうなずく横で僕は日本刀を取り出して見せた。
「これで殴るんですか?」
「刃が付いてないほうで殴るんだ」
要は、時代劇でよく聞くみねうちにしろというのだ。
僕は刀を抱えて駆けだした。
彼女の言うように相手の後ろに回り込むには、別荘地の街区を四角形の三辺を走って反対側に回り込まなければならない。
山葉さんが持っている日本刀は刀身が九十センチメートル近い長刀だ。
以前、刀に残っていたかつての持ち主の記憶に触れた時、その持ち主は背中に背負って移動していたのを思い出す。
標準的な刀の刀身が六十センチメートル前後なのを考えると、当時の日本人には持て余す長さだったのだろう。
僕は息を切らせながら、深夜の別荘地を駆けた。
三つ目の角を回って目的の車が停車している場所が見えたがそれは遥か彼方だった。
七瀬家の別荘は反対側の角寄りにあったのだ。
僕は運転席の男に気づかれる前に距離を詰めようとさらにスピードを上げた。
走りながら抱えていた刀の鯉口を切って抜刀する。
刀身の長い日本刀は鞘から抜くのさえ大変だ。
抜刀した後は今度は鞘が邪魔になり、僕は仕方なく着ているシャツの襟から背中の方に鞘を差し込んだ。
体裁が悪いので放り出したいが、あとで面倒なことになりそうなのでやむを得ない。
しかし、僕が半分も距離を詰めていない時に、山葉さんが運転席のドアを開けて男を引きずり出したのが見えた。
「山葉さん早いよ」
僕は、足音を立てないように気を使いながらさらに走る。
山葉さんは男の胸ぐらをつかんで持ち上げるようにして何か尋問しているようだ。
幸い男は山葉さんと正面から銃を向ける上門さんに気を取られてこちらには気が付かない。
僕は山葉さんと男の間近に迫ると、刀を振りかぶり走ってきた勢いもろとも男の頭めがけて打ち込んだ。
もちろん途中で刀の向きを変えて刃の付いていない反対側で打撃する。
ゴスッという鈍い音と共に男はその場に崩れ落ちた。
「ウッチーだめじゃないか。今敵グループのメンバー構成を聞き出そうとしていたのに」
「それなら最初に言っておいてくださいよ」
僕は全力で走ったので酸欠で目がくらみそうだ。
山葉さんは上門さんを振り返ると早口に指示した。
「上門さんこいつを縛り上げてから、敵の増援に備えてここで見張ってください」
「お二人だけで大丈夫ですか」
「この男は霊的な遠隔操作を受けるための感受性がないので言われるままに運転してきただけなのでしょう。それ以外の者は私の式神が霊的な遠隔操作の手段を断ち切ったので動けないはずです」
山葉さんがもう一台の車を示した。
その車にも運転手が残っていたが、その男はハンドルに突っ伏したままでピクリとも動かない。
「一体誰が遠隔操作しているんですか」
上門さんが持っていたバッグからロープを取り出して男の手を縛りながら訊ねる。
「森羅正教の上層部に強い霊力を持った者がいて、薬物で洗脳した信者を意のままに操っているのです。しかし、ここではそのご本人の気配は感じられない」
「わかりました。お気をつけて」
山葉さんは上門さんにうなずいて別荘の入り口に向かった。
僕は日本刀を低く構えてその後に続く。
別荘に入るとエントランスに一人の男が倒れていた。
スーツ姿で手には大きなアーミーナイフを持っている。
山葉さんはしゃがみ込むと男の首筋で脈をとった。
「脈拍はしっかりしているし、呼吸もしている。でも、意識は戻りそうにないな」
山葉さんは耳を引っ張ったり、瞼をこじ開けてペンライトで瞳を照らしたりしているが、男は何の反応も見せない。
その時、僕たちの耳にかすかな声が聞こえた。
「美咲の声だ」
山葉さんは油断なく周囲に目を配りながら声がした方向に移動を始めた。
どうやら美咲嬢の声は別荘のダイニングルームから聞こえてくるようだ。
山葉さんはダイニングルームのルームのドアに張り付いて中の様子をうかがう。
「どうします?。踏み込みますか?」
僕が問いかけると彼女は躊躇した。
「霊の気配はしないのだが。何か嫌な予感がする」
「カフェ青葉の周囲をうろついていたやつですか」
彼女はうなずいたが、僕にはその気配は感じられない。
「いつまでもこうしてはいられない。行こう」
彼女はドアを蹴り開けて中に飛び込み、僕もその後に続く。
ダイニングルームには三人の男が倒れていた。
教団の男が二人と黒崎氏だ。
教団の男二人はエントランスに倒れていた男のように意識不明だが、黒崎氏は猿轡をはめられて後ろ手に縛られていた。
美咲嬢はロープで両手を縛られて天井近くにある梁からつるされていた。プリント柄のドレスはあちこち破れて肌もあらわになっている。彼女も猿轡をはめられているが、苦痛でうめき声をあげたのが僕たちの耳に届いたのだ。
どうやら倒れている男たちが二人をいたぶっている最中だったらしい。
「大丈夫か?」
山葉さんが梁にかけられたロープをほどこうとしているが、僕は美咲嬢の目の動きが気になった。
目線が僕の後ろの辺りを指して必死にうなっている。
「後ろに何かいるのか?」
僕が振り返ろうとした時、背中に叩きつけるような衝撃が来た。
「しまった」
僕は前のめりに倒れそうになったが、踏みとどまると背後に向けて日本刀を横ざまに薙ぎ払った。
『背後を取られて気配にも気づけぬとは不覚』
自分のものではない言葉が僕の頭の中を走る。
背後から攻撃してきた相手は僕が横薙ぎにした刀の切っ先を飛び退ってかわした。
素早い身のこなしだ。
スーツ姿の中年の男が壁際で僕を睨み、その手には日本刀をが握られていた。
僕はさらに踏み込もうとして背中に鋭い痛みを感じた。
先程の衝撃は日本刀で切りつけられたのだ。背中に差していた刀の鞘が致命傷になるのを防いでくれたが、切っ先で肩甲骨の辺りを切られたらしい。
スーツ姿の男と対峙する僕の頭の中で再び何者かの声が走る『ありがたい。天井が高いから自在に振り回せる。それにしてもいい身体だ。この刀が小さく見える』
僕は背中の痛みに頓着しないで刀を斜め上に振り上げて構えた。
そして僕の頭の中でいざなぎ流の祭文らしき言葉が流れ始めた。僕の口は自然にそれを唱え始める
「カヤシニオコナウ、カヤシニオコナイオロセバムコウハチバナニサカス、ミジントヤブレモエユケタエユケカレユケイキリョウ。ソノミノムナモトシホウサンザラミジントナレ。」
スーツの男の眼が怪しく光った。
「おのれ、邪教の呪文ごときで私を封じ込めるつもりか」
男は日本刀で切りつける。
僕は一歩引いて男の切っ先をかわすと、日本刀で男の頭を一撃した。
刀を振り下ろす途中で無意識に切っ先を返して峰打ちとなっている。
男はよろめいたが、どうにか踏みとどまった。
普通の人間なら脳震盪を起こして気を失う程の打撃だ。
しかし男は頭からツツと血を流しながらも眼の光は失われていない。
「テンジクナナダンコクヘオコナエバ、ナナツノイシヲアツメテナナツノハカヲツキナナツノイシノソトバヲタテナナツノイシノジョウカギヲオロシテミジントス」
僕の口からはさらに祭文が流れ出る。
それは先ほど山葉さんが唱えたものと似ていた。山葉さんは驚愕の表情で僕の方を見ている。
その時、ダイニングルームの床に散乱していた紙切れがサラサラと揺れ動き始めた。それは細かく引き裂かれているが、山葉さんが放った式神だった。
引きちぎられた紙切れは、舞い上がると帯状の群れとなって男の周りを飛び始めた。紙の群れは次第に間隔を狭めて男をしばりつけるように動く。
しかし、紙切れが男を封じ込めようとした瞬間、男の体から目がくらむような閃光が放たれた。同時に雷鳴のような音響が響く。
式神の紙切れは吹き散らされたように部屋中に舞い、僕の目にはスーツ姿の男の背後に怪しい影がいるのが見えた。
「ウッチー、そいつに気をつけろ。吞まれてしまったら終わりだ」
山葉さんが眉間にしわを寄せて男を見ながら叫んだ。
彼女にもその影が見えているのだ。
僕はスーツ姿の男にもう一度打撃を加えようとして、日本刀を構えなおした。
『ほう、見たことのない異教の神を司どる奴がいるものだな。天竺よりも遠き国があるというのか?』
僕の頭ではどこか飄々とした雰囲気の思考が言葉に紡がれた。
そんなのんきなことを考えている場合ではないのに、僕自身の思考が一区切りつかないうちに黒い影が弾けた。
ザザアッと音を立てるように影が広がり、ダイニングルームを覆っていく。
周囲を見回すと、黒い影に取り込まれた内部世界に山葉さんの姿も見えた。
彼女もしっかり取り込まれているじゃないかと僕が考えるとそれが聞こえたように彼女は少し俯いた。
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